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【small design】ブカブカのユニフォーム

僕は子どものこれからずっと同年代の子と比べて背が低かった

いつも背の順は一番前で、整列のときはみんなと違うポーズをとらされていた
(今の子どもたちが背の順で並んだり、整列のポーズがあるのかはわからないが、僕が子どもの頃の千葉県ではあった)

だからと言って、いじめられたりした経験はなかったが、嫌だなぁと思うことはあった

僕は小学3年生から学校のサッカー部に入っていた
サッカーは高校まで続けてそれなりに自分的には結果を残せたと思っているし、そこで出会った友人との関係が、自分の基礎になっていると思う

当時は、ユニフォームを学校が貸してくれたものを着るケースが多かった
大会が近づくと背番号と共に渡されるユニフォームが楽しみでもあった

でもこの支給されるユニフォームは誰が着ても大丈夫なように大きめにつくられていた

体の小さい僕はいつもブカブカのユニフォームを着ていた

当時Jリーグが始まったばかりの頃で三浦知良選手に憧れていた僕は、背番号『11』に拘っていた

でも二桁の背番号をつけると背中一杯の数字が自分の体の小ささを目立たせているようで嫌だった

大人になって小さな子どもがブカブカの服を着ているのは、今となっては可愛らしく見えるが、当時は本当に嫌だった

中学生になっても背は低く、サッカー部でお揃いのジャージを購入することになっても、一番小さいサイズを選んでもブカブカでほとんど着ることが出来なかった

かっこいいなぁと思うスパイクや練習着があっても自分に合うサイズがそもそも店にないこともよくあった
その度に無理して大きめのサイズのものを買ってもらって使いにくかったり、似たようなダサいものを買ってもらってはやっぱり違うと思って親を困らせていた思い出がある
サイズがあっていないだけでプレーの質も変わってくるのでモチベーションにも影響していた

今考えると些細なことかもしれないが、当時の僕にとってはかなり深刻な悩みだった

背が低くて他に悩んだことは中学生くらいから、女の子よりも小さくて恋愛に奥手だったことくらいだと思う

背が低いことで得をしたこともあるし、人懐っこい性格やこれが自分の個性であり、自分らしさだと高校生くらいから思えるようになった

今では身長のことで悩むことはない
むしろ気に入っているくらいだ


また今では体に合った服や靴を選ぶように意識している
サイズ的にはかなり増えたので困ることはないが、素材やデザインなど自分にフィットしたものを身につけたいと思っている
自分にフィットしたものを身につけていると身も心も軽くなるような気がするからだ

『身の丈』という言葉があるが、やはり人は身の丈に合った衣服を着たり、身の丈にあった暮らしをすることが幸せなのではないだろうか

僕が専門にしている建築も、拡大解釈すると家族を包む衣服のようなものだ

でもそれぞれの家族にフィットする家はほとんどないと言っていい

なぜかと言うと『大は小を兼ねているから』だ
住宅のような高額で伸び縮みしないものは、あらかじめ大きめにつくられていて対応できるようにしているのだ

必要最小限の素材でつくられていた古い木造建築に比べて今の住宅は基本的に大きい
古い木造住宅と新しい家が混在するような住宅街では顕著にスケールの違いを感じることができる

要は今の住宅はブカブカのユニフォームみたいに身体にフィットしていないように思う

大きければいいのだろうか?
もっとシューフィッターのように履く人に合わせた靴づくりというか、家づくりがなされても良いのではないだろうか

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