せっかくの博士課程が無駄になった気がする

僕は4月の今、博士課程の最終学年にいる。入学当初は漠然と研究を続けようと思ってたのだが、心変わりして、研究はやめて企業に就職することにした。幸い、ここなら快適に働けそうと思っていた企業に、博士卒として内々定をいただけている。あとは博論を書き上げて、卒業するだけだ。来年の4月からはサラリーマンとしてよろしくやってると思う。

研究をやめることにした理由は、能力と自信がなかったからである。

もともと僕には、何かをするときに深く考えたり、ちゃんと調べるという習慣がなく、そのことに危機感を抱いていなかった。博士課程に入学してからもその点は相変わらずで、思い付きでいろいろな実験をしている『つもり』、論文をつまみ読みして分野を理解した『つもり』で、なんとなく頑張った気になっていた。そして、そんな状態が2年以上続いた。
加えて、僕は誰も競争相手がいないテーマを研究していたので、まあ、ゆーて余裕っしょ、という甘えた気持ちがあった。

競争相手の有無とか以前の問題として、研究者になりたいのならば、自分の研究の立ち位置・語りたい内容・必要なデータ・得られる考察etc、本来はこうした物事を考えられないといけない。いわゆる科学的思考というやつだ。
その必要性に気づいたのは、入学から2年以上経ってから、つまり今から約1年前で、科学論文の執筆をし始める段階で、嫌でもこういうことを考える必要が出てきたのである。が、なんかうまく説明できないし、書けない。まあ、科学的思考の訓練を積んでないので当然なのだが、当時の自分はそれがなぜなのか全然分かっていなかった。

そんな感じで苦し紛れに書いた自称"論文"は、意味不明のお気持ち文章と相なった。それを指導教官に見せたところ、「いいんじゃな~い?」と流され、ハハッやっぱちょろいな、と思ったのもつかの間で、その後、准教授の先生(指導教官ではないし、テーマも全く関係ないが、添削してもらいたかった)が一切の手抜きなくボコボコにしてくれた。それまで『僕は頑張っている!』と思い込んでいただけに、大いに凹んだ。

そして自分の研究能力について初めて危機感を持ったこのとき、ようやく「研究」を始めた。文献を読むというマジの初歩からだった、が、そんなのは並みの研究者志望の学生なら、学部や修士のうちにとっくに会得していること。一方の僕は、博士の3年目にもなってそんな初歩に取り掛かり始めたのである。そういう自分を顧みては、何度も哀れな気持ちになった。

ちなみにこのとき、功を焦って執筆していた論文は、未熟さが仇となり、全文が完成した後一度全てが白紙になった(本当に全て白紙になった)。もちろんそのときはスーパーウルトラ凹んで、精神を病み、不登校になりかけた。そのときのストレスが引き金になって発症したコリン性蕁麻疹はいまだ完治していない。

僕には研究者としての能力がない、ということをじっくり「わからせ」られて自信をなくした時期と、進路を決める時期が重なったので、まあ、当然の成り行きで、研究はやめることにした。

これについては妥当な決断をした自負はある。
でも正直、このシゴきの期間を経て成長を実感しているところも結構ある。能力も自信も、多少はついたのである。
あと少なくとも2年くらい早く、これを潜り抜けていれば、研究者としての道をちゃんと描けたような気がする。本当に勿体ない博士課程生活を送ってしまった、という後悔がある。

頑張っている『つもり』、理解している『つもり』で過ごしていたあの2年間、どういう行動を取っていれば、研究者として本当にやるべきことに、気づけていたのだろうか。
少なくとも言えることは、これらのことに気付かせて、僕を成長させてくれたのは准教授の先生なので、本当に感謝している。
現在2報目の執筆でシゴいて頂いている最中なので、せめて得られるものをどんどん吸収してから出て行こうと思う。

翻って言うと、指導教官は、論文を僕に書かせる必要性を感じていなかったようだし、いろいろな申請書の添削のときも僕の科学的思考の欠陥を指摘せずに優しく?してくれたし、とにかく毎日実験室で実験することを僕に最優先させ、結果今日にいたるまで何の科学的な裏付けになるのか全くわからないデータを量産させてくれたので、いろいろと思うところがあります。

すみません、はい。


追記:2023/4/22
当初ここまで拡散されると思ってなかった。いろいろな反応をもらえたのは初めてで、非常にうれしかった。
一方で、僕の書いてないこと、書いたことと違うことを読み取る人も結構いた。かなり分かりやすく書けた自信があったし、反応をくださった読み手は、研究者や院生などの属性の文章リテラシーの高い人たちだったはずなので、筋違いな解釈をぶつけられ、議論をチャレンジされることに驚いたし、釈然としなかった。
「何を感じるかは読み手に任せる」という態度も、まあアリではあるけれど、全く意図しないことを僕の意見と取られることは、やっぱり気持ち悪い。

公開から1週間弱経ってようやくほとぼりが冷めてきた。ここまで反応を集めた記事だから、今後もぼちぼちと読んでもらえる気がするし、その中から僕の書いていないことを解釈する人がまた現れる予感がする。それは嫌なので、僕なりの『結論』を加筆しておこうと思った(参照ツイートでは『教訓』と書いたけど)。
自称エッセイに結論をつけるのも変な気がするけど、なまじ研究をかじった人間の性分として御免被りたい。

「指導教官選びは大事」とか「進学は慎重に」とか、オルタナティブな結論があるのは重々承知していますので、あくまで補足程度に受け止めてください。
ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?