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6/22 早朝読書会 森於菟「オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――」レポ

読書会をやってみて

森於菟「オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――」の読書会を6名でやりました。

今回扱った作品の著者の森於菟もり おとは解剖学者であの森鴎外の息子さんです。内容は、卵殻外発生の実験の実験をしている最中に研究と食欲とがごっちゃになるという内容でした。

読書会では、最初の夢の描写が嫌だとか、食欲、解剖学、卵のイメージについて、美味しいとはなにか、などなどの話をしました。

作品とは関係ないかもしれませんが、食とコミュニケーションの話が印象的でした。ご参加いただいた方のお話で、小学生の時に給食が食べきれなくて給食後の休み時間も残って食べさせられたお話をされていました。これは、日本の同調圧力の強さを表しているエピソードだなと思いました。みんなと同じものを同じように食べなくてはいけない、そこでつながっていることの安心感もありますが、息苦しさも感じます。本当はみんな好き嫌いがあって食べられるものもあれば食べられないものもあり、一人ひとり好みが違います。でも、同じ共同体にいるために、好き嫌いをなくすことだったり、食べきることに重点が置かれてしまいます。
イスラム教の方々は豚を食べないという共通認識のもとで、共同性を確保している等な気がします。このように食というのはコミュニティでつながることの重要な部分を占めています。
ぼくも4歳になる子供がいるのですが、食事の行儀が悪かったり、全然食べてくれないときは怒ってしまうことがあります。知らず知らずのうちに食で子供を家族という共同体に縛ってしまっているのだと思います。
このことを考える上で重要なポイントは、みんなとつながるために同じものをおんなじふうに食べるか、孤独で自由に時間を気にせず食べるか、どちらかがよいかという、二項対立でどちらが優位かという話にはしないことです。どちらかを選んでしまうと、何かが失われてしまうからです。これは、どちらも大事なことで欠かすことはできません。
ただ、生活をしていくと孤独よりも人とつながること、コミュニケーション偏重になっていく気がします。コミュニケーション偏重になってしまうと一人ひとりの差異が平準化され、ときには心の調子を崩してしまうこともあります。
なので、たまには、人と一緒に食べるよりもじっくり一人で孤独を楽しみながら食べるのもよいかもと思いました。

また読書会では、たまご占いなるものをしている参加者もおり、その話で盛り上がりました(笑)たまご占いとはたまごの食べ方で人の性格がわかるというものです。こういうゆるい話がしたくてこの作品を選んだので嬉しかったです。
もっと作品から離れて色んな話につながるのも面白いなと思いました。今後読書会では脱線してもいいような空気感をつくっていければないいなと思っています。

ご参加いただいた方の感想

あぶくさん
参加者それぞれの受け取り方や思いがあって、自分と違う価値観に触れても自然でいられるのがいいです。カメラオフで申し訳ないと思いながらも、「会話形式に」というのをやってみると、なんだかみんなで会話してるようで朝から幸せな時間でした。読書会終わってすぐに半熟卵を作りました。作る前、作りながら、食べるとき、メンバーのみなさんと一緒に楽しんでいるような、幸せって思い出せば何度でも感じられるものだなと思いました。

次回

6/30 マタイ福音書「第20章 ぶどう畑の労働者」

7/7 書く会


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