午後の紅茶

【政経】社会の分断を考えるときに知っておきたい言葉

「〜だから」という言葉を使うとき、または使っているときはその人はどう思っているかはわかりませんが、確かにもっともだがしかしそれは見識が別れるというものについて、それが社会の分断を引き起こしている根因ではないかということを書いていきます。もちろん見識が別れるものもありますが、そうではない、自分の思うところではないのに言葉により分断が生じては良くないのではないでしょうか。先に出した「〜だから」という言葉を使ってはいないでしょうか。世相を反映した弁論をする上で、これは重要な視点です。なぜ分断が生じるか、を最初に客観的に・・・。

このような社会の分断を引き起こしている言葉はいくつかあります。それについて考えていきたいと思います。

まず前提として考えられるのは、まず発言者の前提に「社会は分けられている」という概念が存在することです。それが発言者の中で明確なのか曖昧なのかということはありますが、それがその言葉を出す原因になりますし、それは本人が意図しない形で社会の分断を引き起こすことになります。

また「社会を分ける」という概念が発言者本人の中に存在していることも否定できません。自分の「味方」の前で対決姿勢を鮮明にしようとするようなときそれは存在します。そしてそのとき、その途端に、社会の分断は発生します。

その発言者がもっともなことを言っていても、最初の「〜だから」という言葉を発言者がすべての聴衆の前で出した時それぞれどう思うでしょうか。これが全員同じ考えならよいですが、違う意見もある場所でその言葉を出した時には、「〜だから」という言葉を出したときに社会の分断を引き起こすことになります。ここで先に出した全員同じ意見の場なら大丈夫、ということを引っ張って言ったのであれば、どうなのだろうかと考えます。

では、どうするか。まず全員が違うことを言葉の節々に表現すべきです。分断をもたらす言葉は、分断を求めない社会においては必要なものではないのです。発言者にとっても、分断を求めない主張をしているのに社会の分断を引き起こすことは不幸としか言いようがありません。

格差は是正され、生活は安定し、背丈にあった生活を送る、それらを目指すということについて、自分のことや他人のことで考えている人はいます。私もそうであってほしい、それを切実に願うからこそ、逆に分断を引き起こしていないかは皆が常に考えるべきです。

社会の分断は起きないほうがいい、それは誰もが思うことでしょう。それを考え更に意見が成熟していってほしい、その願いからこのnoteは書きました。

※午後の紅茶を買いました。
町並みを見ながらコンビニでコーヒーを飲むのが好きなのですが、午後の紅茶もいいですね。
以前書いた投稿がじわじわアクセス数増えて嬉しいです。
ほのぼの系でいこうかとか考えてます。
noteは色々な方がいていいですね。勉強になります。
それではまた・・・。



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