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価値創造に大切なお茶とまんじゅうなどの話。

こんにちは。株式会社スロウリーの中島です。先週の記事はFacebookの投稿のほぼコピペでした。今週がある意味ほんとうのnote一発目です。前回に引き続き自己紹介のようなものと、そして広告マンとしての僕が大事にしていた「価値の発見=見立て」のことを書きます。noteはじめたばかりなのでほとんど誰も読んでませんがここに書くことは結構大事なことです。たまたま見つけたあなたはラッキーです。

1995年に電通に入社して以来、僕は長いことクリエイティブ局にいました。クリエイティブ局というのは、基本的には広告をつくる部署です。TVCMやキャンペーンをつくって商品の知名度を高めたりブランドを築いたりして、最終的に売り上げや好感度を上げる。ものすごくざっくり言うとそんな仕事です。ちなみに電通ではクリエイティブを「クリエーティブ」と表記します。なぜかはわからないうちに退社してしまいました。いまは卒業したのでクリエイティブと書きます。

たくさんの広告をつくりました。いろんな企業のいろんな商品を担当しました。すばらしいものが多かったですが、中には「ん?」というようなものも正直ありました。これ要る?かっこ悪くない?売れなさそう。。。そんな時に「すみません、これ全然ダサいんですけど」とか言うと広告業界で言う「出禁(出入り禁止)」になり、まわりの人にものすごく怒られます。

じゃあどうするかと言うと、「ん?」の奥に隠れている「いいね」を探すのです。どこかにかならずいいところがあるだろうと信じて。簡単に見つからないこともありますが、出禁になりたくないので必死です。気合いと根性で探し当てます。ここで絶対にしてはいけないのは「本当にそう思ってないのにいいねと思い込むこと」です。おべっかというかお世辞というか、早いところ仕事に取り掛かりたいがために「あなたのここ素晴らしいですね」と(自分自身に)嘘をつくと後で大変なことになります。その嘘を核にして表現というものを考えなければならないからです。ぐにゃぐにゃの基礎の上に家を建てる羽目になります。それで一番辛くなるのは自分です。だから、心の底から「ここはいいね!」と膝を打てるものを見つけないといけません。結構しんどいです。「クリエイティブの仕事にはやっぱりセンスが必要ですか?」と聞かれることがありますが、本当に必要なのはど根性です。「コイツは一見ダメな奴だが、いいところをかならず俺が見つけてやるぜ!」へっぽこチームの熱血コーチになったつもりでがんばります。あきらめたらそこで試合終了です。どんなものでも一生懸命につくられたものには必ずどこかにいいねがあり、それを見つけるには感受性、想像力、知識、知恵、やさしさ、いろんなものが必要になります。

よく言われるたとえ話があります。「エスキモーの人にどうやったら冷蔵庫を売るか?」まわりはマイナス数十度の世界です。「こんな寒い所に住む人は冷蔵庫なんて欲しくないでしょ」と考えたらそれまでです。出禁にはなりませんが、仕事は失敗です。あきらめずに考える。極寒の地における冷蔵庫の価値ってなんだろう。お役に立てる方法はないか。というわけで、この場合の正解は「肉や魚をカチカチにしないで保存できる」。外に置いといたら凍ってしまうけど冷蔵庫に入れておけばちょうどよい感じにしておけます。解凍する手間がない。ごはんづくりが楽になりそうです。実際のところはわからないですよ。当然ほかにも答えはあると思います。もっといいの思いついたら教えてください。

そうやって広告マンは人々の欲望を刺激し、不要な物を押し売りする。。。というのはまた別の話。ここで言いたいのは、置かれた状況や相手が求めるもの、いろんなものを踏まえ、考えに考えてようやく見つかる「いいね」があるということです。もちろん圧倒的な「いいね!」を持った商品というものも存在しますが、実際どうでしょうか。そういうものってちょくちょく世に現れてますか?これだけ便利なものが溢れ、あらゆるところへ行き渡った時代では、聞いた瞬間見た瞬間にいいね!となるものってそんなにないんじゃないでしょうか。一方で、最初はそんなでもなかったけど使ってみたら実はすごくよかった、そんな商品も数多くあります。ひとに例えると「ちょっととっつきにくいけど付き合ってみたらいい奴だった」みたいな。みんながみんな映えるわけじゃない。ひとも物も、上っ面のことだけじゃなく、ちゃんといいところを見つけていきたいなと思うのです。

広告クリエイティブの現場で二十数年。どんなものにもかならず「いいね」がありました。その「いいね」をアンコにして、まわりを「表現」の皮で包むとクリエイティブまんじゅうができます。クリエイティブまんじゅうというのは業界用語ではありません。いま思いつきました。見た目もたのしくて食べるとおいしい。言い換えると、おもしろくて役に立つ。表現として優れているだけでなく、見たひとにとって意味のある価値が含まれている広告。いつもそういう広告をつくりたいと考えていました。アンコと皮、どっちかだけではダメで、両方のハーモニーが大事です。アンコづくりは大変ですが皮は皮で大変でやはり根性が必要です。ちなみに別の言い方だとアンコは「What to say」、皮は「How to say」になります。

僕は自分の仕事の核心が「いいところを見つける」=「誰かにとっての新しい価値を発見する」だと思うようになりました。そして、やっている行為を「見立て」と呼ぶことにしました。見立てについては長くなるのでまた別の時に改めて書きますが、昔のひとの見立ては最高です。特に「わびさび」。元々は「わび」と「さび」、別々の言葉です。わびさびでは、ひびの入った茶碗、でこぼこの茶碗を「超いいね!」しちゃうわけです。不完全なもの、いびつなものの中に価値を見出している。この見立てができたら世の中のだいたいのものは美しいです。だいたいの人間はいびつで不完全ですから。それでもいい。いや、むしろ超いいね!平和な世界です。広告する商品がいびつで不完全であっても、その中に秘めた価値があるのと同じです。反対に「数値化する」っていうのは見立ての余地がないです。誰にとっても0は0、100は100。同じに見える。余地がないところが数字の強さとも言えます。テストの点数も偏差値も売り上げも認知率も視聴率もGRPもみんな数字で表されます。誰が見ても同じだからです。(それでも千利休は「1>1000」をかましてますが。豊臣秀吉が彼を訪ねてきた時、庭に咲いていた花を利休はすべて切ってしまった。で、秀吉があれ?と思って茶室に入ると、そこにたった一輪の朝顔が生けてあった。その美しさに秀吉は震えたという。一輪の花>庭一面の花、という好きな話)。いまは何かにつけ数値化する時代ですが、いい面もあればつまらない面もある。数字は大事だけど、数字を超えたところにある見立てというすんごい武器を使わないと”世界初のクリエイティブディレクター”千利休はがっかりするんじゃないでしょうか。

いろんなものの見立てを長いことやっていると、みんなが好きそうなこと、よいと思うことが、なんとなく見えるようになってきます。「ちょっと前はちがったけど、いまはこういうのがありなんだな」とか「まだ意識してないけれど、みんなほんとはこういうことを求めているんじゃないか」とか、勘がはたらくようになります。うまく説明はつかないんですがわかります。もしかしたらそれをセンスと呼ぶのかもしれません。が、センスは1日にしてならずで、やはり根性根性の繰り返しで身についたんだと思います(あくまで自分の場合は、です)。

そして、会社に入ってずいぶん経ったころ。たくさんのCMをつくったり、コピーを書いたりしていた僕は、急に思ったのです。この見立てを広告をつくることじゃなく、別のことに使ってみたいと。人に響く新しい価値、反対にみんなが忘れかけている古き良き価値。それらをつかまえる見立てのちからで、広告以外の、ものやことをつくることができるんじゃないか。おもしろくてためになる広告をつくる、から、おもしろくてためになる商品・ビジネスをつくるへ。そうすれば「いいね」を見つけるために胃を痛めなくてすみます。アンコを自家製すればそれに合う皮をつくるのも楽です。ちょうど40歳になるころでした。

それは、バリューチェーンという川を川下から川上へのぼっていく旅でした。僕は新しい領域の仕事に取り組むようになり、事業開発系の部署に移りました。「広告クリエイティブ」と「事業開発」は両極ではありますが、一本の川でつながっていて、その川は最後に「人」へ流れていきます。人間が何を受け入れるか。何を愛するか。何を尊敬するか。何に感動するか。そういうことにひたすら向き合ってきた経験が、かならずや川上でも生きると思いました。開発も広告クリエイティブも同じ川の別の場所で行われていることで、すべては最後に待ち受ける人間によい体験をもたらし、幸せにするためのもの。そう考えました。そして、開発領域における「コンセプトづくり」を中心にやることに決めました。アンコの開発です。そして自分は皮もつくれます。最終的なまんじゅうの味や形を意識しながらアンコの開発に取り組むことができるわけです。皮はもはや広告表現にとどまりません。提供の仕方やサービス、流通など、つくった価値をお客さんに届けるまでのすべてが含まれます。広義での「コミュニケーション」です。広告だけじゃなく、売り方もサービスも値付けもぜんぶお客様とのコミュニケーション。そして最終的にできあがるのが価値創造という名のまんじゅうです。

価値創造という名のまんじゅうづくり
アンコと皮が調和することでおいしいまんじゅうができあがる

●まんじゅうのアンコ:ユーザーにとっての価値
どんなものが人に好まれるか」=コンセプトのデザイン

●まんじゅうの皮:パッケージ/サービス/販売/CRM/広告など
どう届けたら人に好まれるか」=コミュニケーションのデザイン

でも本当のところは、純粋につくるものをふやしたかった気がします。いまの自分が持っている技術や経験を別の使い方をして、これまでと違う新しいものをつくる。そういうことがしたかった。もっと言うと、40歳になった自分の新しい価値を見つけたかった、新しい価値を生み出したかった。思えばこれも「見立て」だったのかもしれません。ぽんこつだっていいじゃない。

と、長くなったのでこの続きは別のときに。今週は「価値」と「見立て」について書いてみました。また来週。



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