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#6 絵を描くことについて


小さい頃絵を描くことは楽しみだった。頭の中で想像した言葉やイメージを形にして遊んでいた。それも大抵スケッチブックではなくて線の入ったノートやチラシの裏側に描いていた。今ではチラシがあまり家に届かないので、そんな経験も減っているのだろうか。またノートの代わりにiPadが普及され、時代が変わっていくとどんなふうに落書きが生まれるのだろう。

線入りノートに描いた落書き


そう、はじめは絵を描いているというよりも落書きをしている感覚だった。でも次第に幼稚園や絵画教室で一枚の紙に絵を描きあげて、それをお母さんにみせたとき、それが絵を描くということだとを知った。でもそれは先生からテーマが与えられて、それにそってただ顔や家族、または行事など、見えたものをそのまま描けばよかった。

当時描いたものではないが、私が一番古い記憶の中ではじめて完成させた作品がお皿絵でした。

でも小学生になるとそうはいかなくなった。幼い頃から落書きを描いていたせいか、その落書きから生まれる絵と、学校から求められる課題で描く絵とがチグハグになっていったのだ。このことを悟ったとき微かに心のなかで違和感を覚えた。軽い引き出しを開けようと思って、引っ張ってみたらとても重たくて、認識と手の感覚がチグハグになるような…
それは、何を描いても喜んでくれる母に渡す絵と、先生に提出して他の生徒と比べられる絵との気持ちの違いだったのかもしれない。

チグハグのイメージ図

中学生と高校ではあまり美術に関心のない学校だったせいか、肩の力を抜いて美術の時間を過ごしていた。そこで県展のポスターを見つけて、絵を描いたところ賞をもらってから他の公募展にも出すようになった。私が描いた作品を学校の友達は知らなかったから、描きやすかった。学校にいる一面的私を認識している友達が、絵を描く私を知ることへの怖さがあったからだ。それは幼い頃から描いていた落書きである内側に秘めた感情が、私という人間を介さず誰かに悟られるような気がしたからだ。

高校生のときに公募展に応募した版画作品

その後、留学して一人でいる時間が増えるとより一層内側の表現を模索するようになった。いやむしろ落書きをしていた頃のような無邪気な遊び心があったから、一人でも楽しく生活ができた。そして話すように語りかけるように今まで抑えていた落書きをノートに描き貯めた。また大きな作品も描いた。その時描いた絵のタイトルは「země klíč ke mě  」だったと思う。でも今となってはどういう意味かよく覚えていない。翻訳すると、私への土地の鍵となる。そして絵を当時のチェコのクラスメイトにみせたとき、彼らが感心して褒めてくれたのは意外だった。日本では少し怖がられる絵のタッチだからということもある。だが展示した場所で絵の説明をしてほしいと言われたとき何も言えなかった。そのことを先生に伝えるとそれではただ頭の中をコピーして描いているだけだ、言葉で説明できなくてはいけないと心配してくれた。しかし、頭の中をコピーしているだけという言葉にとても納得がいった。その後大学を調べているとき、鑑賞者が絵を解釈するという文章を読んだとき、当にこうあるべきだと思った。

「země klíč ke mě 」

大学では、絵画における支持体と描画材の基礎と応用、版画での表現方法を習得した。また戦後の多様な抽象表現を通して絵画における現代アートの表現方法の幅を知り、描く衝動や子供の遊びのような独自の軌跡に興味を持った。自分の作品を咀嚼したり管理することが難しかったが、チェコにいたとき描いていた落書きの心の叫びに耳を傾げ続けた。そして大学生のうちに個展を2回、グループ展を10回程開いた。

大学生2回目の個展での展示の様子
またこの作品はACTアート展で佳作をとりました

今は、大学のときのような大きな絵は描いていない。展示する機会が減ったからだろう。内側にしがみついて離れても、追いかけていくくらいのあの執着と不安が、大きな絵に自分を向かわせていたんだろうと今は思う。

最近の制作風景

チェコにいたときにある人形作家の人に会って話をした。そして描き溜めたノートをみせたら、あなたはそのノートを描き溜めるためにチェコに来たのよと、言われて褒めていただいた。そう考えると大学のときもまた同じように絵を描いて旅を続けていたのかもしれない。

チェコにいた一年間の日記

幼いときに感じていた絵の二面性をいまではこう思ってる。描きたいという本質的欲求と、それを観てもらうために整える作業。整えるというのは一枚の絵に完成させることや、個展を開いたり展示をするための調整。悪く言えばいままでその本質的欲求ばかりに振る舞わされ、それをうまく制御できなかった。でも途端に制御してしまえば、元となる絵そのものが生まれなくなる。だからその両方のバランスをうまく回して育てていくことが大切なのだろう。

これからはその続いてきた旅を頼りに、うまく制作の幅を広げられたらと思う。



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