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Beside|Ep.7 どうしようもないきのう

Beside-あなたと私のためのベットサイドストーリー

最悪な金曜日の延長線上、気だるい朝、ひとりぼっちの夜
みんなはどんな週末でした?

chap.1 Saturday, AM10:00

「あーだるい…」
むくんだ指でスマホを探す。朝?あぁ、もう昼か。大丈夫今日は土曜日のはずだ。昨夜の記憶は曖昧だが、どうやら家には無事に帰ってきていたらしい。伸ばした手が寒くて、またすぐに布団に避難させる。妙に窮屈だと思ったら、ブラウスにスーツパンツのまま着替えずに寝たようだ。頭も体も酷く重い。ひどい有様だな。

新着メッセージ2件

ーヌナおはよ
ーホソギヒョンからの差し入れ冷蔵庫に入れておいたよ
ー練習行ってきます!夜ご飯タイミング合ったら一緒に食べようね

そうか、ジミンが連れて帰ってくれたんだったか。練習とバイトで疲れているところ、おばさんのお世話とは、誠にかたじけない。私もそろそろ学習してもいい歳だ。お酒を流し込んだって、本当に忘れたいことは忘れられないんだってこと。案の定、今回も何にも忘れられていない。翌朝のこのどうしようもない倦怠感と一緒に、もう二度とは呑まれまいと立てた誓いでそろそろ家が立ちそうなものだ。

冷蔵庫をあける。お手製の煮物がおはようアミちゃんと顔を出した。ホソクの綺麗な鼻筋とスレンダーな横顔が浮かぶ。いつの間に煮物なんて仕込めるようになったんだろう。二日酔いに沁みる、さっぱりした味がありがたい。塩味と甘味、塩と砂糖のバランス。ふっとよぎった顔と一緒に一口だけ咀嚼する。シャワーを浴びたら、日光消毒に行こう。巣食ったマイナス思考を退治しなければ。荒れた胃腸と重い頭のためにも、牛乳たっぷりのカフェ・ラテが飲みたい。

いつもの2倍ほどになったような重い身体を引きずってようやく手に入れたコーヒーを手に、いつもの公園のベンチに腰掛ける。まるでこちらの事情を映したかのような分厚い雲が、空一面、灰色に広がっている。日光消毒は到底無理かもしれない。やけに寒い日だ。今日は雪でも降るのかな。呼吸を整えてから、やや覚悟を決めて、もう一つの未読メッセージをあけた。

ーアミ、さっきは悪かった。
ーシンガポールは俺も一緒に行くから
ー心配すんな

糖度高めのカウンターパンチ。
まったくユンギは優しすぎる。

昨日の件は、誰がどう見ても私が悪い。カンファレンスの開催支社が、よりにもよってシンガポールだったことは確かに予想外だった。ソジュンもあちらでマネージャーになったと聞く。あれから5年ぶりに顔を合わせることになるだろう。でも、何よりも予想外だったのは、《《そんなこと》》に未だに動揺する自分だ。口では気にしてないと言っておきながら、未だにくだらない噂話を聞き流すことも、昔の失敗を忘れることもできないまま、イラついて後輩に八つ当たりし、フォローに入った上司に噛みついている自分。それなのに、ユンギが一緒に行ってくれるなら安心だと、何故か思っている自分。ユンギに相当気を使わせている自分。どれもこれも、まったくもって情けなくて嫌になる。ユンギはもうとっくに上長マネージャーなんだから、堂々とアサインすればいいんだ。行ってこいと言われれば、私に拒否権はない。

ーいつもは塩のくせに、そういう時だけとびきり甘い。

そんな上司同期に私はどんなに頼りなく映っていることか。あれから5年も、誰も帰ってこない空っぽの部屋に住み続けて、今もグズグズとしている私は。

ーああ、カッコ悪過ぎて合わす顔がない
ユンギに謝らないと。テヒョンにも。

いいかげん、こんな自分にはうんざりなんだ。
どうしたらいい。
どうしたら昔みたいに、自分に期待できる。

chap.2 Saturday, PM1:00

昼も過ぎると気持ち悪さはだいぶ引いていくものだ。このまま昨日の失敗も無かったことにならないものかと現実逃避する体力が少しばかり戻ってくるタイミング。それでもここから何か新しい予定を立てる気にもなれず、仕方がないので金曜日のアレコレで終わらなかった仕事を片付けに行くことにした。月曜日まで引きずるよりはマシだろう。がらんとしたフロアにはポツポツと人が座っている。みんなはどんな金曜日でした?私は酷い日でしたよ。

ラップトップを立ち上げて会社のイントラネットワークにログイン。通算何度打ち込んだんだろう、このパスワードは。そしてこれから、何度打ち込むことになるんだろう。いい時も悪い時も、これからもずっと続いていく毎日の始まりのような儀式。どうしようもないきのう、その延長のような週末、そしてまたくる月曜日。その無限の繰り返しのその先にいる私も、こんな風にブルーライトに照らされて、冴えない顔をしてるのだろうか。

もしかしてユンギがいるかもと期待したけど、この週末には出社していないようだった。会えたら昨日のことを謝るついでに、気を使わなくて大丈夫だと伝えたかった。たまにはカレンダー通りに休めているみたいだ。当たり前のことに少しだけ安堵した。

chap.3 Saturday, PM6:00

2時間くらいで帰ろうと思っていたのに、気づいたら平日のオフィシャルな終業時間と変わらない時間になっていた。すっかり日は暮れて、しんとした寒さに街も凍えている。今夜、雪は降るのか降らないのか。天気予報は曖昧だ。

夕飯の買い出しをしにスーパーに寄る。キノコ、白菜、鶏肉…寒いからか、気づいたら買い物カゴが2人前の鍋の材料で埋まっていた。今日もまたお腹が空いたとそわそわしているだろうか。暖かい食べ物は美味しいと喜んでくれるだろうか。買い物袋を持つ手をさすりながら坂を登る。家に着く頃にはつま先まで冷え切っていた。

ジミンの姿は見えない。リハーサルはまだ続くのかもしれないし、特別夕飯の約束をしているわけではない。私は何を期待してるのだろう、こんなに買い込んだりして。まさか、早く帰って来てほしいと思っているなんて。雪が降るかもしれないから、降り出したら大変だから、心配しているんだな。そうだ、きっとそうに違いない。

chap.4 Saturday, PM9:00

ジミンが帰ってこない。

何時に帰ってくる?とメッセージしようとしてやめる。私は母親や、ましては恋人ではないのだから、気持ち悪いことはやめよう。雪だろうが台風だろうが、土曜の夜に青年が遊ぶことは普通である。今夜は帰ってこないかもしれない。ルームメイトとタイミングが合わなかっただけじゃないか。ただそれだけのことが、どうしてこんな気持ちにさせるのか。

1人で鍋というわけにもいかないから、あきらめてホソクの煮物を温める。今夜の結末のために予め用意してあったかのような、優しく寂しい湯気を燻らせている。塩と砂糖の絶妙なバランス。最悪な金曜日の延長線にひとり取り残された私。惨めで、虚しくて、情けなくて、悲しい。落ち着いてよ、私。こんなの、つい数ヶ月前の、いつもの日常じゃないか。泣く必要はない。大人がみっともない。

空っぽの部屋は、急に温度が下がってきた。
今夜やけに冷えるのは、天気のせいだけじゃないのかもしれない。

chap.5

遡ること数時間前

「えっと、こんな山奥なう」って呟けもしない。
今の時代に圏外になる場所がまだあるんだ。きっと都内にいても寒かっただろう気温は、陽の傾きと共にどんどん下がってきている。どうみてもハイキングコースにしては傾斜強めの山道。目的地はまだ見えない。このまま雪が降ったら、遭難するのだろうか?いや、まさかね。

「ねえ、もしかして、僕たち迷子?」

真っ白な吐息混じりに問いかけてみる。
一歩先を歩く背中は、大丈夫だと頷いている。
募る不安を振り払うように、ジミンは山道を登った。

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