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路線バス、心静か

街中をゆく路線バスの動き、ゆったり。
わが街ではご高齢の方々が多く乗るので
急ブレーキ、急ハンドル、急アクセルは
いわばご法度。

運転者さんは、前方左右、車内を
入念に確認しながら、慌てず冷静に
ハンドルを捌いてゆく。
当然に事故ゼロを至上使命とし、
極力時刻表通りに、丁寧に運転する。

バスに乗っているときはさほど
このゆったりは感じないのだが
いざ僕が自家用車を運転しているとき、
バスの真後ろに着いてしまったときは
とてつもなく、実感するのだ。

そのとき、バスが停留所で止まり、
降車するお客さんが多かった場合、
後ろのクルマはバスを追い越そうとする。
危険極まりない行為。
それを知ってじっと待っているわけだが
バスのその動きの遅さにイライラする。

平日の早朝、駅のホームから階段を
大勢の降車客と一緒に降りるときと同様。
極めてのんびり、あるいは注意深く
降りている人の後ろに僕がいた場合、
イライラするのだ。

もうひとりの自分がつぶやく。
「何を急いでいるのですか?」
「慌てふためく理由はなんですか?」
「遅刻をしてしまうのですか?」
「誰かを待たせているのですか?」

「どんなペースで歩こうが
 人の自由ですよ」
「余裕をもって家を出てこなかった
 あなたが悪いのでしょう」と。

現代社会、競争社会。
しのぎを削り、生き残り。
気の焦り、自己保身なり。
単なるせっかち、命を削る。

気がつけば、
自分中心に世の中が周っている錯覚。

クルマも人生も、
日頃の立ち居振る舞いも、
もはや急ぐ歳頃はとうに過ぎ去った。

今更施しようがないほどに
せっかち気質は染み込んでしまった。

ままならぬのが人生。
だから面白く、滋味がある。

頬を撫でる秋めく風が、
長年染み付いた我が急く心をなだめる。

その風に見事に乗って、街をゆくバス。
路線バスに目礼、いや敬礼。
様々に、教わってます。

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