役に立つことに価値を見出すばかりだと自分が壊れていくという話
マジメでやれば出来る人ほど気をつけないと仕事が増えていく
真面目なこと、責任感があることを非難する人はいない。えらいね、すごいね、頼りになる、助かる…雨あられと称賛が降ってくるだろう。
小さな頃から浴びせられ頑張り屋さんで出来る子だった人ほど気をつけなければならないことがある。
世の中にはズルい人がいるし、出来る人が山ほど仕事があるのも当然だと思う人がいることを知っておいた方がいい。
他の人だと頼めないけどあなたなら大丈夫。あなた無しでは成り立たない。ほんとうに助かった。
そう言われると自分が存在していることを肯定された気がする。
そう、頑張り屋さんで、でも人から嫌われるのは怖くて、役に立たないと価値がないと思い込んでいる人はとても危ないのだ。
依頼が来た時に物理的に可能なら断れない。その物理的な中には睡眠や休憩、食事の時間は1分たりとも考慮されていない。
これは数年前の自分の話。来た仕事を全部引き受けていたら、平日は金網屋の仕事、終わったらバレエ教室の先生、終わったら舞踊研究所のアシスタントとダンサーと飛び回る羽目になった。土日は朝から晩までアシスタントと教師とダンサー。
これの何が問題かというと、本人は心身共に壊れていくのに気付けない。運転して5分で目が閉じるのに疲れているとは思わず、踊って教えることに喜びを感じていた。
あちこちに行っているからオーバーワークを誰も気付けず、ただぼんやりして仕事の出来ない人だとレッテルを貼られながらも助かるわと言われている状態。
体はボロボロで常にケガして痛んでいたし、心は自己否定でいっぱいだった。それでもそこでしか踊れないと思いこんでいて力尽きるまでしがみついていたのだ。
力尽きてしがみつく手が離れて、落ちたと思ったらそこは地面ですぐそばにエスカレーターがあった。今はそんな心境なんだけど、だから盲目的に頑張って人が良くて壊れていく人の心境はよくわかる。
他人は止められない。本人は何も悪いことはしていないし、何なら感謝されているのだから。全部手放した時の方がよほど悪いことをした気分になる。相手が追い込んでいる面もあるのだけれどね。
ただし、被害者であるわけではない事は肝に銘じたい。ある時期に馬車馬のように働き、あらゆる理不尽な経験を乗り越えてきたことは充分に活かせることも実感している。
自分の特性を知るきっかけになり、生身の人間の限界を知ることもでき、集団の中にいる様々な人間を知ることが出来た。
そして何より私はギリギリ今生で脱することが出来たのをラッキーだと思っている。もっと早く気づく人もいるし、もっと遅くて諦める人もいる。
私は40で人生折り返し地点だなとふと思った時に今のままだと死ぬに死ねないと強く思ったのだ。心の中に泣き叫んでいる自分がいた。どこにこんな思いがあったのか。幸せだと毎日思っていたのに。
そこからが世界を見る目が一変したのだ。
あなたの人生はどうだろう?
がんばればできる、責任感がある、ケガが多い、疲れている…そんな自分に気がついたら少し立ち止まって考えてほしい。
あなたの身体はあなたの奴隷ではないし、あなたは何もしなくても役立たずでも存在価値があるのだ。なぜならそれは他人からの評価に過ぎないのだから。あなたの評価は自分が決めるもので、それはいつだって愛情たっぷりのものであって欲しいと思う。
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