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勇気とは

【勇気】ゆうき
(勇んで)ものおじせずに立ち向かう気力。

Googleで検索してみるとこんなふうに表示される。

アドラー心理学をかじり始めてから、勇気という言葉がとても好きになった。好きというか、重要さが理解できたと言うべきか。

勇気があればなんでもできる。と、本気で思う。

アドラー心理学は勇気の心理学とも言われている。人は勇気が満たされていると色々なことに挑戦できるし、成長できる。逆に勇気が不足していると逃げたり、自責の念に駆られたりする。

今思うと、わたしはこれまで何度も勇気欠乏症になって行動を止めたり、逃げたり、自分を責めたりして来たなぁ。

でもこの考えを知ってから、少しずつ勇気の増減をコントロールできるようになってきている気がする。

わたしの場合、勇気を創出する方法は大きく2つある。

1つ目は誰かから分け与えてもらう方法。分け与えてもらい方は多種多様だけど、例えば、話を聞いてもらう。相談する。助言をもらう。あるいは、手伝ってもらう。一緒にやってもらう。共創する。など。

でもこれって実際に勇気を分け与えてもらってるわけではない。相手からの言葉や行動を見聞きして情報を得た自分自身が、その情報を元に自分の中で勇気を創出してるんだと思う。

仲間からの勇気づけにいつも助けられる

2つ目は自分の中で勇気を創出する方法。自己受容だったり、自己承認。あるいは、学んだり経験し自己効力感を高めることでも創出できそう。

いずれにしても勇気を沸かせる方法は「自分がどう物事を捉えてどう解釈するか」だ。つまり勇気の創出は自分でコントロールするしかない。…と言うより、コントロールできると言うべきなんだろう。これはまさに「課題の分離」の考え方そのもの。

とはいうものの、実際には自分に勇気が足りてない時は信頼している仲間からの勇気づけに助けられる事ばかりだ。コントロールしようにも資材は必要なのかも。

でも、上述の通り実際に勇気をもらってるわけではないのに、勇気が自分の中に湧き出てくるのは何故なんだろう?

話を聞いてもらってスッキリするから?
励ましてもらって元気がでるから?
悩みの解決方法のヒントが見つかるから?

どれもあるなと思うけど、わたしにとっての一番の理由は、信頼している人との繋がりがあると言うことを確かめれるからじゃないだろうか?

話を聞いてもらったり、助言をもらったりと勇気をもらう方法は様々だけど、どんな時でもそこで得られるのは他者との繋がりだ。特にわたしが信頼している人との繋がりを感じた時には、自分自身の存在価値を感じる事ができるように思う。

わたしが勇気欠乏症になってる時は、自分自身の存在価値を感じれなくなってる事が多い。そう考えるとやっぱり信頼している人から勇気づけしてもらうのは特効薬だ。

ただ、人は一人では生きていけないと言う事と同時に、自分軸を持って生きていく事も重要だ。そう思うとわたしの場合は、もう少し勇気を自分の中で創出できるようにしていきたいとは思う。でも、それはちょっと苦手なんだよね…。

勇気の自家発電できるようになりたいなぁ

だからどうしても勇気欠乏症になっちゃうことはこれからもあると思う。そんな時には素直に仲間に助けてもらおう。

その代わりいつも助けてくれる仲間に、あるいは関係性の無い他者に対しても、勇気を提供できるような人になって行きたいと思う。でも、そうなる為にはこれまたやっぱり勇気が必要なんだよね。

勇気の総量を増やしていく事が大切なのかもなぁ。

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