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【雑記#4】絶対悲観主義~心配するな、きっとうまくいかないから~著者:楠木建


絶対悲観主義とは仕事への構えである

絶対悲観主義は普通の人に向いている

いきなりですが、あなたは楽観主義でしょうか、それとも悲観主義でしょうか。国民性で捉えると、日本では悲観主義の人が多いように思われます。

主義というほどの強いポリシーがなくとも、失敗やリスクを避ける保守派が多いという傾向からすると、悲観的な思考回路の持ち主が多いといえるのではないでしょうか。

ごくごく一部のスーパーマンや天才を除けば、大勢の人は普通の人です。「私は特別な存在だ」と思っているのは自分だけです。客観的にみれば、その他大勢のなかの普通の人です。

私も例にもれず悲しいほど普通です。絵は下手だし、音痴だし、運動神経もイマイチです、学生時代に何かで一番になったことも最下位になったこともありません。

しかし、そのような普通の私ですが、ちょっとずる賢いところがあったのです。というのも、学生時代の私は次のようなオリジナル戦法を持っていました。

「勝てない勝負はしない」

しかしこの戦法、なにかどこかで聞いたことがあるような気がしませんか?そうです、なんと畏れ多くも孫氏の兵法のひとつ「負け戦はしない」とそっくりじゃないですか!

さらに、私の負けず嫌いでもなく、天真爛漫な性格もこれに拍車をかけていました。そして自然に会得したこのオリジナル戦法により、学生時代の私は得意分野以外は試合放棄をすることで、平凡で幸せな学生生活をおくることができたのです。

めでたし、めでたし~、はい、お終い、で済めばよいのですが、世の中「そうは問屋が卸さない」のです。

この徹底したリスク回避の結果、私に待ち受けていたのは、大学入試センター試験(共通一次学力試験)での痛恨のミスの嵐でした。私は受験戦争のさなかにおいて、「勝てない勝負はしない」などと、余裕しゃくしゃくとしている場合ではなかったのです。

というのも、私の年代は第二次ベビーブームで人口が多く、受験戦争は年々厳しさを増していました。受験過激派は、「合格鉢巻き」で、大手予備校の合宿などにも参加していました。また、受験保守派は推薦入学を手にし、早々と前線から退場していきました。

そのようななか、志望校は国公立大学に絞り、私立大学は一校も受験しないという私は、なんというおバカさんだったのでしょう。

なぜ私が私立大学を受験しなかったのかといえば、実をいうと私の得意科目が理科と社会だったことが影響しています。私立大学入試のほとんどは、国語、数学、英語の3科目がメインで、理科と社会の2科目がありませんでした。で、私はといえば、ものすごく暗記が得意だったのですが、計算したり、意味を解釈するのが苦手だったのです。(←つまりアホですね)

ええ、正直に言います。自慢ではない?ですが、理科と社会はセンター入試で100点満点だったのです。いやはや、そんなカレーライスの福神漬けみたいな科目で100点満点とっても意味がないっしょ。
もう、私ってバカ、バカ、バカ~。

と、このように受験戦争で撃沈した私ですが、社会人になっても小さな失敗や挫折を繰り返していきます。学歴コンプレックスから解放されず、何かにつけて「自分は頭が悪いのではないか」と自分に自信を持てません。

そして私は、理想と現実のギャップである「課題」を多く抱えていました。
薄っぺらいプライドという代物です。

私のような普通の人が課題に対処するには努力しかありません。そのため、私は社会人になってから実学としての勉強に励むようになりました。具体的には、読書を好み、資格取得のための時間とお金を投資することを惜しまなくなったのです。怪我の功名といえなくもありません。

それでも、いくら努力してもかなわない有能な人が羨ましく妬ましい、それに比べて自分の低能さに嫌悪するという負のスパイラルです。

振り返ってみれば、当時私は、自分に過大に期待しすぎていたところがありました。ある意味ピュアな私は、努力すれば理想に手が届くと信じていた。だから、努力しても思い通りにいかないことがとても苦しかったのです。

がしかし、ちょうど不惑を超えた頃、だんだんわかってきたのです。「自分の思い通りにうまくいくことなんて、ほとんどない」ということが。

シビアな現実と正面から向き合うのは辛いことです。なのでついつい目をそむけたくなる。私って実はやればできる子なんです~、と信じたい。が、経験則的にそうではないことがわかってしまった。当然、自分にがっかりする、こんな程度の者ですと自虐的になる。そうなれば、何かにつけ悲観的に考えるようになるのも無理はありません。

でもあるとき、そのような悲観的な普通の人でも心折れずに取り組めるベストな方法を見つけてしまいました。それが一橋大学特任教授である楠木建先生のご著書「絶対悲観主義」です。ただの悲観主義ではありません、”絶対”悲観主義というところがポイントです。

自分の思い通りにならないのが仕事

楠木先生によると、「趣味でないものが仕事、仕事でないものが趣味」であり、趣味は自分が楽しむもので、仕事は誰かのためにすること、と整理されています。つまり、自分以外の他人に何らかの価値を提供できなければ、それは仕事とは言えない。そのため、あらゆる仕事には「お客様」が存在し、その相手をコントロールすることはできないとしています。お客様とは社外の取引先でなくとも、自分の仕事を必要としているのが上司や同僚であれば、その人がお客様に値します。

そして仕事である以上、絶対に自分の思い通りにならないと割り切る。「世の中は甘くない」「物事は自分に都合のいいようにはならない」、もっと言えば、「うまくいくことなんてひとつもない」、これが”絶対”悲観主義です。ありとあらゆることについてうまくいかない前提を持って、「仕事だしね、ま、ちょっとやってみっか」、これが絶対悲観主義者の思考と行動になります。

この仕事への構えは、仕事に対して「やる気をだすな」といっているのではありません。はじめから「完璧にやろう」とか「成功させなければ」というプレッシャーを感じなくてもよい、といっているのです。「たぶん失敗すると思うけど、試しにやってみっか」、ぐらいのフラットな気持ちで仕事に対峙すれば、意外にうまくいったときの喜びが大きいということなのです。

絶対悲観主義の利点とは

この絶対悲観主義の主な利点として、次のようなものがあります。

第一、実行が極めてシンプル。事前の期待値を思いっきり悲観方向にまわしておくだけ。

第二、仕事への速度が上がる。仕事に取りかかるまでの不安や心配が無用になりリードタイムが短くなる。

第三、悲観からの楽観が生まれる。はじめからうまくいかないのであれば、失敗を恐れる必要すらなくなる。

第四、リスク耐性が高まる。最悪、失敗が現実になったとしても、はじめから失敗は想定内のためノーダメージ。

第五、自然に顧客志向になる。お客様をコントロールできないと割り切っているため、こちらがお客様に合わせるしかない。

第六、自分の能力や才能の在処がわかる。うまくいかないと思っていても、うまくいってしまうことが多発すれば、それが自分固有の才能。

この6つの利点により、絶対悲観主義の構えをとることで、失敗を恐れず仕事で成果をあげることができます。

絶対悲観主義の対象年齢

不惑の年齢を超えれば迷うこともなくなるだろうと思っていたのに、迷ってばかりいるなぁ、こんなはずではなかったなぁ、とお考えのミドルエイジの方。お気持ち、すごーく、わかります。実際、そんなものですよね。

そんなミドルエイジの方におススメなのが「絶対悲観主義」。人生折り返し地点、定年後も働き続けることを前提にセカンドキャリアも視野に入れ、新しいチャレンジをするのにぴっったりな仕事への向き合い方です。

逆に、絶対悲観主義なんて意味わからん、気合いと根性は誰にも負けん!とお考えの方、あなたは天才です。凡人の気持ちなんか一生わかる必要もないです。ゴーイング、マイ、ウェイ♪でお願いします。

オッサン、オバはんの気持ちなど関係ないゆとり&Z世代の方、何事もGRIT・レジリエンスですよー。若いうちは失敗が全開で許されます。
でも、Youtube、X(Twitter)、Instagramには夢と一緒に怪しい情報満載ですので、騙されないように気を付けてくださいね。

こういってはなんですが、オッサン、オバはんは、社会人となってあなたのようにチヤホヤされたことが1ミリもありません。はっきり言って、あなたが羨ましい!

最近では、新卒で会社員にならずに起業する人もいるらしいですね?学生時代から起業していた人もいると?なるほど、心配しなくても大丈夫。きっとうまくいきませんから。

うまくいかなかったところで、何か問題はありますか。若者の最大の特権は、「まだ何者でもない」ということです。若い時ほど失敗で被るサンクコスト(埋没費用)は小さい。成功しなければいけないという呪縛から解放されたとき、圧倒的成長が可能なのです。

もぉ、伸びしろしかないわっ!!!

「世の中は甘くないな」と感じてしまったら、この話を思い出していただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。
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