ラストキス

あまり知らない布団の中で目覚めた午前10時
のろのろと起き上がってパンツを探した

最後にカシミヤのコートを着て扉を開くと、
春の空気に包まれた。

空は柔らかなブルーで、
立ち寄った花屋に溢れるのは黄色
ミモザ、ラナンキュラス、チューリップ
陽の光を凝縮したように輝く花たち

さて、帰って洗濯でもしようか。と思った矢先に
小田急線、運転見合わせのアナウンスが。
わずかな時間でホームは人で溢れかえる
その様子にうんざりして早々に諦めて改札を抜けた

ふらりと線路沿いを辿ると見つけた喫茶店の看板
お、これはいつの日かに誰かが薦めてくれた店だ。と
ピンときて、緑色の扉を引いた。
リズムを刻むピアノとその後ろにはコントラバス、
耳心地のよいジャズが迎えてくれた。
愛想の良くないおばさんに案内されて窓際の席に腰をかけた。
隣の人が食べているナポリタンを盗み見て同じものを注文した。
前にナポリタンを食べたのはいつだろう。
今度のデートはナポリタン食べに行こうよ、なんて約束したことがあったなぁ。結局行ってないけど。

白いテーブルに置かれたナポリタン。
ケチャップでテカテカと光るスパゲッティはなんとも魅力的な見た目をしている。
粉チーズを振りかけてみようか。
傾いた陽の光で赤く染まった山に、
雪を降らせるように。

その時に唐突に耳に流れ込んできたジャズピアノのメロディ
袖を通し慣れたコートのように耳に馴染むその音楽は
      「first love」
前のサラリーマンの吐き出す煙はぐるりと反時計回りに空気を彷徨った

さきほどすこし思い出した彼、
ナポリタンデートの約束をしていた彼。
彼の存在が私の中に雪崩れてきた。

あのドラマを真似して、尋ね合った好きな食べ物。
好きな食べ物何?ナポリタン。
心がくすぐったくて、ふわふわして、どこかに飛んでいきそうな感覚。
ブランケットにくるまって君の腕に抱かれて、観た、
12話のドラマ。
一月の冷たさを感じない2人の空間
非現実のように幸せな時間を噛み締めていた、
体温を分け合って心を通わせて。
君の腕の中は全部の痛みや不安を忘れちゃうくらい無敵の場所だった

タバコのフレイバーはしなかった、
彼との最後のキス

終わりたくない夜はあっさり終わりを告げて、朝がやってきた。
柔らかい陽が差し込んでいたお昼前。いつもの部屋。
光に縁取られた彼の輪郭をなぞって、
横を向く彼の顔に手を添えて顔を寄せた。
別れを前にして、私たちは唇を重ねた。
透明で綺麗だった。

ぐちゃぐちゃと取り巻く難しいことをすべて排除して、
2人の想いだけが抽出されたような
キラキラしたキスだった。


チーズは山盛りになった。

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