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自分の性質を知りこれからに活かす〜喜怒哀楽から考える

喜怒哀楽の源はどこにあるのか

感情が動くのはどんな時だろうか?


何で喜ぶのか。ここ最近では共演した友人と久しぶりの再会を果たしたとき喜んだ。別の共演者からあなたに出会って人生変わりましたよ!と言われて喜んだ。

あなたの踊りが好きって言われたらいつでも喜んでるし、踊るのはいつだって喜びだ。

まずは表現するのを喜んでいる。そして自分の表現を評価されたり、認め合う人と出会うのを喜んでいる。

怒りの面はどうだろう?最近は嫌な人に会う場面が無くなったのでもっぱら親との間しか怒りの感情は湧かない。

どんな時に湧くのかというと、やっていることの価値を否定されたとき、人任せにしていながら感謝の念がない時、論の破綻した会話に巻き込まれているとき。

これは実は相手が誰であるかは関係がないことに気づく。そして自分対象であるかも関係がないことにも気づいた。

他人の命かけて為すことを自分の価値基準に照らし合わせて判断することに怒りを覚える。
他人任せにしながらも自覚しないことに怒りを持ち、論が破綻して感情でコミュニケーションをとられるのが嫌いだ。行動や感情の自由を妨害されることにも怒りを覚える。

今、親しか怒りの対象がいないというのは、これらの特質を持つ人たちと出会わない人生になって来てるということで喜ばしい限りだ。



哀しいと思うのはどんな時だろうか。哀しいは愛しいに通じる。近しい人が恵まれているのに気づかずに不幸を嘆いているのを見ていると哀しい。切ない。愛しく思う。

懸命に事を為すけど叶わない時は哀しいけど愛しい。

正直に言うと全てが哀しいし、愛しい。人生そのものが哀しく愛しいものだと思っている。私にとって哀しいものはまた、抱きしめたいものでもある。

楽しいときはどうだろう。無意味な冒険やチャレンジを考えている時は最高に楽しい。実行しているときは楽しいけど真剣でもあるな。

知らないことを知るときやわからないことに飛び込んでみるときも怖いんだけど楽しい。

基本的に一人で妄想したり実行したりするのが楽しい。身も蓋もないけど、一人で行動するのが楽しいってことだね。

自分という人間が見えてくる

今、個性豊かな人とつながりながら個人活動してるのは必然だと見えてくる。

その人が信じる限り無価値なものはないという信条や全てが愛しく切ないと思う気持ちは踊りの中に混ざっている。
何ものにも感情を邪魔されたくないという自由への渇望がかなり強いことが踊りにも反映されている気がする。

思い立って喜怒哀楽なんて考えてみたけど、思いの外収穫があった。

今年の年末は去年に比べて今のところ落ち着いているので、振り返りや分析が多い。

来年から新たな展開になるのかもしれない。

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