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大宰府~思えば遠くへ来たもんだ。~


 夜中。急に決まった遠出でした。
 人生はいつだって誰だって予想外です。



 隣の芝生は青いというが、自分の所の芝生もまた青いというわけで。これを見ているあなたの 今居る場所も、こちらから見ればとってもまぶしい。…と、いうわけで。(え、どういうわけで。)

ーわたしと一緒に歩きませんか。ー
スタートです。



 ここはわたくしの芝生ではありませんけれども。
 旅は道連れ心中は、道行き
 真珠しんじゅは夫人で、菊池寛。
 …直也さん2年待ってください。

 …というわけで。(はあ?( ̄σ・ ̄) ※この子は寝かけで脳みそがとろんの状態でよく文章を綴ります。流しておいてください。)



まさかの新幹線。

まさかや〜ゆらゆら〜


大牟田(おおむた)

とりあえずとっても大事な任務が完了したので、「どこ。ここ?」という一枚です。大牟田と書いて、おおむたと読むそうです。ああそうですか。(なぜに他人事なの?( ̄▽ ̄;))


見事なまでに人が写り込んでいないトリミング力。




大牟田駅の、上記の写真の。
反対側になむかこんなのがあって。
とりあえず撮りました。

せめて写真だけでも旅感を。




なむか、駅です。
テツオ・テツコさま。
きゃっはうふふしておいてください。

 本来、旅をするとなると徹底的にコインロッカーの場所等も調べていく派です。しかし今回は急だったので。事前準備なしでした。そのため、切符の後払いが出来なくて、かるいカルチャーショックを受けつつも。久しぶりに切符を手にしました。

ティファニーブルーみたいな緑だね。
(緑だと伝えたいのに、ブルーを持ち出す語彙力赤ちゃんを通り越して、もはや新生児。
※寝かけです。)




ここから11個離れた駅に行きました。
(確か11個だったはず。)



柳川(やながわ)


 柳川は、北原白秋が生まれたか育ったか。おなくなりになった所だったはずです。(宿泊したホテルにそのような事が書いてありました。)


船。

観光目的ではなかったので、もう船は終わっちゃていました。



とても素敵な空間の喫茶店でした。

小休止。

お店のお名前をしれっと添えて。




 ホテルに着きまして。
 落ち着いて、ほっと一息しようと。
ふっとお靴を脱いだら。あら。思わず笑ったので。

ホテルにて。(別に見たないて。まあそう言わんと。)




 ホテルの窓にて。

体感、5日の遠出でした。




翌日。




えっと。駅です。
自分で計画を立てて来ようと思う場所ではないけれど、(距離も遠いので。他に行きたいところが沢山あるのと、ランクインの上位になかなか上がらないという意味です。)

 せっかく予想外とはいえ。
 訪れたのだから、どこか行こうということで。
 我が心の歴史の師匠・ただただ一方的にこちらが観ているだけの師匠。ムンディ先生の故郷であり、よく動画内で訪れていた場所へ。
(ムンディ先生とは、公立高校の社会科の先生で教育系youtuberでもあります。ご自身の転勤がきっかけで、「先生、転勤するならyoutubeやってよ。」と生徒さんに言われたのがきっかけで、当時まだまだ珍しかったyoutubeを始められたとか。著書も有名です。…師匠!微力ながら低空飛行で宣伝しておきましたからねええヽ(*´∀`)ノ)

地元の方は、(ああ。何とか線ね。はいはい)となるであろう所です。


鳥居

 参道です。仲見世です。
 たくさんの人がいました。
 変わったスターバックスがありました。

この写真の鳥居、上の部分が
なんか切れ目が2箇所あるなあと思いました。



 平さん所の、息子さんの句。(たぶん)




鳥居の裏の字ぃです。


伊右衛門さま?ちがうか(^^) よく分からんと
(ほぉ)と思って撮っただけです。
 石に字を彫るのに、字体って変えられるのかね。

(…いま色々と 下の写真の鳥居とかを眺めていて思いました。これ。これだけ下の他の物と字体がちがいます。
れっつどうでもいいこと ƪ⁠(⁠‾⁠.⁠‾⁠“⁠)⁠┐)




(え、明治って何年まで続いたっけ)と思いました。
西暦で書いてほしい派です。
 鳥居の字の向きって、なんで かみさまの方向に向いているんですしょうね。今ふと思ったことです。



下の3枚は、同じ鳥居の別角度です。

見えるかなあ。いちばん左に「鬼木」と書かれてあって、珍しい苗字だなあと思いまして。くるっと見たら、京都から寄進されていると分かりまして。(うおお、すごい。)という雰囲気です。
こちらの方が、いちばん右。
「京都」という文字が分かるかなあ。
四条の「条」が、「篠」です。
(れっつどうでもいいこと╰⁠(⁠*⁠´⁠︶⁠`⁠*⁠)⁠╯)

隅田川の隅の字も、「隅」と書かれてある場所(番地)と「墨」と書かれてある場所(番地)がありますよね。



上の写真2つをまとめたものです。どれが分かりやすいのかは、デバイスによるのかなあと。思いまして。




 灯籠です。

 神戸の生田神社の灯籠も変わっているなあと思いましたが。あちらは、一般的な灯籠のサイズで。
こっちはドカンと大きくて。見上げる感じです。
あえて足元に目がいく模様を施したのかなあと勝手に思いました。思う分には自由ですƪ⁠(⁠‾⁠.⁠‾⁠“⁠)⁠┐わりと新しいものなのかもしれません。




これが本殿かなあと思っていたら後に、
本殿らしいものがあったので。これはなんかです。
この日、青森のねぶたとコラボをしておりました。
初めてねぶたを見たので得をした気分です。


 狛犬さんです。

歯ならびがおきれいですね。
お口が大きいので歌ったら上手そうです。




飛梅


〔こち〕…なんとかです

【東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな)
主なしとて 春を忘るな。】



 人が多かったです。

人が多くても、人が映らないようにする・甜菜です。




本殿の屋根に草木が生えているのが珍しいなあと思いました。あと円形の傾斜とか。


上の写真の、少し右側です。




宝物殿と三成と。(写真なし。文のみ)


 写真はありませんが。宝物殿にも行きました。
 石田三成の書状があって。なんか、豊臣政権時代に、秀吉ヒデヨッシーここいらこの辺をを保護だか、庇護だかをしたとかで。(※庇護です。)
 森の木を切っちゃだめよみたいな。三成の書状がありました。(すご~三成の手書きの字ぃ、初めて見た)と思いました。きちっとしていましたよ。
 栄一渋沢とはまたちがうきちっと感でした。
 栄一はマメな感じですが、
 三成はきちっと (`・ω・´)。
 9時5時でちゃんと帰りそうな。
 新人さんや後輩・部下には、しっかり『休憩時間にはちゃんと休憩をしなさい』と言いそうな雰囲気でした。組織人・裏方のプロという感じでした。

 出発前だったか。帰って来てからか。
(※この遠出は随分前のものです。)


 忘れましたが。たまたまお家の近所にある歴史資料館みたいなところで、三成の別の書状を見る機会がありました。
(どんだけ仕事してるのよ(;・∀・))
 と思いました。秀吉ヒデヨスィの看板を盾に、大いにのびのびお仕事をしていたのかなあと思いました。でも、周りは、「有能だから旗を振ることも出来るでしょ」と。そうでもなかった。適材適所に人を配置するのはむずかしいと言うけれど、適材適所に自分が居続けるのもまたむずかしい。
 三成は、旗を振る大将ではなく、【大将に旗を振らせるのが上手な人】だったのかなあと。慮りました。

 八月十八日の政変でもそうですが。
(幕末の頃。長州藩が、当時の天皇(和宮の兄)を拉致して、長州まで連れ帰って。ついでに京都を焼き払おうとした…けれど、阻止された 一連のややこしや~な。すったもんだのこと。

 それは新しい時代に進むのの、
妨げになったような側面もあり。
同時にそれは、
『もしこの一連のクーデターが実行されていれば』。
 現存する祇園祭の山鉾は、今の形をとどめておらず。すべての山鉾の復興は、さらに遅れていたであろうなあというお話。参考記事はこちら。祇園祭の山鉾は、平気で196年ぶりの復興とかありますし。)

(お話を三成くんに戻しましょう。)

歴史は角度を変えれば、いつも景色がちがいます。
 勝った者が守ったもの。守れなかったもの。
 負けた者が守ったもの。守れなかったもの。

 自分がやったお仕事というのは、きっと本人にも思いがけないような形で残るんろうなあと。

 なぜなら今日『森を切っちゃあだめよ』の書状により、残っているその森は、漫画『鬼滅の刃』で鱗滝さんが出てくるシーンの。大きな真っ二つに割れた岩のモデルなんじゃないかと言われているのだから。竈門神社とかありますし。

【正確には、岩のモデルは全国に6カ所くらいあります。そのうちの1つがここなんじゃないかと言われております。】




数字にパンチがありすぎる。






 空がとてもきれいでした。




狛犬―増田トミ?―

 目がきれいだなあと思って見ていたら不思議なものを見つけました。

上の写真と同じ写真なのですが、よく見ると寄進された方のお名前が。こういうので個人のお名前が入るのって、あるのかなあと。ふしぎだなあと。一族で狛犬ちゃんを寄進したのかしらと。

中央に「増田トミ」
右に「父母 金丸(?)亀太郎 カツ」
左に「長男? 増田喜美江」
?は、字が不明なところ。

企業や団体名や組合とかのお名前ではなく、個人名…なぜだろう。ドラマのにほいがします。



 天満宮の中にある休憩所のようなところで、一休み。おうどんを食べました。お席から見える景色です。


少し色味加工しましたが、こちらもお席から見える景色です。真ん中に見える御社が、太宰府天満宮最古の御社だったはず。(あれ…ちがっていたら、ごめんなさい たぶんちがうかも。)





 天満宮の敷地内で入っていちばん始めに(この子かわいいな)と思った狛犬です。人が多かったので行きは通りすぎましたが、帰りにどうしてもかわいいに惹き寄せられて立ち止まって撮りました。ものすごく狛犬がすきというわけではないのですが。なんとなく。


後に人がいるけれど、まあいいや。



大宰府で思い出す北野の方の、天満宮。

 むかし天満宮は天満宮でも、太宰府天満宮ではなく北野天満宮で、知らないおじさん(後に超元気なちゃきちゃき動くおじいちゃんと判明)に声を掛けられて。初夏ですっごい喉が乾いているのに、天満宮の灯籠について熱く語られた事を、この灯籠を見て思い出しました。急に話し掛けられて、延々トークで始めは何が始まったのか分かりませんでした。
「…鬼の首がビューっと飛んでね。…」
 私の意識がビューっと飛ぶわと思いました。

 ただのおしゃべり好きかと思っていたら、北野天満宮の元宮司らしくて。ウエスタンエリアの系列の天満宮で、後進のためにいろいろ教えているとかいないとか。

 蒸し暑くて早う話おわれ早くお話終わらないかなと思っていた意識が 急に吹っ飛びました。やはり人はその人の肩書によって耳を傾けたり傾けなかったりしますよね。

「いま、あなたはなんの気なしに、その灯籠の横を通ったでしょう。こうこうこう言う理由があって……(割愛。聞いても忘れる それが人。もとい、わたくし。)
 いま、私とあなたが立っている門だって意味があるんですよ。この門はこっちが月を表していて、こっちが星を表している。宇宙を表しているんですよ。」
「へえ(・∀・)」
「すべてのことには意味がある。知らないのは生きてる人間だけですねぇ。」

(意味が分かっていないと、天満宮の敷地に入っちゃいけないのかな)と思ったけれど、そういうつもりで言ったわけではないと思うのでそっとしておきました。

 この灯籠が、あの灯籠に似ているのかどうかは忘れましたが。撮影中ふっと思い出しました。




ここからは太宰府天満宮をはなれます。




おさいふまいり。


歩きました。



人が多いからこういう密の緩和もいいですね。


何か、跡。


「令和」という年号のきっかけになった人(なんとかの旅人たびと)、ゆかりの地みたいなところ…だったか資料館だったかを、ここに来る前に見つけました。(かなり歩いたので、ここが旅人タビチョフのゆかりなのか。聖地なのか分かりません。)

バスを待っているときの一枚です。

〜ここ掘れわんわんがしにくい地域?〜


 奈良も京都も、そしてたぶん大宰府も。地元の人が快適に暮らせるように交通の便を良くしようとしたら、鉄道を繋ぐのに地下を掘ったら。
 遺跡が出てきがちなんだろうなあ。出てきたら出てきたで、インフラ整えるの進まなくてややこしいから、だからそっとしているのかなあと。勝手に眺めて思いました。
 …真相はわかりませんけど(^o^)
 れっつ好き勝手に申すやつƪ⁠(⁠‾⁠.⁠‾⁠“⁠)⁠┐



菅原道真さんは、京都から左遷されてこの地でおなくなりになったというけれど。その後、都でわるいことが起こると菅原さんのせいにされたようだけれど。
 こっちに来たらこっち来たで、優秀な人やしだし、皆に色んなことを「おしえて。おしえて」と言われてそれはそれでしあわせだったんじゃないのかなあと、おさいふめぐりをしながら思いました。




 予想外に旅でしたが、帰りの新幹線の出発前にて。柳川行きの電車に乗っていて思ったことは、(博多美人って本当にいるんだなあ)ということです。みんな、大学デビューしたてでお化粧に慣れていなくて少し目尻にアイラインを引く程度のおメイクでした。今回は食べなかったけれど、次に来ること後あったらモツ鍋たべたいなあと思いました。梅ヶ枝餅の味は、忘れません。思えば遠くへ来たもんだ。そんな感じです。

画像加工の世界では、思いきり遊ぶやつ。


そして、今後たぶんもうお見かけすることがないだろうなあという事で。新幹線のアイスクリームです♪



おわり(*´∀`)


追伸 九州電力のマンホールが、「九」の字が 稲妻⚡の形になっていて、かっこ良かったです。

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