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単なる下ネタ? それともフェミニズム? カーディ・Bの全米1位曲「WAP」をめぐる政治論争

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ディス・イズ・アメリカ書影1

超ラディカルなセックスソング

アメリカの人気女性ラッパー、カーディ・B(Cardi B)がミーガン・ジー・スタリオン(Megan Thee Stallion)をゲストに迎えて8月7日発表した新曲「WAP」。初登場で全米チャート1位に輝いたこの曲が、いまアメリカで大きな物議を醸しています。

本題に入る前に、まずは改めてアーティスト紹介をしておきましょう。カーディ・Bはストリッパーからラッパーに成り上がった異色のキャリアを持つニューヨーク出身の27歳。ドミニカ共和国出身の父とトリニダード・トバゴ出身の母のあいだに生まれた移民二世です。2017年に「Bodak Yellow」でメジャーデビュー後、女性ラッパーの最多全米1位記録を更新したほか、女性ラッパーとして初めてグラミー賞最優秀ラップアルバム賞を受賞。『TIME』誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。

一方、共演のミーガン・ジー・スタリオンはテキサス出身の25歳。昨年に「Hot Girl Summer」で本格ブレイク後、今年に入ってから同郷のビヨンセとコラボした「Savage」で初の全米ナンバーワンを獲得。いま最も勢いに乗っている女性ラッパーですが、テキサスの大学で医療経営学を学ぶ現役の学生でもあります。日本のアニメへの関心が高く、昨年『PAPER』誌の表紙を飾った際には『僕のヒーローアカデミア』の轟焦凍のコスプレを披露しました。

今回紹介する「WAP」は、このカーディ・Bとミーガン・ジー・スタリオンのコラボ曲として8月7日にリリース。8月22日付の全米チャートで初登場1位を記録しました。リリース初週のストリーミング数は9300万再生。昨年のアリアナ・グランデ「7 Rings」が打ち立てた8530万再生を上回る新記録を達成しています。「WAP」はその翌週も連続で1位になったあと、9月5日付のチャートでBTSの「Dynamite」に一旦首位の座を明け渡しますが、9月19日付のチャートで見事1位に返り咲きました。

最初にお伝えした通り、この「WAP」をめぐって現在アメリカでは大きな論争が巻き起こっています。なぜそんな事態に発展したかというと、それはカーディの所属レーベルであるアトランティックレコードがリリースを怖じけづいたほどに「WAP」の歌詞の性描写が過激であることに起因しています。彼女はアトランティック側から他の曲に差し替えるわけにいかないか打診を受けたそうですが、実際に歌詞を確認してみるとそれも納得の内容。タイトルの「WAP」がなにを意味しているのかというと、「W」は「Wet」(濡れた)、「A」は「Ass」(尻 ここでの意味は“超/めちゃくちゃ)、「P」は「P****」(女性器)。つまり「Wet-Ass P****」(びしょ濡れの女性器)を略したものが「WAP」。要は超ラディカルなセックスソングになるわけですが、詳しい話に移る前にまずは曲を聴いてみてください。ミュージックビデオを見てもらえば歌詞への理解がより深まると思います。

この「WAP」のミュージックビデオには日本のワーナーミュージックが製作した歌詞対訳付きのクリーンバージョン(性的・暴力的な表現を別の言葉に置き換えたバージョン)が存在していますが、結局ほとんどが伏せ字処理を施されていてなにを歌っているのかさっぱりわからないことになっています。ある意味、このクリーンバージョンが「WAP」の過激さを端的に証明しているといえるでしょう。

男たちはなにをそんなに恐れているの?

「WAP」の歌詞をめぐってどんな論争が起こっているのかというと、まず否定派は言うまでもなく「歌詞が下品すぎる。こんな猥褻な歌詞を歌うなんぞ言語道断だ」と反発しています。それに対して肯定派から上がっているのは「いや、これはフェミニズムであり女性のエンパワメントなんだ」という意見。ここで肯定派の声を少し補足すると、たとえばカーディは「WAP」の曲中でこんなことをラップしています。

「私のWAPにすべてを捧げなさい/私は料理も掃除もしないそれでもどうやってこの富を手に入れたのか教えてあげる」

一方のミーガンの歌詞には

「私のWAPが欲しいなら大学の授業料を支払ってね」

というパンチラインがありますが、つまり「WAP」は女性が主体的にセックスを楽しむことを主張する「セックスポジティブ/性的解放」について曲であり、ひいてはこの体は自分自身の所有物であって男のものでも他の誰のものでもないと主張するフェミニズムなのだ、ということです。

この「WAP」論争の経緯を追っていくと、事の発端になったのはラップグループのグッディ・モブ(Goodie Mob)のメンバーでソロとしても2010年に「Fuck You」の全米ナンバーワンヒットを放ったことがあるシーロー・グリーン(CeeLo Green)の発言。彼は「WAP」の歌詞について

「いまの音楽はモラル的に失望させられるものばかりだ。アダルトコンテンツはもっと場をわきまえるべき。カーディとミーガンが自立した女性像や女性の立場から性表現を打ち出そうとしていることはよく理解しているつもりだが、ここまでやる必要はあるだろうか?」

と疑問を呈しました。

そしてこのシーローの批判に対して、カーディやミーガンとも共演したこともある女性ラップデュオのシティ・ガールズ(City Girls)が反論。まずメンバーのJTが

「いま男たちは女性たちが主導権を握り始めていることに恐怖を感じているのだと思う。昔はヒット曲を生み出すためには男と一緒に曲をつくらなければいけなかったが、いまは女性だけでそれが可能になった。私たちはただ自分たちの体やセックスのことについて話しているだけなのに、なにをそんなに恐れているのだろう?」

と持論を展開すると、片割れのヤング・マイアミ(Yung Miami)も

「女性ラッパーがセックスを歌うことに対して批判する連中は黙っていてほしい。男性ラッパーは何十年も前からそういうことをラップしてきたくせに、いざ私たちがセックスについて語り始めたらなぜそれが問題になるの?」

と続けました。

余談になりますが、カーディ・Bは去年このシティ・ガールズとコラボした「Twerk」がヒットしたときにも同様の批判を受けています。「Twerk」は女性が低い体勢でお尻を激しく揺らすダンスのことですが、半裸の女性ダンサーがトゥワークを踊る同曲のミュージックビデオを見た保守派コラムニストのステファニー・ハミルが「#metoo運動が盛り上がっているなかでこれのどこが女性をエンパワメントするの?」とツイッターに投稿。それに対してカーディは「世の女性たちに服を着るのも着ないのも自分の自由だということを伝えている。みんなやりたいようにやればいいんだよ」と反論していました。

話を戻しましょう。このあと、シーロー・グリーンはシティ・ガールズらの抗議を受けて謝罪することになりますが、やはりこれに関してはシティ・ガールズの指摘が的を射ていると言わざるを得ません。男性ラッパーの過激な性表現、女性蔑視(ミソジニー)に当たるような性表現は、これまでさんざん行われ、かつ容認されてきたからです。この問題については、以前にアリアナ・グランデ(Ariana Grande)も言及しています。以下は彼女が2015年に自身のInstagramに投稿したメッセージの一部です。

「女がセックスを好きだと言うとあばずれ扱いされるのに、男の場合はボスだキングだ色男だと囃し立てられる。女がセックスについておおっぴらに語ると辱しめを受けるのに、男が女性をビッチだ売女だってラップすると賞賛される。こういうダブルスタンダードとミソジニーは一向になくなることがない」

このアリアナの投稿に対しては、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)が「常にあなたのことを誇りに思ってる。でも、今日はいつにも増して特別」とメッセージを送ったことも話題になりました。

ミソジニーの構図を逆手にとった確信犯

「WAP」は、こうしたラップミュージックにおけるミソジニーの構図を逆手にとったようなところがあります。この曲中では「There's some whores in this house」というフレーズが延々とサンプリング/ループされていますが、これはフランク・スキ(Frank Ski)が1992年に放ったエレクトロヒップホップのヒット曲「Whores in This House」の歌詞を引用したもの。直訳すると「ここには売春婦/あばずれがいる」という意味になります。つまり「WAP」は、男がつくってきた昔ながらの女性蔑視の価値観にあえて乗っかっていった確信犯的なつくりの曲とも受け取れるわけです。「あなたたちが歌ってきた通りの女を演じているのに、なにをそんなに怒っているの?」と。

実は、この「WAP」と非常に似た構造の曲が2014年に大ヒットしています。それはカーディと同様にセックスポジティブな曲をたくさんつくっている女性ラッパー、ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)の「Anaconda」です。全米チャートで最高2位を記録した「Anaconda」は「私の大きなお尻って魅力的でしょ」と繰り返す自分の体の美しさを賛美する歌。この曲も「WAP」と同じようにリリース当時「下品極まりない」と厳しい批判を受けましたが、おもしろいことにここでも男性ラッパーによる過激な性表現が打ち出された曲がサンプリングされています。引用しているのは、サー・ミックス・ア・ロット(Sir Mix-A-Lot)の1992年の全米ナンバーワンヒット「Baby's Got Back」の「My anaconda don't want none unless you got buns」(俺のアナコンダはいいケツの女にしか見向きもしない)という一節。「Anaconda」のつくりやコンセプトは、ある意味「WAP」の先駆けといえるでしょう。

WAP=男性優位の社会と戦う女性

このニッキー・ミナージュの「Anaconda」がリリースされたときも「WAP」と同様に歌詞の内容をめぐって賛否両論が巻き起こりましたが、今回の「WAP」が「Anaconda」のときと異なっているのは、この議論が大統領選を目前にしたアメリカのなかで政治論争にまで発展していることです。これにはカーディ・Bが熱心な民主党支持者であることが大きな影を落としていて、彼女は民主党大統領候補のジョー・バイデンやバーニー・サンダースとたびたび対談を行なってきた経緯があります。貞操観念に関して保守的で従順な女性像を理想としている共和党側としてはただでさえカーディの主張していることが気に入らないわけですが、そこにきて彼女がライバルの民主党のサポーターを務めているとなればこれはもう格好の攻撃対象になってきます。民主党はこんな下品なラップをしている女性をサポーターにしているのだ、と。

共和党員の主な「WAP」批判/カーディ・B批判を紹介しておくと、まずカリフォルニア州下院議員に立候補しているジェイムズ・P・ブラッドリーのケース。彼は自身のツイッターに

「こんな下品な曲を偶然にも聴いてしまいましたが、自分の耳に聖水を注ぎたくなるような気持ちです。神や強い父親の存在なしに子供が育てられると、こういう事態が起こるのです。これが女性のロールモデルになるのであれば、彼女たちの将来を不安に思います」

と投稿しました。

共和党員として出馬したこともある保守派政治評論家のディアナ・ロレインもツイッターにこんな投稿をしています。

「カーディ・Bとミーガン・ジー・スタリオンは、この下品で不愉快な曲によって女性の地位を100年後退させたのです。覚えておいてください。バーニー・サンダースは自身の政治キャンペーンにカーディを起用しました。ジョー・バイデンによって副大統領候補に選出されたカマラ・ハリスはカーディをロールモデルと称えました。民主党はこのクズ同然の堕落した女性を支持しているのです」

さらにディアナ・ロレインは、ファーストレディのメラニア・トランプ大統領夫人が8月にホワイトハウスでスピーチを行った際にやはりツイッターにこんな投稿をしました。「アメリカにはメラニア・トランプのような女性がもっと必要なのです。逆にカーディ・Bのような女性はもっと少ないほうがいいでしょう」。これについてはさすがにカーディも看過できなかったようで、彼女は自身のツイッターに「たしかメラニアって昔に自分のWAPを使って商売していたよね?」と書くと、続けざまにメラニア夫人のヌード写真を投稿して対抗しました。

民主党側のリアクションも紹介すると、大きなニュースになったものとしてはニューヨーク下院議員のアレクサンドリア・オカシオ=コルテスにまつわるエピソードがあります。ヒスパニック系のオカシオ=コルテスは、2018年に29歳で当選した史上最年少の女性下院議員です。

そんなオカシオ=コルテスがカーディ・Bの大ヒット曲「Bodak Yellow」に合わせて踊る動画をツイッターに投稿したところ、カーディがそれに反応して「あなたは35歳になったら大統領選に立候補すべきだよ」とレスポンスしたのです。オカシオ=コルテスはそれに対してすぐさまカーディに返信。その投稿は「WAP」の頭文字をとった「Women Against Patriarchy」というものでした。これは直訳すると「家父長制と戦う女性」、意訳するならば「男性優位の社会と戦う女性」との意味。つまりオカシオ=コルテスは、「WAP」はフェミニズムでありカーディは女性の地位向上のために戦っているのだ、と暗に主張したわけです。この一件を受けて、2024年の民主党の大統領候補はカマラ・ハリスとこのオカシオ=コルテスになるのでは、という声も上がり始めているようです。

進化するセックスアンセム

こうした「WAP」をめぐる論争を受けて、当のカーディ・Bは

「大きな反響があることは予想していたけど、保守派の人々までこの曲に夢中になるとは思わなかった。そこまで下品な内容なのかな? でも批判されてもぜんぜん怒る気にはならないし、むしろハッピーなぐらい。みんなでこの話題で盛り上がってほしい」

とコメントしています。

 そして、そんな彼女の望み通りいま海外の音楽サイトでは「WAP」を切り口にした黒人女性アーティストによるセックスポジティブ/性的解放を題材にした曲の特集がたびたび組まれています。たとえば人気サイトの「Okayplayer」は「Before WAP: The Evolution of Sex Anthems by Female Rappers」(「WAP」以前:女性ラッパーによるセックスアンセムの進化)と題してその歴史と系譜を紹介していますが、ここで起源のひとつとして挙げられているのが女性ラップグループのソルトン・ペパ(Salt-N-Pepa)による「Let's Talk About Sex」。1991年当時、全米チャートで13位にランクインしたヒット曲です。

ソルトン・ペパは女性ラッパーとして初めてグラミー賞を受賞したヒップホップにおけるガールパワーのパイオニア的存在。最近では映画『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』でも彼女たちの「Push It」が使われていました。この「Let's Talk About Sex」はまさにセックスポジティブのテーマソング的内容になっていて、歌詞では「いまこそセックスについて話し合おう/興味本位じゃダメ/肝心なところを避けたりしないで/イヤならラジオを止めても構わないけど、それで私たちが黙ると思ったらおおまちがいだよ」とラップ。「この曲、やばくてラジオでかけてもらえないかな?/論争になっちゃうかもしれないね」なんて一節もあったりします。当時この曲は高い評価を受けて、タイトルと歌詞の一部をアレンジした「Let's Talk About Aids」がエイズ啓発キャンペーンのテーマソングに使用されました。

「Let's Talk About Sex」がヒットした1991年には、安室奈美恵さんとも共演したことがある女性R&BトリオのTLCのラップ担当、レフト・アイ(Left Eye)がデビュー曲の「Ain't 2 Proud 2 Beg」で当時としてはかなり踏み込んだ性解放を訴えています。1991年は、黒人女性アーティストの性表現における大きなターニングポイントになった年といえるでしょう。

こうした黒人女性アーティストによる過激なセックスソングの歴史は古く、最古のものとしては1930年代の女性ブルース歌手、ルシール・ボーガン(Lucille Bogan)の「Till The Cows Come Home」が有名です。1935年の作品。

この曲のYouTubeのコメント欄には「カーディ・Bのルーツ。言わばカーディ・A」「ミーガン・ジー・スタリオンのグランドマザー」などと書かれていますが、実際その歌詞の中身は「WAP」と比べてみてもまったく引けをとらない強烈な内容。1930年代の時点でこれだけのすさまじい楽曲も存在する黒人女性アーティストによるセックスソング史、この機会にさまざまな音楽サイトの特集を足掛かりにして変遷を辿ってみるのも一興でしょう。

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※本記事はTBSラジオ「アフター6ジャンクション」で2020年9月22日放送された内容を元に加筆修正したものです。

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