物語をつくる(11)未来をデザインする/ガタカ
独自の視点で近未来を描く/アンドリュー・ニコル
近未来を描いた「ガタカ」(脚本・監督)と「トゥルーマン・ショー」(脚本のみ)で知られる アンドリュー・ニコル についてご紹介します。
1964年、ニュージーランド生まれのアンドリュー・ニコルは、イギリス・ロンドンでペプシ社など大手企業の広告やCM監督などを手掛けたのち、映画界への転身をはかるためロサンゼルスに移り住み、1997年「ガタカ」で脚本家、映画監督としてデビューします。
「ガタカ」の脚本を配給元のジャージー・フィルムにプレゼンテーションする際、彼が持ち込んだ建築物の内装や衣装、未来都市図などの膨大なイラストと資料の山は、プロデューサーたちをびっくり仰天させるほど完成度の高いものだったらしいです。
「ガタカ」の近未来風景は映画ができるずっと以前からアンドリュー・ニコルの頭の中ですでに出来上がっていたわけです。つづいて1998年には、ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」の脚本を担当し、監督のピーター・ウィアーとともに 「私生活が24時間テレビ放送されている男」の物話を完成させます。
「ガタカ」と「トゥルーマン・ショー」はどちらもこれまでわたしが観てきた映画の中のベスト10に入れてもいいくらい好きなお気に入り作品であると同時に、このアンドリュー・ニコルという人の才能とアイデアにはホント驚かされました。
◆ クールで残酷な未来社会と人間の勇気・希望
「ガタカ」の描く未来社会は表面的にはクールでスタイリッシュな反面、遺伝子によって支配された、ある種残酷な全体主義的社会でもあります。遺伝子技術の進歩により、病気や疾病の原因となる「劣性」の遺伝子を受精卵の人工的操作で排除することにより、「優性」な遺伝子のみをもつ「適正者」(優性遺伝子保持者)として出産できるところまで時代はきました。
しかし、一方、遺伝子操作を行なうことなく「自然に」生まれた子供の場合、遺伝子解析により、その子の推定寿命や将来発病する可能性のある病名までもが判明してしまうため、そうした自然出産の子供は、ある種の病気を持った「不適正者」(劣性遺伝子保持者)として、自分のつきたい仕事さえつけない疎外された環境で生きる遺伝子差別の犠牲者となってしまいます。
これまでは、「人種」「国籍」「学歴」などが社会における差別の主な要因であったわけですが、これが将来「遺伝子」にとってかわるわけです。アメリカでは、すでに社員の遺伝子検査を行なう企業もでてきているらしく、まさに現実の話でもあるわけです。
「ガタカ」のストーリーをこんな感じです。
自然出産により生まれながら劣性の遺伝子をもち、寿命は30歳までと診断された主人公ビンセント(イーサン・ホーク)は清掃の仕事をしながら宇宙飛行士になることを夢見ていた。しかし、劣性の遺伝子をもち「不適正者」という烙印をおされたビンセントにはそれも現実には不可能な話。
ある日DNAブローカーを通じて、優性な遺伝子をもちながら不運の事故で半身不随になったジェローム(ジュード・ロウ)と出会う。ビンセントはジェロームの尿、血液などの体組織の一部を利用して、ジェロームになりすまし、宇宙飛行士になるための適正検査をパスして「ガタカ」で働くようになる。
しかし、もう少しで宇宙飛行士になれるところである殺人事件が発生する。その現場で「不適正者」であるビンセントの体組織が発見され、ビンセントはしだいに追い詰められていく、というようなサスペンスタッチの近未来SFです。
「ガタカ」で描かれているのは、ひじょうに残酷な差別社会でもあるわけですが、そうした逆境の中で真剣に生きる人間の勇気や希望、友情についても描かれています。
ビンセントとジェロームははじめお互いを嫌悪しつつも相手の存在なくしては、自分も存在できないという奇妙な共犯関係からしだいに強い絆で結ばれていきます。
また、ビンセントは自分よりすぐれた遺伝子をもつ弟と命がけの遠泳で争ったり、ぼやけた視力で高速道路を渡ったりします。まさに人間の勇気が遺伝子の呪縛を越えて奇跡を起こす感動的なシーンです。どんな社会、どんな時代になっても可能性にかける人間の勇気や希望だけは忘れてはいけないことをあらためて教えてくれる作品でもあります。
◆ 世界最高峰のスタッフによって創造された「ガタカ・ワールド」
「ガタカ」はあらゆる点で緻密に計算され練り上げられたスキのない作品でもあります。アンドリュー・ニコルは、この「ガタカ・ワールド」を創り出すため最高のスタッフを世界中から集めてきました。
独特の色彩設計と優美なカメラワークで格調高い「ガタカ・ワールド」を再現したのは、「ふたりのベロニカ」「トリコロール/青の愛」など、クシシュトフ・キエシロフスキ監督作品の撮影監督として知られるポーランド出身の名匠スワヴォミル・イジャク。
クラシカルな未来建築から小道具に到るまで、徹底的に細部のディテールにまでこだわった精巧な美術を担当したのは、ピーター・グリーナウェイ監督作品を数多く手掛けるオランダ出身のプロダクションデザイナー/ヤン・ロルフス。「オルランド」(1992)につづき、この「ガタカ」で2度目のアカデミー賞候補となりました。
音楽は「ピアノ・レッスン」「髪結いの亭主」やピーター・グリーナウェイ監督作品の音楽で知られるマイケル・ナイマン。タイトルバックはカイル・クーパー率いる「imaginary forces」によるもの。(#冒頭の落下物は人間の爪や体毛などの超クローズアップ映像)
そのほかにも、「若草物語」でアカデミー衣装デザイン賞を受賞し、ティム・バートン監督の「シザーハンズ」「エド・ウッド」などの衣装デザインを担当したコリーン・アトウッドなど、職人芸的技術を誇る世界中の最高のスタッフたちによって「ガタカ・ワールド」は創り上げられています。
もちろん、イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウといったメインキャストの演技もすばらしいものでした。特にこの作品以降のジュード・ロウの活躍はめざましいものがあります。
アンドリュー・ニコルの徹底したこだわりは、こういったスタッフやキャストなどさまざまな分野に及んでいます。だからこそデビュー作にしてこれほどまで完成度の高い作品が創れたのだと思います。人選もある種の才能やセンスなわけですから。
◆ 未来の人間の選択
アンドリュー・ニコルのコメントによると、
遺伝子技術により、多くの病気や疾病の原因が解明され、今後さまざまな成果を上げていくことでしょう。
しかし、そのとき考えなければいけないのは、「健全さ」と「資質向上」との境界線があいまいなため、どこまでが病気でどこまでがそうでないのか、という点です。
近眼ははたして病気なのか?
歯並びが悪いのも病気なのか?
どこでそれらの線引きをするかが問題になってくるわけです。その基準をとり違えるとまさに「ガタカ」のような遺伝子による差別社会が到来する可能性も十分あるわけです。
今後、遺伝子の質も含め、我々の性格や能力、個性に関する考え方や基準をもう一度見直す時期がきているよう思えます。これはひじょうに複雑で微妙な問題なのですが、その答えは未来を創りだす我々人間の選択に委ねられているわけです。遺伝子や生命を操作するということは、偶然が支配していた自然の摂理を人間がコントロールするという、まさに「神の領域」に踏み込むことにほかならないわけです。
人間の全遺伝子情報(ヒトゲノム)が解析されるまでそういった議論は続いていくと思いますが、21世紀は「生命」についての本質的意味が問われる時代になることでしょう。
◆ 巨匠たちの描いた未来社会
少し話はかわりますが、2001年になって最初に観る記念すべき映画として、わたしは何年かぶりで観る「2001年宇宙の旅」(1968)を選びました。
つづいて同じくキューブリックの「時計じかけのオレンジ」(1971)、「博士の異常な愛情」(1963) を鑑賞し、「ブレードランナー」「マトリックス」「ガタカ」、そしてゴダールの近未来SF「アルファヴィル」(1965)と未来社会を描いた巨匠たちの名作をお正月休みに1日1作品づつDVDで観てきました
キューブリックやリドリー・スコットの描く未来社会はまさに芸術品のごとく完成された見事な映像でもあり学ぶべき点も多いのですが、将来我々人間が直面するであろうさまざまな問題や科学技術の進歩に潜む大きな罠を警告しています。
人工知能をもつコンピューターの反乱やロボット支配による未来社会(「2001年宇宙の旅」「マトリックス」)は、人間が自ら創り出したものにより破滅していく核戦争の脅威(「博士の異常な愛情」)とともに深刻な状況を引き起こす可能性を十分含んでいます。
また、精神が退廃した少年たちは自分の欲望を満たすためだけに暴力やドラッグに走り、ホームレスを袋だ
たきにして暴走しています。(「時計じかけのオレンジ」)巨匠たちの描いて未来社会はすでにもう一部は現実のものとなっています。
およそ30年も前に創られたこれらの警鐘的なSF作品があるにも関わらず、人間はそうした作品で描かれた近未来社会のシナリオどうりに暴走をつづけてきました。未来は過去や現在の延長線なわけですから、過去の歴史や科学の進歩のスピードを考慮すれば、ある程度は予測可能なものだと思います。
すぐれたSF作家は膨大な資料と綿密なリサーチをもとに自らのイマジネーションを駆使して、数10年後、数100年後の未来社会を空想し創り出してきましたが、それらは実際かなり現実化しつつあるような気がします。
二足歩行ロボットの登場は、まさに鉄腕アトムの現実化ですし、つい先日も鳥取大学医学部でエイズ感染したウイルスを除去した受精卵による人工受精の国内初の実施例も発表され、生命操作はすでに現実のものとなっています。「シックス・デイ」のようなクローン人間の問題も現実のものとして、真剣に考えなければならない時代になってきていると思います。
そんな21世紀において、我々人間は一体何を基準にしてどう考え行動していけばいいのでしょうか。そのヒントは、まさにSF作家や映像作家たちの創りだして未来社会の姿の中にこそ隠されているよう思います。それらの作品を娯楽として楽しむと同時に、そこに込められた痛烈なメッセージを真剣に受けとめるべきだと感じました。未来を創りだすのは、まさに我々の「意識」しだいなわけですから。
(初稿:2001.01.10)
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