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移動古本屋始める

七月頃、実店舗を持たない移動古本屋という形態で、本屋さんをやってみようと思い立った。

現在、私は会社員だが、何年も前から、本に関わる仕事をしたいと思っていた。教科書を扱う会社に転職したり(現在は退職済)、図書館司書になるために通信制大学を調べたり、色々やってみたけど、自分が理想とする、本に関わる職業に今から就くのは非常に難しかった。

そんなとき、友人から「本屋をやってみたら?」というメッセージと共に、一冊の本のURLが送られてきた。

実際に本屋を始めた人のインタビューが20ほど収録されている。仕事の昼休憩を利用して、毎日一章ずつ読み進めた。どのエピソードを読んでもワクワクして、自分にとって重要なことが書かれていると感じた。

特に心に残ったのが、「BOOKNERD」早坂大輔さんの文章である。

2017年に買い付け旅行と称してニューヨークの書店をあちこち歩き回っていた時のこと。街じゅうでバケツをひっくり返したような大雨が、その日の夕方から降り出した。急いでレインウェアのフードを被り、駆け足でイースト・ヴィレッジにある小さな古本屋を目指すと、もうあたりは真っ暗になっていて遠くからぽつねんとその書店の灯が見えた。店の軒先では眼鏡のグラスを雨粒で濡らした青年が本を大事そうに抱えながら立ち尽くしていて、その隣ではグレーのレインコートを羽織った老女が猫を抱え、店のショーウィンドウに飾られた書物の背表紙を目で追っていた。その光景を見た時に(それから先の旅中何度も経験するのだが)街の中でなぜ本屋か必要なのか、まるで目の前でビッグバンが起き、宇宙や生命体が誕生する起源を見せられたかのように覚醒したことを昨日のことのように覚えている。

その時の情景がありありと浮かんでくる素敵な文章だ。この本にはこの他にも魅力的なエピソードが満載で、「いつか本屋をやろう」と漠然とした決意みたいなものが生まれた。しかし、同時に、それで食べていくのは非常に難しいのだろうなとも思った。

もう一冊、私が本屋活動を始めるきっかけになった本がある。

著者の青木真兵さんは、奈良県東吉野村に移住し、自宅を図書館として解放する「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を運営している方だ。ルチャ・リブロの設立や運営について書かれている『彼岸の図書館』もとても良い本なのだが、この本の中の、百木漠さん(ハンナ・アーレントの研究者)との対談が非常に興味深かった。

  • 働くことは労働((labor)・仕事(work)・活動(action)に分けることが出来る

  • 現代社会では働くことがすべて賃金労働(labor)(ときにwork)に還元されていしまい、お金にならないもの(action)は切り捨てられてしまう

  • その結果、生産性のない人は社会に存在する価値がないとみなされる

  • このような社会では排除されてしまう人や価値観がある

  • 人びとの複数性を取り戻すためには、「活動(action)」こそが重要なのではないか

  • 「働く」についての選択肢は企業に就職するだけではなく、複数の仕事を持つという選択肢もある

  • 「働く」とは、他者や社会に働きかけることであるから、「働く」=必ずしもお金儲けでなくてもよい

この本を読むまでは、漠然と、本屋をやるからには商業的に成功しないといけないと思っていた。その為には今の会社を辞める必要があるし、本屋のみで生計を立てていこうとするとハードルが高かった。しかし、この本を読んで、本屋を複業としてやるという選択肢があること、また、その活動はお金にならなくても、自分にとって価値のある活動であるならば、胸を張っても良いのだという気付きを得られた。

30歳半ばになって自分の生き方を考えるとき、「トランジション」という言葉がキーワードになった。トランジションとは、直訳すると「遷移」という意味で、「ある段階から次の段階へと移り変わる時期」を表す言葉である。

20代の私は音楽などの趣味が充実しており、趣味に没頭することでアイデンティティを確立していた。しかし、結婚、引っ越し、転職、出産によって大きな転換期を迎えた。それまで愛していたライフスタイルを一変させる必要があったし、多くのことを終わらせる必要があった。そのことによって精神的に不安定になったり、人と比べて落ち込んだりすることも増えていった。えもいわれぬ不安に襲われて、毎日が綱渡りのようだった。「今日も大丈夫だった」とだけ呟くTwitterアカウントを作ったこともある。そんなときに、『トランジション』という本に出会って、自分が置かれている状況を客観的に眺められるようになった。私は何を終わらせたのか。十年後どうなっていたいのか。そのために何が必要なのか。

私には、「生きる意義を発見する場所」が必要だった。誰にも何にも囚われず、自分にとって面白いことを、思うがままに実現出来る場所が。それが、自分で作る本屋だった。


初めての、本屋としての出店は、とても貴重な経験になった。面白そうな本を買えて嬉しいと喜んでくれた人。お昼休みの読書事情について教えてくれた人。部屋に本が収まりきらないくらいあるんだと笑っていた人。筑摩書房のPR誌・月刊『ちくま』をプレゼントしてくれた人。売った本のタイトルを見れば、買ってくれた人の顔を思い出す。素敵な人達が本を買って喜んでくれたことが、とても嬉しかった。

社会貢献をしようと思って本屋をしているのではなく、私は私のために本屋をしているのだとつくづく思う(今のところは)。本屋活動を通じて本を読むのが更に楽しくなったし、本を通じて人と出会えることが嬉しい。本屋を始めてみて、良かった。


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