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【終戦75年】 「戦争を起こしてはいけない」という議論のタブー視が、また戦争を引き起こす原因になる 【失敗の本質・読書メモ】

はいどうもこんにちは、20代怠け者です。

先日から、オーディオブックサービスのオーディブルで、
1984年に出版された「失敗の本質」という書籍を読んで(聞いて)います。

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この本をざっくり解説すると、
①戦時中の日本軍の大失敗(大敗北)作戦をふりかえって
②当時の日本軍の何が問題、失敗だったのかを分析する

というものです。


日本が戦争で負けた理由を端的に表せば

「物量で完全に負けているアメリカと戦争をしたこと」

自体がそもそもの敗因になるわけなんですが、数々の戦いや作戦を深堀りしてみると、日本軍特有の文化や特徴によって大敗北をしたケースが少なくない、と言われています。

この本は、そうした失敗の原因、本質を分析していこうというものですね。


これまで「失敗の本質」という名前は聞いたことはあっても読んだことがなかった本の1つだったんですが、オーディブルの対象となっていたので、ちょうどいいや! ということで今回始めて本書を読んだことになります。

今日は2020年8月15日、まさしく終戦から75年ということで、ドンピシャなタイミングでの投稿となりますね。

このタイミングでこの本を読んでいたのは、狙ったわけではなく、完全に偶然です。

それでもこの節目、この本の感想を書くなら今!この日しかねえ!

…ということで、今この文章を書いている次第です。


このnoteでは、「失敗の本質」の内容をご紹介しつつ、その感想と、現在社会にも色濃く残ってる「当時の失敗をまた繰り返しそうな要因」について、まとめてみようかなと思います。

今回書いた内容は今初めて思いついたことではなく、ずっと前々からぼくの脳内でゴチャゴチャと渦巻いてた、とりとめのない考えをまとめてみたものです。

本書を読んだことをキッカケにして、改めて前々から思ってたこと・色々と頭の中で考えていたことを整理するために、noteにアウトプットしました。

結構長くなりそうですが(というか、前置きからして長い)興味があればぜひ最後までお付き合いください。



【日本軍が失敗した6つの戦い】

さて、この書籍で分析されている事件・戦争・作戦は以下の通り。

・ノモンハン事件 (失敗の序章)
・ミッドウェー作戦 (海戦のターニングポイント)
・ガダルカナル作戦 (陸戦のターニングポイント)
・インパール作戦 (賭けの失敗)
・レイテ海戦 (自己認識の失敗)
・沖縄戦 (終局段階での失敗)


この戦闘の中には日本兵が数万単位で大量戦士・餓死・病死するような悲惨すぎる作戦もあります。

4番目のインパール作戦なんかは特に悲惨で、戦闘そのものよりも撤退命令が出た後の敗走時の方が死者が多く、雨季の熱帯のジャングルでの餓死やマラリア、赤痢などによって死者3万人にも達した…という地獄みたいな話です。

もちろん本土での戦いとなった沖縄戦も、泥沼化していく過程での悲惨さは軍人・民間人ともに凄まじいものでした。

(YouTubeに、これらの戦いのドキュメンタリー動画が結構UPされてます。 時間があれば、見てみてください。)


「たった75年前にこんなことが本当に起きたのかよ…」

と、改めて戦争の悲惨さについて呆然としてしまいました。
こんなバカな作戦と死に方があるか、っていう。

(しかし、この本の中では至極淡々と、戦況について語られてます。 そのせいで余計に不気味さが増すというね。)


正直にいうと、平和な時期であれば過去の戦争の話は「過去の話」として、あまりぼくの中では響かなかったのは事実です。

しかし今、必ずしも日本がこのまま平和でいられるかというと疑問があります。

主に中国の高圧的な外交や香港・ウイグルへの圧政・独裁は世界の裏側の知らない場所で行われているのではなく、まさに日本が当事者になりかねない脅威なわけですよね。

「戦争の危機」というものがもっとリアルに、もっと現実的に再び起こりそうな当事者感が、一昔前よりも感じられうようになってきました。

「いずれ日本も香港みたいになってしまうんじゃないか」

という恐怖感は、少しずつ現実的になってきています。


よくテレビやニュースでいう

「戦争を再び起こしてはいけない」

という世間の気持ちはとてもわかるし、その通りにしていきたいのだけど、それと現実とで少しズレというか、違和感を感じるのも事実です。

この辺はこのあと詳しくお話します。


【戦時中の失敗の要因】

ということで、「失敗の本質」で語られている日本が戦争で負けた失敗の要因をまとめると、このようになります。


1️⃣合理性ではなく、結論ありきの作戦立案
→「敵勢力を撃破して領土を取る」という司令官の結論ありきで
 無謀なインパール作戦が強行される


2️⃣不測の事態に対する対応策、「コンティンジェンシープラン」の欠如
→敵勢力から食糧を奪取する前提の作戦で、
 奪取できなかった場合の対応策などが皆無だった
→始めから無謀な作戦+不測の事態への対応策がない=悲惨な結果


3️⃣意思の統一、目的が不明確
→陸軍と海軍とで仮想敵国や考え方がまったく違った
→司令部の中ですら本音を言わず「察しろ、わかれ」といった
 意思疎通の曖昧さが、戦闘の長期化・死者を増やす結果となった


4️⃣悲観的・慎重論を軽んじる、封殺するという組織の風潮
→合理的な慎重論を封殺して突き進めた結果、無謀な作戦で死者が続出した
→議論のタブー化


5️⃣グランドデザイン、大戦略の欠如
→米国との戦争とその終結の定義、
 その具体的方法が不明確なまま戦争に突入したのが負けの原因
→米国は勝利の定義が明確で、それに向けて各作戦が進められた


6️⃣場当たり的な対応・戦力の逐次投入
→大戦略がないから、戦闘の判断も逐次対応になった
→部隊が壊滅したら次の部隊を出してまた壊滅する…
 というガダルカナル島の戦い


7️⃣責任者が責任を取らない、責任の所在が不明確
→無謀な作戦で沢山の死者を出した司令官が、
 数年後にはさらに出世して作戦の指揮を取ることが何度かあった
→そして、似たような作戦強行を繰り返した
→自浄作用、改善が生まれない組織


8️⃣論理よりも、声の大きな者が優先される空気感
→合理的な成功確率よりも
 「大和魂の有無」が作戦内容の決定に影響を与えていた
→議論を許さない風潮・タブー視


こうしてザッと見ていくだけでも「日本軍の特性って未だに日本の組織・企業に残ってるな」と感じられると思います。

粉飾決算によって大きな赤字を隠蔽していたにも関わらず経営陣が責任を取らない、という事例は少なくないです。

そもそもその粉飾決算が起きる原因が「声の大きなものが優先される文化」「消極的な者、慎重論を封殺する文化」にあったりもする。

「原発は絶対に安全」
という神話ばかりが先行したために、崩壊した場合の対応策が不十分なままだった原発事故、などなど。

日本軍の敗北の要因は、今の日本の組織でも脈々と受け継がれているわけです。

まあ、それが日本人(の組織)の本質なのかもしれないけど…。


【現在も残っている失敗の要因】

で、現代に話を戻すと、この時の終戦の苦い思い出から、日本人の戦争に対するムードってのが正反対に変わってしまったのですね。

「戦争絶対勝てるぞ!勝てないと思ってるやつは軟弱者!」

「戦争は絶対してはいけない!
戦争準備を考えるやつは危険思想の持ち主だ!」

…という具合に。


ぼくは日本軍の失敗の要因の中でも「議論のタブー視」という部分が、一番の根本的な問題なのだと思っています。

戦時中は慎重論などの反対意見を述べることをタブー視するという、組織的な空気感がありました。

失敗した場合、思い通りに事が進まなかった時の対応策を考えるのは「初めから負けると思っている軟弱者の思考」と切り捨てられてしまっていた。

今はそういうふうに慎重論を軟弱者だ!と押さえつける空気は(そんなには)ないですが、今度は逆に「戦争することを少しでも考えることは危険思想だ」という方向に変わっちゃったわけです。


現在の情勢でいえば、

「中国や北朝鮮がいつ攻撃をしかけてくるかもわからないので、
国防のためのミサイルや制度を整えるべきだ」
という意見に対し
「戦争の準備を始めようとしている!
また戦争を繰り返すつもりだ!危険思想だ!」

なんて言われてしまい、議論そのものがタブー視される…という具合です。


一昔と比べて、今はネットで自由に発言できるようになった(このnoteもそう)ので、意見の発信自体は当時よりも格段にできるようになったけど、

なかなかネット上ではマジョリティの意見一辺倒になってしまって、建設的な議論が出来てるとはまだまだ言えない状況です。


【北方領土問題でも起きた議論タブー視】

ちょっと話がズレますが、少し前に北方領土を取り戻すという地元同士の交流運動の中で一議員が「戦争以外で取り戻す方法はないのではないか」という発言をしたことがタブー視されて総叩き、政党を離党させられるという話もありましたよね。

その発言が良い悪いという問題は別にして「戦争しないと取り戻せないのでは?」という議論自体をタブー視・黙殺して、その発言者を処分してしまうという所に、ぼくは当時すごい残念感を感じました。


実際、合理的に考えるとロシアが国土の問題で「地元民同士の交流」なんて甘い行動で返してくれるわけがないじゃないですか。

戦争にも含みを持たせた政治的圧力や交渉を行なって、はじめて取り返せる可能性が現実的に出てくるわけです。 (領土問題の解決とはそういうもの)

なので本当に取り戻したいなら実際に戦争する・しないに関わらず、議論はするべきなんです。

しかしこの時の関係者は議論を放棄してしまった。

二国間の領土問題という話である以上、戦争という要素は必ず出てきます。

しかし、戦争という言葉を出すだけでタブー視して議員を追い出してしまった。


これ、方向性は違えど、まるで戦時中に慎重論を唱えた部下との議論を放棄して、その部下を更迭してしまった日本軍指揮官と、根本は同じなんじゃないかなと思うわけです。

日本軍の失敗の理由の1つだった議論のタブー視は、現在も普通に行われいることを示す、これまた1つの例ですね。

国防のための「核武装」そのものの議論をタブー視することなどなど、これと同じようなことは、他の多数の問題でも沢山起きているのでしょう。 現在進行形で。


【大戦略の欠如】

もう1つ、アメリカが太平洋戦争で日本に勝った理由として失敗の本質で分析されているのが「戦争に勝つ基準、戦略が明確であった」という点です。

当時のアメリカの大戦略としては「日本本土を攻撃して戦争を終結させる」という明確な目的があり、各戦闘・各作戦もそれに沿って行われてきたと解説されています。


例えばアメリカ軍によるガダルカナル島の攻撃・確保は、長期的に見て日本本土を攻撃するための足がかりとして重要な土地であり、大戦略のためにここを確保する必要があると考えていた、など。

こうした大戦略が日本軍は曖昧だったために、各作戦の目的も曖昧になり、結果的に負けたのだ、というのが失敗の本質での分析です。

(日本の大戦略は「太平洋でアメリカの戦艦を撃退&自衛を確立&米国の戦意を削いで講和を有利に進める」という漠然としたものだった)


そこを戦後と現在の日本に当てはめると

「二度と戦争をしたくない」


「じゃあその目的を実現するためには具体的にどんな戦略を取るのか?」

という部分が抜け落ちてるように思います。


・防備を備えて万一の時は対等に戦い、平和を守るのか?
・それとも経済的に優位に立つことで戦争できなくさせるのか?
・交渉をもとに相手との戦争を避ける?(そのためのカードは?)

どの方向性で戦争を避けるのかよくわからない、というのが日本の現状です。


実際に突然、敵国が物理的に攻めてきたときにどうするのかという対抗策、「失敗の本質」でいう「コンティンジェンシープラン」も不明確。

もし仮に米軍が沖縄から撤退することになった場合、国防をどうするのか?という部分も、正直言って全く検討・議論されてないですよね。

むしろ、そうしたことを考えることすら放棄してるのでは?という感さえあります。

そういったところが、尖閣諸島に連日侵入されるままという状況をつくりだしているのではないでしょうか?

(尖閣諸島の侵入問題については、明かされていないだけで、もしかしたら明確な行動基準があるのかもしれませんが。)


この「目的と戦略の明確さ」については現在のアメリカもやっぱり強くて、

「アメリカのセキュリティや国防の妨げになるものを排除する」

という大戦略がハッキリしていて、アメリカ政府のすべての行動がそれにつながってます。


【アップデートされていない戦争感】

アメリカは良くも悪くも太平洋戦争以降も戦争を繰り返してきた国ですから、そうした「戦争感」もアップデートされてきたのでしょう。

実際、戦争の定義も年々変わってきていて、大国同士の戦争は、いかにも第二次世界大戦のような軍艦や戦車で戦う類のものではなくなってきています。

・サイバー戦争
・インフラ戦争
・経済戦争
・資源戦争
・情報戦争
・政治戦争

こんな感じで、一見して目に見えづらいものにシフトしてきているようです。


これらが「戦争」だとするなら、とっくのとうに中国とアメリカは戦争をしていることになりますよね。

日本に対しても中国はずーっと前から戦争行為を行ってる、ということになります。

例えば中国は国策として各国の政府機関や大企業に対してスパイ行為やハッキングを行っている(サイバー戦争)し、

ファーウェイなどの企業を使って5Gなどのインフラを総取りすることでインフラを支配しようともしている(インフラ戦争)し、

日本の水資源を買い漁って資源的にも囲い込みをしようとしている。(資源戦争)


今話題にされているTikTokはプライバシー情報のスパイ目的という側面もあれば、

若者向けのSNSを掌握することで自国(中国)に有利なプロパガンダを流すための方法として使おうとしている、という側面も指摘されてるわけです。


とまあこのように、新しい戦争はすでに始まってるんだ!

…というように考えをアップデートしてないと、未だに「戦争は軍艦や戦車でやるもの」という考えのまま、新しい戦争に無防備なままになってしまう。

「戦争は悲惨だから繰り返しちゃいけないんだよ」
って語り継ぐのはいいんだけど、それ自体が別に抑止力になるわけではないよね。

むしろ戦車や飛行機が空爆してこなければ戦争じゃない、という考えを与えるほうが、現代の情勢ではマイナスですらあるんじゃないだろうか。

終戦が近づくにつれてニュースでは「戦争体験を語り継ぐ人たちの高齢化が問題に」という報道がされるけど、それ自体は本当に問題なんだろうか?

なんだか、「語り継ぐこと自体が目的」になってしまい、「本当に戦争を避けるために何をするべきなのか」という部分が置き去りになってしまっているという感を、どうしても受けてしまう。 (手段の目的化)

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新しい定義の戦争では、そうした戦争状態…戦車とか兵隊が攻めてくるようになった時点で負け確定、とすら言えます。

この時点で、すでにシステムからインフラから情報から何もかも、敵国に掴まれてる状態になってしまうからです。

(現代で言うなら、香港みたいな状態になってから真剣に防御を考えても無駄、ということ。)

そうならないためには、「戦争は悲惨だからやっちゃいけないんだよ」って話を語り継いでいくだけじゃなくて、もっと合理的な防御策を取っていくように議論していく方が、よっぽど大事なんじゃないかと。

「戦争は悲惨なので繰り返してはいけない」
ということを
「新しい脅威に対応するための軍備拡大すら考えちゃいけない」
にすり替えちゃいけないんだ、ということですね。

虎視眈々と水面下で侵略されている状況ですら議論をタブー化して思考停止していることこそが、次の負け戦争を引き起こす原因になるんじゃないかなと、考えてます。


【まとめ】

①日本が戦争で負けた理由の1つが「議論のタブー視」
②議論のタブー視は現在も起きている
③戦争は、昔のようなものではなくなってきている
④本当に怖い戦争は、水面下で進むもの
⑤本当に惨事を避けたいなら
 「過去の戦争」より「現代の戦争」のことを議論した方がいい

以上、ぼくの脳内でゴチャゴチャしていた考えをまとめてみました。


「失敗の本質」で日本軍の失敗の理由を読んでいるうちに感じたのが、「あ、これ同じ失敗が別ベクトルで繰り返されてるんじゃないか?」ということでした。

この本、日本人特有の「ダメな部分」の反面教師として、かなり読み応えのある内容なので、興味があればオーディブルでも文庫本でも電子書籍でも良いので、一読してみてください。

ただ、本としては若干冗長なところもあり、「序章 本書のねらい」の部分はぶっちゃけ流し読みでもいいと思います。笑

本題は1章の失敗の経緯と、2章での失敗要因の分析の部分です。

極端に言ってしまえば、ここさえ読めばOKかな〜と。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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