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5月後半から6月初旬の雑記

映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』観る。ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ時も感じたが、イギリスは格差社会や社会保障の問題が強くイシューとして共有されている。保障制度や役所批判等の社会構造的な文脈と、どう生きるべきかのは常に混ざり合い、常にその両方に個人は引き裂かれ続ける。日本でもインターネットに不慣れな高齢者 がコロナワクチンの予約が困難だった問題があるように、少なくとも社会的弱者を救うために制度はあるのだから、社会的弱者がアクセスできるように設計することは当然必要であろうし、市井に生きる一個人としては制度や仕組みを理解して対応していく態度も同様に必要なのだと感じる。後者は仕組みの側から決して言えることではないが、私個人として今後取り残されない為に努力する必要もあるという意味で、そう自戒している。大きな流れとしては「結局、国家や共同体は個人を救えないのだから、ミニマルなコミュニティーで幸福を実感するしかないし、個人個人それぞれが上手に生きることしかないよね」ってことがグローバリズムの中でどんどん先鋭化されてるんだなー、と感じる。大きな物語にはもうノレないのだ。緩やかなパラダイムシフトにどう対応していくのか。

楽天の「お買い物マラソン」という言葉に宿る狂気。我々は消費やめることは許されず、このコースを走り続けねばならない。ポイント(効率的な消費活動を履行しているという満足感)という人参をぶら下げ、走る。お買い物マラソンのゴールには果たして何が待っているのだろうか。ディストピア感しか感じない。そして、豊田屋のキムチお試し6種類セットをポチり、私の浅い思索の旅は終わった。

下北沢goodybaseで娘の髪の毛を切った後、教えてもらったカキ氷屋天ノ屋へ。娘と協議の結果、杏仁イチゴをオーダー。まあ、800円くらいするし、高いんだし、まあまあうまいんでしょ?という勘繰りを軽々と越えてくる感動。かき氷って今こんなことになっているのか、という驚き。脳内のセコイ算盤は〈原価率〉などというキーワードを浮かばせるが、ふわふわの氷とちょうどいい甘さのシロップで超絶美味く、算盤は完全に破壊される。再訪確実。8月にはgoodybaseでイベントやりたいな。

スポーツドリンクを「スポドリ」と略す奴は信用できない。

東京浴場で工藤保則「46歳で父になった社会学者」を購入。出来るだけモノを増やしたくないのでkindle white paperで買うようにしているのだが、本屋で見かけて気になった本は出会いだと思って、出来るだけ買うようにしたい。ライトに読める育児エッセイということと、ダブルインカム+社会学の視点が混ざっており、自分に近しい条件から気づきを得られるのかも知れないという期待を込めつつ。読んだことない本を読み、行ったことないところへ行き、食べたことないものを食べ、話したことのない人と話す。これを小さな人生を楽しむ基本と心得る。

昔のバイト時代の友人とzoom呑み。当時の話や、<20代、その後>の話などで盛り上がる。みんなバンドをやっていて、音楽を中心に人生を運んでいるが出会いや家族や労働の中で自分のおける環境や考え方をチューニングしながら日々を過ごしていると改めて実感。その中で、Weezerの新譜が素晴らしいぞという評判を聞き付けアルバム「OK human」を聴く。昔からの超絶泣きメロはそのままに、後期beatlesに通ずるストリングアレンジ。ポールマッカートニーも思わずにっこり。


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