見出し画像

夫が寝込んでいたころのはなし

じゃこです。うつ病の夫と2人で暮らしています。
自己紹介はこちら。

今回は自己紹介に書いた、夫の「一番具合の悪い頃は家を出られず仕事もできずずっと部屋で寝ていました。」のころの話でも書こうかと思います。


夫と前職

夫は前職の入社当時には既にうつ病でしたが、クローズで入社し、当初は特に周りと遜色なく働いていました。
比較的調子が良かった頃で、服薬さえしていればそれぐらい出来ていたようです。仕事は総務事務をやっていました。

夫の前の職場は、まあざっくり言ってしまえば、とある大手企業のグループの、末端のグループ会社のひとつでした。
お店ひとつをやるために会社がひとつあるような感じの、従業員100人程度の会社。

看板だけは大きいけれど、そもそもその業界自体が長時間労働かつ薄給で、その会社も例に洩れず長時間労働かつ薄給でした。

朝早くに出勤して、終電で帰る。
なんなら泊まることもしばしば。

しかしまあ、どちらかというと問題はそこではなく、最大の問題は人間の方でした。
言葉の通じない人間が多い、というのもあったのですが、最たるものとして、当時の店長(と嫁)が本当にだめでした。

休職のきっかけ

当時の店長は、日常的に会社のお金を私的に使い込んでいました。
更に、その嫁(嫁自身は無職で会社とは無関係)が会社の従業員に無償でのサービス提供を強いる。しかも振る舞いが横暴。挙げ句の果てには嫁の気まぐれで従業員の待遇が急にガタ落ちしたり首が飛んだり、などなど。

個人的には、聞いた感想としては、まあ創業一族ワンマン経営の会社なら(良い悪いはさておき事象としては)あるかもだけど雇われ店長の立場でそれは調子に乗りすぎでは? という感じでした。

そんなこんなで、狡いことが許せない(そしてこだわりが強いために黙っていることができない)夫は、あるとき社長の私的な用を言いつけられた際に反抗したそうで。
するとわかりやすくすごい嫌がらせが始まり、たちまち症状が悪くなり、出勤はおろか家から出るのもままならなくなってしまいました。


休職しはじめたころ

夫は一日中寝続けるようになりました。
本当に寝ているので、一日の殆どが布団の中でした。

幸い、自傷等はしなかったため、私はというと、夫を家において毎日普通に仕事に出ていました。

私の職場はそこそこの頻度で転勤があります。
基本的には通える範囲での転勤なのですが、会社側は「片道2時間までは通える」という前提で転勤命令を出してくるため、当時はその片道2時間にギリギリぐらいの通勤でした。
当時の仕事はぼちぼちの忙しさで、残業も多少あったため、朝は6時過ぎに家を出て、夜は9時ぐらいに帰る日が多かったと思います。

朝は一応、夫に声をかけて出発。

帰りは、帰ってきたらまた夫に声をかける。

今日は何してた? と聞くと、大抵「一日中寝てた」という反応でした。
たまーに「ゲームしてた」とか返ってくると、あ、今日は調子よかったのかな? というかんじ。

「ごはんたべる?」と聞くと、そこは大体「たべる」だったので、そこから私が夕飯を作って一緒にたべる。まあ大体はそんなかんじでした。

傷病手当金のこと

さて、通常こういう場合、有給を使い切ったら傷病手当金を請求することになると思います。

しかし、結論から言えば傷病手当金はもらえませんでした。

理由は2つあります。

1つ目は、前職の会社の数少ない総務担当だった夫が休職したことで、総務事務自体がろくに回っていなかったこと。
夫が休みはじめてから、とにかく何の件で会社とやりとりをしても、何もかもなかなか進みませんでした。
そんな訳で、会社から話が出ることは当然なく、此方から切り出したところでどれぐらいかかるかもわからない状態でした。

2つ目は、夫自身が「これは労災だ」と言って傷病手当金の請求を拒んだこと。「そうだとしても、まず傷病手当金を請求して、労災を請求して、労災が降りたら返還するって話が結構(調べると)でてくるよ」と説明しても、「労災だから傷病手当金は請求しない」の一点張り。

しかしその割には労災の手続きをとろうとするわけでもなく、そっちのお気持ちはいいけど生活費はかかるんですけど? じゃあ労災の手続きしろや?? と思い、物凄くイライラしました。

まあ、しんどくなると視野や思考がかなり狭くなるということは分かっていたので、これ以上言っても無駄だな、と思い、ある程度以上は此方から言うのはやめました。
無駄な言い争いをしてもしんどいだけだし、もらえる筈の傷病手当金をもらおうとしないのには物凄く腹はたつけど、なくても別に私の給料があれば生活はできたので、そんなことでお互い消耗するぐらいなら、さっさと休息してもらおうと思ったためです。

とは言っても、こちらも心情としてはぐちゃぐちゃ言うくせ何もしない夫にはかなり腹が立ったので、それを飲み込むのはしんどかったです。

家事のこと

夫は当時ほぼ寝たきりだったので、当然のように家事は全て私が引き受けていました。
とにかく寝ている様子を見ても、たぶん今はそういうのが大事なんだろうということで、特段何かをお願いするつもりもありませんでした。

そもそも、元々家事がお互い好きでなく、家電は好きだったため、洗濯はドラム式洗濯機に洗濯物を放り込んでスイッチを押せば乾燥まで終了。食器洗いは食洗機に食器と洗剤を入れれば乾燥まで終了。といった感じだったので、全て引き受けるといっても知れていたというのもあります。

そんな中、ごくたまーに、家に帰ると「今日はシンクを頑張って洗った」と言って、さして汚れていたわけでもないシンクがめちゃくちゃピカピカになっている日がありました。
そしてそれは「頑張ったから疲れた」とへばっている様子とセットでした。

私からすれば、なんぼ知れているといっても仕事で結構へとへとのなか頑張って家事も全部やっているわけで、正直言うと特に今すぐこれ以上どうこうする必要のないシンクを100点にしなくていいから「洗濯カゴの中身を洗濯機に入れてボタンを押す」とか「食器を食洗機に入れてボタンを押す」とか、そういう何かを合格最低点にするやつをやってほしいんですけど? と、事が起こるたびに毎回イライラしていました。

本当は、何もしないよりは、シンクをピカピカにしているほうが、何かしているだけいいのかもしれないです。
でも、私の方も余裕がないし余裕は欲しかったので、そんなんで疲れ果てるぐらいなら何もせずにゆっくりしてくれていたほうが100倍よかった! と毎回どこにもぶつけられないイライラが募っていました。

そういうことは、夫自身に言うのはぐっと我慢していました。
しかし、そうなるとこの愚痴は誰にも言えなくて、それがまた物凄いストレスでした。幸い、頻度はそこまで高くなかったのでなんとか我慢していました。

少し良くなり始めてから

そんなかんじで基本的にはずっと寝ていた夫ですが、数ヶ月そんな生活を続けているうちに、ほんの少しずつ状態がよくなってきました。

例えば、「ゲームをしていた」日が増えたり。
「録画していたテレビ番組を見た」日があったり。
歩いて3分ほどのコンビニに1人で買物に行けるようになったり。

夜、帰ってから聞く話に、少しずつ「一日寝てた」以外のレパートリーが増えていきました。これは素直に嬉しかったです。
まあ、その僅かな動作以外の時間はやっぱり「一日寝てた」そうですが。

一方で、他の家事には目もくれずやっぱりシンクがピカピカになっていることもときどきありました。これには毎回無性にムカつきました。
少し良くなり始めてからは、やんわりと「シンク自体は困ってないから、元気があるときはシンクにおいてある食器を食洗機に入れて回してくれる方が嬉しい」とかは伝えていたのですが、かたくなにやってくれませんでした。当時は本当にめちゃくちゃムカつきました。

変な話ですが、どん底でずっと眠っていたときのほうが、私としては淡々と対処できていたかもしれません。

些細なことですが、書いて供養できればなと思いながら書いています。

まあ、今になって振り返ってみれば、結局「とにかく休ませてあげましょう」が出来ていたのかなあ、とは思います。

その後

1人で外出することがなんとかできるようになってきたころ、「このまま回復していったとして、仕事はどうしようか?」という話を2人でしました。
原因が原因だったため、「復職しても結局店長がいる限り同じじゃない?」「復職する? 転職したほうが良いんじゃない?」という話になり、少し動けるようになってから転職活動をすることに決めました。

その話はまた別の記事で触れようかと思います。

とりとめのない長文になりましたが、読んでいただいてありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?