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一時帰国と違和感

9月末に日本に一時帰国してきました。長く会えなかった人達に会えたし、久しぶりの和食は美味しかった。一方、あれやこれや気になること多数。時間が経つとこういうちょっとした違和感は消えてしまうので、今回は諸々、ちょっとした感想です。

マスク


9月も終わろうとしているのに日中は30度近かった東京。滞在中に私が会った皆さんも、口々に「この夏の暑さの中でマスクは馬鹿げている」、「もういいんじゃないかと思っている」等々おっしゃてました。日本でも屋外での着用は不要だそう。でも、帰国の日系航空会社の便から既にみんながマスクをしていた!
感染対策としてマスクは必要という信念がある人がするのはいいでしょう。でも、そういうことではない(らしい)。滞在中飲み会も何回かありましたが、飲食店内で食事や会話する時は外し、店の外に出た途端にさっとマスク。そして、自嘲気味に「同調圧力ですね〜」。
マスクしていない!と言って道端でキレられることがないとも限らず、変なトラブルに巻き込まれないようにという自衛の意味もあるでしょう。その辺はわからなくもない。でも、同調圧力って、みんなが圧力に負けて同じ行動をすると、それがより強い圧力になるわけで。「同調圧力で」と被害者ぽいけれど、すでに自分が圧力かける加害者側になっている。まぁ、私も結局してたので、人のこと言えませんが。人に迷惑をかけない限り他人が何をしようと気にしないsocial pressure ゼロの国から帰国して最初の違和感でした。


SDGs大合唱の企業


ここ数年、SDGsが日本企業の一大トレンドとなっていますが、東証プライム市場上場企業はTCFD(FSBによる金融安定の観点からの情報開示タスクフォース)という目標が具体化したためか、より活発化しています。会社のイベントにはSDGs(国連によるサステナビリティに取り組む目標)バッジをつけて参加、(このビジネスチャンスを逃すまいとする)コンサルを入れたり、サステナビリティ担当の委員会を設置したり、専担部署を置いたりと、SDGsという言葉を聞かない日はありません。もちろん、それ自体はいいことなのですが、今回帰国してみて思ったのは、企業が号令かけている割に日常生活は大して変わってない、ってこと。

企業が力を入れるのにはそれなりの理由があるでしょう。ESG銘柄に選ばれたり、ESGスコアが良いとアナリスト評価も上がって株価も上がるし、会社で印刷物を減らしたり、節電したりすることはコスト削減にもなります。一方で、製品やサービスに関しては、環境に配慮するコストを価格に転化できないので本格的に移行できないという声が多い。また、ダイバーシティに関しては障がい者を雇用しても社内で引き受けてくれる部署がない。障がい者の雇用比率公表しなければならないので、採用・仕事の割り当て・管理などを全て肩代わりしてくれるというサービスを使って、いろんな企業で雇用された(?)障がい者を一定の作業所に集め、本業とは関係ない仕事をしてもらうというもの。障がい者の働く場所を創っているという意味では多少の貢献はしているかもしれないけれど、ダイバーシティ&インクルージョンのインクルージョンはどこへ行ってしまったのでしょう?

気候変動対策

SDGsの中でも気候変動は最も注目される項目かと思います。
ストックホルムではゴミが本当に少ししか出ない生活だったので、日本での10日あまりの間に、大量のゴミが出てしまい、正直焦りました。初日は溜まった郵便物を整理しただけで、30Lゴミ袋半分くらいになってしまい、チラシとかDMの多さにイライラ。その後のゴミの大半は包装・梱包材、食品のパッケージやらで、資源ゴミを除いても出る出る燃えないゴミ。
街を歩くと、大きさやデザインが少しだけ違う商品が無数にあり、スーパーでは相変わらず食品はラップ包装された上にプラスチックのトレーに入っていたりするし、店舗には煌々と明りが灯り、オフィスやホテル、家庭の各部屋にも、必ずと言って良いほどティッシュペーパーの箱が置いてある(何のため?)。
ホテルの使い捨てアメニティはなくなると聞いていましたが、今回宿泊した3つのホテル全てに、歯ブラシ、カミソリ、使い捨てスリッパなどが使い捨てアメニティが完備されていました。

大木も説明なしに伐採


ストックホルムで犬の散歩によく行く公園の大木がきられていたことがありました。切り株には、なぜその木が切られたかの説明(病気のために倒壊の危険があった)が置かれていました。大木は環境保護の象徴的存在です。グリーンコンシャスな住民に対して行政も説明責任を果たしています。オリンピック準備にあたり、お茶の水の明大通りの樹齢40年のプラタナスの街路樹が大きくなりすぎて人が歩きにくい、落葉の処理が大変という理由で、ほとんど住民には知らされずに千代田区が数十本の大木を伐採してしまったことを思い出しました。今回お茶の水近辺を訪れ、植え替えられた幼木と日影も無くなった明大通りを見て、行政にとってサステナビリティってなんなんだろうと思いました。デンマークでは、街路樹をフルーツの木に変えていっています。実がなったら誰でももいで食べて良いそうです。

生ごみをプラスチックごみで燃やす?


ストックホルムでは分別したゴミは街中の収集場所まで自分で持って行きます。生ゴミも専用の袋に入れて(写真)専用のゴミ捨て場に持って行き、それがバイオガスになって、バイオガス燃料で走る市バスを街中で見かけます。燃料化した後のカスは肥料として使っているそうです。


生ごみ専用袋(表)
生ごみ専用袋(裏)

プラスチックや紙製品は本当に種類も少ないし、価格も高いので、みんな何度でも使える容器や布製品を使います。市が家庭に提供する温水の燃料には火葬場の排熱さえ使用されています。相当の便利さを犠牲にしなければサステナビリティなど達成できない、というのが実感です。日本でも、厳密なゴミ分別をしている、不要な衣料品のメーカー回収に協力している、メルカリのようにサイトで不用品のリユースはしている、という反論もあると思います。でも、その先はどれくらい意識されているのか?分別されたプラスチックゴミはその他のゴミを焼却する燃料になって結局CO2を排出する結果に。出たゴミの分別を必死でするより、まず出るゴミを減らすべきでは?大量の不要衣料品がアフリカ東海岸の国々で再び捨てられていたり、地場産業を破壊しているのは?

企業のサステナビリティ大合唱が日常の行動変容につながっていないのはなぜか、何かがずれているのでは、と考えてしまいました。

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