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行動してわかったことは望みは叶うということ

踊って生きたい

私の願いはとてもわかりやすい。踊りながら生きたい。ただそれだけだ。小さい頃からずっとそう思ってきた。

この中には稼ぎたいとか賞賛されたいとか勝ちたいが1ミリもない。なので、どう生活していくのかは全くわからず人生はお先真っ暗だったが、生きるのは好きなので死にたくはない。

踊りに現を抜かして生きるために教師という固い職を選んだら、就職氷河期第一期で非常勤講師しか無く、やはりお先真っ暗なままだったが、とりあえず踊ることはできた。

来年からは中学社会科の免許を自費で取らないと再雇用しないと告げられ、でもそんな暇も費用もあるはずもなく、行き詰まりを感じた頃に出会いがあり、結婚。商売屋の7人家族の嫁として姑に仕えるようになった。

結婚の条件は踊りを辞めないこと。婚家は何のことやらわからないで許可したんだろうと思う。師は私に教える仕事を紹介してくれた。

教えながら踊る

結婚して3年目に婚家は廃業。実家や友人からの勧めで婚家を出て嫁を辞めた。実家の金網屋とバレエ教師、妻兼母親業をしながら踊り続ける日々。毎日毎日疲れ切りながら幸せだと思っていた。

四十歳になろうというころから、舞踊団の中で踊り続ける私に風当たりが強くなってきた。いい年してまだ踊ってる、というわけだ。

生きざまを踊るのが現代舞踊なのだと、五十を過ぎてからが真の表現なのだと教わり信じて来たのはどうやら私だけのようだった。

同年代は体を壊したり、家庭や仕事が忙しかったりして踊っているのは私だけになっていた。舞踊団の踊りも若い人向けにバンバン動くものが多い。

動きの少ない美、歳を重ねて醸し出される表現を目指している私はここにいるべきではないようだと気付かされ、組織を離れたが踊り続ける気持ちは少しも揺るがなかった。

個人で踊る

踊る機会が無いのだから作るしかないと単純に考えた。最初は屋内広場。無料だったので60人ほど観てくれた。

平場で見にくいと言われたので、次は簡易ホールで公演。¥2,000だったが賃料の高さに驚いた。共演者3人には出演料¥10,000。公演をつくる際には舞台監督は必ず頼んだ。

これは今までお金を払いながら舞台に出ていた自分の為でもある。キチンと対価を得る表現者を増やしていきたかったし、それが当たり前の世界にしていきたかった。

最終的にはこの行為が興行主としての才能の無さを自覚することになった。結果として良かったと思う。

6回舞台を創り、450人収容のホールで¥3,500のチケットで200人のお客様に観てもらったときもある。共演者6人に¥30,000の出演料を支払い大赤字。自分は主催って柄じゃないとわかった。

ちょうどコロナ禍が来て、主催を辞めるにはいい時期だったと思う。存分にやり悔いはなかったし、繋がりも増えた。主催を辞めたら不思議と依頼が来るようになり、踊り続けることが出来るようになった。

私はやはり一介の踊り手であり、また、そうでありたいと思う。

交流しながら踊る

現時点。いろんな地域でご縁が繋がり踊るようになった。

室内なら舞台から部屋まで、屋外なら路上から野外まで、様々な場所で踊っている。

共演者はジャズ音楽、クラシック音楽、舞踏、演劇、声楽と多岐にわたる。

ダンサーのジャンルもコンテンポラリー、クラシック、ハウス、現代舞踊、モダンと皆特色が異なる。

会自体もいろんな特色があるものへ参加している。

ホール周年記念のオペラ公演、地域アートプロジェクト、町内会の催し、自治会夏祭り、セラピスト主催の野外公演、個人主催の公演、福祉施設の催し、公民館主催のイベント。

全部縁が繋がり、踊る機会をいただいている。どれも私にとって等しく価値ある舞台で、いつでも真剣に本気で遊ぶように心がけている。

とにかく踊りながら生きているのは幸せなことだ。

付随してきた役割

公演を主催してわかったことは主催の孤独と覚悟。主催をサポートしてあげたい気持ちが生まれ、何をしたら助けになるかが分かるようになった。

踊りながら運営側に立つことが出来るようになったのは財産である。

苦手なのは会計と総務。得意なのは広報や制作。演出補佐もまあまあ。

主催の頃は全員に手紙を書いていた。お便り書くのは楽しい。ただ、時間と経費がスゴイので今はSNSになってしまうけどね。

生きる姿そのものが表現

踊りも考えも変容し続ける。表現ってなんだろうと常に思う。

生きる姿そのものが表現だから踊りにこだわらなくなったという人もいる。

私はやっぱり踊りたいのだけどダンスではない。多くの人に見られたり賞賛されたりは望んでいない。

偶然見た人が生命を見出してくれたら嬉しい。生きてるっていいなと思ってくれたら有難い。ただ感情が動いてほしい。

私も感じるままに無心で有りたい。踊るときは無私で非日常にいる。

死までこの瞬間を大切に踊っていきたいと思う。

いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨