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【architect】建築家とは…安藤忠雄に学ぶ

『住吉の長屋』

安藤忠雄の実質的なデビュー作であり氏を世界のANDOたらしめた問題作である

三件長屋の真ん中を梁を切って
間口2間、奥行き8間のコンクリートのボックスを差し込むという狭小地の極みであり工事的にも難易度の高い建築だ

1976年の完成以来、45年が経とうとしているが変わらずに美しく凛とした佇まいを残している

私がはじめて『住吉の長屋』を訪れたのは18年くらい前の大学生の時
大阪の“住吉”という地名だけを頼りに、あちこちを歩き回りながらやっとの思いで見つけたその建築は単純なコンクリートの箱の真ん中に小さな開口が空いているだけの建築ではあるが迫力を感じた

つくり手と住まい手による気迫や長い歴史が建築に魂を宿しているような不思議な力を持っていた


安藤忠雄が『住吉の長屋』に込めたのは
“社会批判としての建築”

時は高度経済成長期である
経済的な論理の元、自然が開拓され無秩序に建築が建てられていた
その代償として、公害や自然破壊が発生していた

そんな状況下で安藤忠雄の建築への原動力は
社会への怒りであった

コンクリートの箱は周囲の社会からの防御の姿勢の表れである

一方でその強固な箱は三分割した真ん中が中庭となっており空に解放されている

最も物議を醸したこの中庭は住宅内の動線を外部で遮断してしまう
雨の日には傘をさしてトイレに行かなければならないという不便さに批判が殺到した

しかし世の中が、利便性や経済だけを求めて次々に何の豊かさもない同じような住宅ばかりを建てる社会にあって、不便でも晴れた日には自然の光が差し込む中庭に喜びを感じる暮らし方を通して、人間的な暮らしを提起したのだ

便利さと引き換えに失った暮らしを、不便さと引き換えに得られる自然な暮らしを通して強烈な形で、かつシンプルに表現してみせたことによる

その後『住吉の長屋』は日本建築学会賞を受けて建築家の名は一躍有名になることになる

社会への問題提起としての建築に、建築家の価値を感じることができる

同時期には、安藤忠雄と同い年の建築家伊東豊雄氏は東京で『中野本町の家』という、これもコンクリートで周囲を囲った、社会への怒りを感じる建築が作られている

大阪万博の後、三島由紀夫が割腹自殺をしたのが1970年である
人々の社会への怒りが、沈静化して高度成長に突き進む日本にありながらも、小さな建築を通して社会への批判を込めるのは、闘う建築家という職能が貫かれている

実際には今も『住吉の長屋』に住み続けている施主が一番の功労者だろう
エアコンも断熱材も入っていない不便な家で45年以上住み続けるのは相当な苦労であっただろう


『住吉の長屋』の流れは、その後西沢立衛氏によって『森山邸』へと解釈や形は変えてはいるが引き継がれているように思う

『森山邸』についてはまた別の機会にまとめようと思う


コロナ禍において『住吉の長屋』や『森山邸』は働き方や生き方についてのヒントが隠されているようにも思う

外界にバリアを張りながらも外に開く構成
人と人との距離感のつくり方

一般解ではないのかもしれないが、コロナ禍における問題提起としての建築が見えて来るかもしれない

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