改めて思う入試で問われるべきもの【大学入試で「能力」は指標としてよいか】
先日↓の記事を書きましたが、ESAT-Jの問題はさらに過熱している印象があります。私も高い関心を持って情報を集めています。
私が何に引っかかっているのかを理解したいという思いがあるのだと思います。
すると、次のようなツイートを見つけました。
まさに、私が引っかかっていたことを代弁していただいたと感じます。
ベネッセが主体となることについては、すでに「前科」があるので、警戒は当然なのですが、
最大の疑問がなんとなくよさそうに見える「スピーキングテスト」の存在でした。
このスピーキング力は、「学力」でなく、「技能」であることが大きいのだと改めて実感したところです。
入試で問われるべきこと
私は、理系の科目を担当しているので、入試では問われるべきことは、純粋に「学力」であるべきだと思っています。今回、改めてそれを強く意識したところです。
定義に参照しても当然だという認識にしかなりません。
学校で勉強したことをチェックする。これが第一であるべきだろうと思います。
高校で学ぶ理系科目は大学教育の入り口
高校で学ぶ理系科目は大学で学ぶ内容の入り口であることが大きいと言えます。
例えば、高校物理で熱力学第一法則を習いますが、これは大学での、熱力学第二法則としてつながっていきます。エントロピーの増大の法則への理解、さらには統計力学へとつながります。
そのため、理系の場合、学力を問うことは、必然性以外の何物でもないと言えるのではと思います。高校課程での電磁気学を知らない人が、大学でマクスウェル方程式を理解することはかなりの困難を伴います。
科学については、広く体系的な理解がある方がよく、例えば、物理学に詳しいお医者さんがいても全く差し支えありません。むしろ、広範なサイエンスの知識はむしろ歓迎すべきでもあります。
理系はシンプルに学力を問うことに問題が少ないのだと思います。ただ、文系はそれが難しい部分があると思います。
それについては、こちらで書いています。
能力を問う指標が入ること
ただ、学力だけでは、選抜機能を果たせない。優秀な学生を確保できないという視点も含めるようになると、文系を中心に「能力」を評価するという視点が入ってくるのでしょう。
この能力を問うという観点から、入試の解釈の幅が広くなってしまうのではと思います。
↓のインターネットの番組でも何の躊躇もなく、「能力」という言葉が飛び交っています。
私がしつこくやり玉に挙げている「学ぶ意欲」などは「能力」に属するもののといえるでしょうし、少なくとも高校までの「学力」ではないことは明らかです。
入試に「能力」を問うことに問題はない。という立場に立てば、あり得る考えであるとも思います。
ここにすんなりと能力を問うことに意識がスライドできる層と、私のように大学入試で能力を問うのは当たり前でいいの?と感じる層に分かれてしまうのかなと感じます。
就職における採用ならばいざ知らず、大学の入学志願者への可否判断に「能力」が問われることについては、このような曖昧さでいいのかなと思わざるを得ません。
余談ですが、この動画を見ても、総合型選抜入試は学生の青田買いなのは明白とも言えます。私立大学の本音がそこにある限り、一般入試の問題点をあげつらうのは、フェアとは言えませんし、ミスリードとさえ言えます。
能力は、採点が難しい
運動能力のように数値化できるものはいいのですが、能力をはかることは簡単なことではありません。
さらに能力であれば、受験生の性質だけでなく、生育環境なども影響します。それを入試に持ち込めば、不公平感が出るのは構造的にやむを得ないところです。
私立大学では、スポーツ系学部を中心にアスリート入試を行っていますが、これは競技実績や数値という評価基準があるため可能であるようです。
能力を問うなら、基準と透明性は必要
能力を入試で問うべきかは議論が分かれるところですが、
・できる限り受験生のバックグラウンドに依存しないものであること
・全員一律では不公平であること
は共有されるべきことだと思います。
そして何より、明確な判断基準が存在すること、その評価の透明性が確保されるべきだといえると思います。そして、問う能力において、才能のようなものは、より慎重に扱うべきなのではと思います。
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