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"They Shall Not Grow Old"が塹壕に置き去りにしたもの

イギリス帝国戦争博物館に保存されていた第一次世界大戦(以下、WWⅠと書く)の記録映像や写真を修復し、彩色や声の吹き替え、あらゆる戦争音を録音し映画として再構築したドキュメンタリー『彼らは生きていた』を観に行った。


全体的な感想は上記引用の私のtwitterに任せるとして、もう少し感覚的な話、邦題と原題のニュアンスの違いについてここに書いてみたいと思う。これは全くの、私的言語感覚に基づく考えであるので、それは誤りであるという箇所があればぜひご指摘いただきたいし、教えてほしく思います。

『彼らは生きていた』

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これが邦題だ。とてもシンプルで、しかし断定的であり「生」という人間の根源的営みを表す語が入っているので力強い印象を与える。記録映像の中にしかいない、それも現代の映像とコマ数が違うのでやたら早歩きにカクカクと動くまるで人形のような、あまり現実味を感じられない人たちを同じ人間であると、且つ、私たちと同じように「生きて」いたのだと強調する。このタイトルは「記録」と「現実」の断絶を埋めようとする、記録映像の中にいる彼らを私たちに接近させようとする。どちらかと言えば、このタイトルは観客へ「接近」してくる。眼前に突きつける勢いがある。


『THEY SHALL NOT GROW OLD』

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対して、原題は『THEY SHALL NOT GROW OLD』だ。私が意訳するとすれば「彼らは決して色褪せない」とか、そんな訳が可能かもしれない。
けれど『彼らは生きていた』とこの原題では観客への立ち位置も、訴えてくるものそのものも異なっているように私には思われる。

おそらく、タイトルの中に"not"が入っていることも要因のひとつかもしれない。『彼らは生きていた』が肯定、断定であるのに対し、この原題は訳し方がどうであれ「〜ない」という何らかの否定の含みが入る。私が上述で「彼らは決して色褪せない」と訳してみたのもこのためだ。

しかし、「彼らは決して色褪せない」では『彼らは生きていた』に近い印象を与えもするかもしれない。それは映像の中の彼らの生のリアリティを強調するタイトルという意味で同じということだ。けれど私には、このタイトルが映像の中にいる「彼らの存在」を主張しているものとはあまり思えないのだ。むしろ、かつてそこにいた彼らが、そこに「置いてきたもの」に私は目が行ってしまう。

例えばこう訳してみるだけで印象は変わる。
『彼らは決して大人にならない』


この映画はWWⅠを生き延びた、老いた復員兵たちのボイスアーカイヴをナレーションにして進む。冒頭、早速意外だったのは、何人もいるナレーターたちが口を揃えて「もう一度あの場所に行くかと言われたら行くと思う」と語ったことだ。彼らは少なからずあの戦線に参加したことを誇りに思っており、あの体験が自分を形作ったのだと自信を持って語る。

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そして映画が終わりに近づき休戦を迎えたとき、「帰りたくなかった」と彼らは語った。仕事があるかもわからない、「普通の」生活にまた溶け込めるかわからない、そんな不安があったことを語り、そして実際、街に帰った彼らは周囲に溶け込めなかった。街の人、前線に出たことのない人には決してわからない感覚を得て、あの場所にしかない世界を見た。すぐ隣で雑談していた仲間が突然撃たれたこと、横を走っていた親友が砲弾に吹き飛ばされて死んだこと、数えきれない死体の中を歩いたこと、死体を踏む靴の感触、人間が変色していく過程、腐食していく臭い、悲しい、悔しい、怖い、その人間的感覚が麻痺していく感覚、彼らはまさにあの場所で「獣」になった。


一度「獣」になった人間は「人間」へと戻れるのだろうか。
「獣」の感覚を覚えた人間は果たして「人間」なのだろうか。
「人間」として「大人」になれる日は来るのだろうか。

They shall not grow old.
grow. 彼らは育たない。
old. 彼らは年老いることがない。
grow old. くっつけて「色褪せる」「古びていく」とか。
そしてshall. これは「負うている」状態、「命令」されている側面、また、「決まりごと」というニュアンスもある。

They shall not grow old.
彼らよ、色褪せることなかれ。
彼らよ、大人になることなかれ。
私が彼らに年を取らせることなく、そこにいてもらう。

そことはどこだろう。映像の中だ。見事に再構築された映像の中で、彼らは永遠に生き続ける。彼らが生きた証明はこの映画が果たしてくれる。あの時前線に向かったあなたはたしかにそこにいた。その事実はこの映画がずっとずっと残してくれる。
けれど、あなたは出られない。その映像から出られない。あなたは生きて帰ってきて、何十年も経てこの映像とともに記憶を語るだろう。その年老いた声で今、語ってくれているということは、きっと街の中で、生活を続けてきたのだろう。少なくとも、死なずにここまで来たのだろう。
けれどこのタイトルはあなた方に命令する「色褪せることなかれ」と。それはあなたの、あの死体散らばる塹壕の記憶だ。きっと今でも鮮明に思い出せるのであろう、塹壕と、爆音と、血と、火薬と、死に包まれた世界だ。

あなたは「もし戻れるのならもう一度戻りたい」と言った。
あなたは、あの塹壕の中に、何か大事なものを置いてきたのではないですか。それは言葉にするとあまりに陳腐になってしまう、例えば仲間の記憶とか、爆音の中での緊張感、アドレナリン、こんな陳腐な言葉の後ろに隠された、あなたにしか識別できない何か大事なものが、あの塹壕に残っているのではないですか。その世界を、感覚を、決して知らぬ私たちとは絶対に共有できない大切なものが、あなたを呼んでいるのではないですか。
今も。


They shall not grow old.
私はこの原題を読むとき、作り手の情熱、残そうとする強い意志を感じるとともに、ふと通り過ぎるぬるい風のような、いつまでも肌に残り続けて鬱陶しくも思うような違和感もまた覚える。それは寂寞でも、悲しみでも、まして切なさなどでは決してない、一種の虚無感のようなものだ。
彼らが死の世界、塹壕の中に置いてきたもの。無数のそれらが、映像を通して私の足を今も掴んでいる。もうとっくに虚無となってしまったものたちの手が、塹壕の中から這い出して、私の足を掴んでいるような気がする。まるで私までもが、あの映像の中、塹壕の中に閉じ込められたような。

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