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菅田将暉の話がしたい

先日、私のことを「ワイルドスピードを観てくれない人」と評した人から「今こんな企画やってるよ」と情報をいただいた。

ほう?(目が光る)



菅田将暉の視線は彼の姿を見る人を釘付けにする。釘付けにして決して離さない、釘付けにされた人はどうして自分が彼から目が離せないのかわからない。言語化できないところで菅田将暉は人を捕らえて逃さない。捕捉された人はわけがわからないままに、彼の視線の沼へと落ちていく。

二大巨塔の推し、菅田将暉

私には二大巨塔の推しがいる。そのうちの一つ、絶対的巨塔は佐藤健である。その話をするのはまた別の機会に譲るとして(その話、するのか?)、第二の巨塔は今回の企画の主人公である菅田将暉だ。今、私の部屋には佐藤健のカレンダーと菅田将暉のカレンダーが並んで置かれている。どちらも日付が見にくすぎて全くカレンダーの体をなしていないのが面白い。俳優カレンダーあるあるだ。

私はどうして菅田将暉に落ちてしまったのだろう。私は仮面ライダーを見ておらず、『そこのみにて光輝く』で初めて彼の存在を知り、「なるほどいい俳優さんだな」「なんだか魅力的な人だな」と思ったことは覚えている。しかしそこからどうしてライブツアーに死に物狂いになって応募したり(ちなみに全部落ちた)舞台の先行予約に応募するためにトップコートの有料会員になったりそして手に入れた舞台に乗り込んだりカレンダーにも手を出したりするようになってしまったのか、自分のことながら私には全くわからない。私もまた菅田将暉の視線に全身を掴まれ、底知れぬ深部を湛えた彼の両目に射抜かれ、身動きが取れなくなってしまった一人というわけだ。

以前、職場の飲み会で私がスマホのロック画面を佐藤健のカレンダー画像に設定しているのを見られ、上司に佐藤健と菅田将暉の二大推しのことをプレゼンすると上司から「佐藤健はさ誰が見てもかっこいいよね、確かにかっこいい、普通にかっこいい、うちの娘も佐藤健めっちゃ好きだよ。でもさ、菅田将暉はさ、なんかちょっとさ、ちょっと、崩れてるじゃん?!そこが魅力でもあるんだけど、でも、崩れてるんだよねえ!」と言われたことがある。

崩れては……いねえぞ!!!この顔立ちの良さがわからんか!!!!と二次会のバーでグラスをぶん投げそうになったがそこはもう当時29の大人なので耐えました。


引く手数多の菅田将暉

菅田将暉は映画界からもドラマ界からも音楽界からも引く手数多の超モテモテ俳優である。映画やドラマ、舞台となれば持ち前のストイックさと完璧主義で極限まで自分を追い詰め追い込み作品毎に別人のように変貌して画面に現れる。auのCMの鬼ちゃんはあんなに可愛いし#洗濯愛してる会の彼もあんなに可愛いし見ていてとても幸せになれるのに映画やドラマとなればもはや狂気としか言いようがない表情が随所に出てきて鳥肌が立つ。彼の出演作品のうち私のオススメは後述することにしよう。ちなみに『3年A組』では一挙放送されていた再放送を見てうちの父親が号泣していた。

音楽界でも彼はモテモテである。とりわけ目立つのは「灰色と青」「まちがいさがし」を提供した米津玄師の存在だろう。オールナイトニッポンにも出演した際には菅田将暉から「デカレモン兄ちゃんです!」とそれディスりちゃうか?レベルのくだけた気安い紹介をされ、深夜の収録にも関わらずメディアがめちゃくちゃカメラを持ってやってきたというのだからすごい。そして菅田将暉の口から語られる米津玄師がいかに自分と会いたがっていたかという話には「ウフフ」という笑いが止まらない。あの米津玄師にも情緒をめちゃくちゃにされる存在がいるのだなと思うと私は笑いが止まらない。

米津玄師だけではない。菅田将暉はとにかく様々な人とコラボしている。石崎ひゅーいとのタッグが目立つが、桐谷健太とのガサガサバリバリ声の哀愁コラボ「浅草キッド」中村倫也のイケボコラボ「サンキュー神様」もちろん今夏公開『キネマの神様』でもRADWINPSとのコラボ「うたかた歌」も見逃せない。映画に出演するたびに主題歌歌ってないか?くらいの勢いである。

また、2019ライブツアー『LOVE』では千秋楽公演に山崎賢人がゲスト出演し、「さよならエレジー」を二人で歌うという奇跡のようなパフォーマンスが実現している。モテモテか。みんな菅田将暉が大好きか。大好きなのである。それはもう疑いようがない。彼はとにかく愛されている。

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イマジナリーな菅田将暉

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ゆうて私は彼の全作品を鑑賞しているわけでもない、デビューとなった仮面ライダーも見ていない、にわか仕込みのまだまだ中途半端なファンである。

しかし悲しき妄想女の宿命ゆえに私のイマジナリー菅田将暉の姿だけは肥大していく。

イマジナリー【imaginary】:想像(上)の、架空の、虚数の

快活で大盤振る舞いな笑顔で周囲をパッと華やがせ、笑顔のおすそ分けをする姿もありながら、ふと表情が消え、見境なく他者を引きずり込む昏い空洞を持ち、そして突然の落雷のごとくキレ散らかし怒鳴りまくる一面がある。一人の人間の体にここまで鮮やかに光と闇が共存している。

私は彼の表情全てが信じられなくなるときがある。けれど、信じられなくていいのだ。私のイマジナリー菅田将暉は、深部に誰にも立ち入らせぬ昏い空洞を持ちながら、それを大輪の花が咲くような笑顔と笑い声で覆い隠し、時にはその空洞を頑なに守ろうとするかのように他者に対してキレ散らかし怒鳴りまくる、けれどふと垣間見せるその空洞に他者を引きずり込まずにはいられない。いつもどこかが孤独で、けれどその孤独こそが自分の核なのだと受容している、美しいものを愛する淋しい一人の人なのである。かつては人でもなかった、けれどこの世界に降りてきて、人間としてこの孤独と共存し、生きていくことを静かに決心した人なのである。

ちなみに私はレオナルド・ディカプリオについても「この世ならざる存在だったのに人間界にそのまま居ついてくれてありがとう」「受肉したあとの彼のことも好き」と友達と話したことがある。私にとって菅田将暉は完全にレオナルド・ディカプリオと同じ括りの俳優だったのだ。なんということだ、私の圧倒的神であるレオナルド・ディカプリオと同じ解釈をしてしまう、できてしまう俳優がまさか同じ日本にいたなんて。これを奇跡と言わずして何と言えばいい!!ちなみに同じディカプリオの系譜を汲んだ日本人俳優として吉沢亮もそうだと思っているが(確か本人もディカプリオファンだと公言していたような記憶がある)吉沢亮については私の高校同期にガチオタがいるので彼のことは彼女に任せたいと思う。

イマジナリー菅田将暉については解釈違いで誰かの地雷を踏んでも不本意なのであまりここでは書かないが、同じイマジナリー同士で妄想をぶつけ合うことは好きなので地雷のない人は個人的に声をかけてください。



私が選ぶ菅田将暉作品

さてここからは私の独断と偏見によりこれぞと思う菅田将暉作品を3作ピックアップしたいと思う。上述の通り私は彼の主演作全てを観ているわけではないので私の知る範疇内でのオススメになってしまうが、そもそも彼は出演作がべらぼうに多いので(仕事しすぎで心配)全作品解説など手をつけようもんならこの記事の完成は3ヶ月後とかになってしまう。3作で収まらない、どの作品にも言いたいことがたくさんあるが、その中でもこれだけはと思う3作を紹介したい。なお、基本的にネタバレに配慮しない私ではあるが今回はなるべくネタバレしないように頑張ってみようと思う。

1. 『溺れるナイフ』

かつてのレオナルド・ディカプリオが『太陽と月に背いて』で最もこの世ならざる存在に近づいたように、菅田将暉がこの世界で最もこの世ならざる存在に近づいたのがこの『溺れるナイフ』だと言っても全く過言ではない。

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とにかく全編、菅田将暉の発光する美しさに目を潰されぶん殴られているうちに終わってしまう。私の高校同期、吉沢亮のガチオタは彼が出演する少女漫画原作の映画を観るたびに「吉沢亮の2時間PVだった」という感想を私に寄越してくるのだが、私がこの表現を心から理解したのはこの『溺れるナイフ』だった。これこそ菅田将暉の2時間PVだと言っても過言ではない。

映画としても、山戸結希監督による映像はそのまま主人公・夏芽のまなざしであると自然に納得してしまうような、映像そのものが菅田将暉扮するコウちゃんに恋をしているのである。私はこの、作中の映像がそのまま主人公のまなざし、視界になっている映画について何か書いてみたいと以前からぼんやり考えているが、いざ書くときがくれば筆頭に上がってくるのはこの『溺れるナイフ』だろう。

自分を特別な存在と信じていた幼き夏芽、町の名家の息子であり自他共に特別であると認める幼きコウ、この「特別同士」の恋は観客の心を強烈にざわめかせる。そして小松菜奈、菅田将暉共に「特別」という言葉を見事に背負い切っている。彼らの世界は彼らだけのものであり、彼らの世界で、彼らこそが天上の存在なのだ。決して幸せばかりの二人ではない、ボロボロになりながらそれでも求め合い、彼らの道を歩んでいく姿には痛みすら感じるが、その痛みの中にある純然たる恋の形に、私はいつも涙が滲むのだ。

ちなみにコウを演じた菅田将暉は撮影期間中思いっきり痩せていて、栄養不足で常にヘロヘロで、撮影期間中のこともあまりよく覚えていないそうだ。それを踏まえてこの映画を見てみると、ヘロヘロなのに全速力で走っていたり夏芽と追いかけっこをしていたりして心配になってくる。コウちゃんただでさえヘロヘロなんだから!そんなに走らせんといて!記憶なくなるから!

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2. 『アルキメデスの大戦』

1930年代世界大戦前夜、戦艦大和建造の是非を巡って奔走する天才数学者、櫂直扮する菅田将暉である。

ビジュアルの話をするならとにかく軍服の菅田将暉!!!という話になってしまう。詰襟に帯刀、帽子、そして白いワイシャツに黒ベスト…挙げればきりがない。まずは菅田将暉のコスチュームに心ゆくまま萌えてしまうのがこの作品だ。そしてこれがまた似合っている!その細い肩と腰に海軍服はとてもよく似合っている!OH MY GODと頭を抱えてしまうのも無理はない。無理はないので観ていただきたい。

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物語としても構成、展開は一級品である。明らかに見積もり額以上の金額が必要となる戦艦大和の本当の建造費を暴き、その不当性を暴くため、海軍少佐という望まぬ職になってまで省内や東西を奔走する櫂少佐であるのに、結局戦艦大和は建造されてしまう。そこに秘められた謎は、彼の中にあった秘密は何だったのか、それが田中泯という最高の相手によって明かされていく運命的なシーンは何度観ても鳥肌が立つ仕上がりである。戦争の先を見通す人間というよりも、ものを作る人間の業の深さが全て鳥肌になって襲ってくるような映画なのだ。戦争映画が好きな人だけでなく、ものを作る人にも是非観ていただきたい作品である。

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また、この映画は菅田将暉と柄本佑というバディ、彼ら二人を取り巻く老人組(とあえて書かせていただこう)の面白さも光りまくる作品である。最初は軍人の心もわからぬただの数学者だと頑なだった田中少尉(柄本佑)が愚直に自分の手と足を使って働く櫂少佐(菅田将暉)に少しずつ心を開き、最終的には最高のバディ関係となるのも(shipperとしては、いやshipperでなくとも)最高に美味しいが、その若い二人が奔走するのをあざ笑うかのように政治の話でゴリ押そうとする老人の皆々様方が一人一人個性が爆発していて大変によろしい。中でも特筆すべきはどうしても田中泯演じる平山造船中将と言わざるを得ないが、金と権力に溺れる橋本功やいつも通りつかみどころがない國村隼、そして良い人と見せといて一癖も二癖もある舘ひろしもがっちり脇を固めている。クライマックス、大会議室で櫂少佐がものすごいスピードで数式を板書しながら孤軍奮闘のごとく全員を説得するシーンはまさに一見の価値のあるシーンである。

そして観終えた方々とは、あのエンドの解釈について熱く語りたい。あのエンドの意味するところをいつまでも語りたい。『アルキメデスの大戦』とはそういう映画なのである。


3. 『カリギュラ』

最後は舞台作品『カリギュラ』を紹介したい。古代ローマに実在した暴君カリギュラの半生を描いたカミュによるテクストである。

私は上述の通りこの舞台のチケットに応募するためにトップコートの有料会員となり、無事に神戸公演を当てたわけなのだが、初めて見る本物の菅田将暉、どうしよう、どうしたったらええかなと無駄に張り切ってお洒落をし、バキバキの化粧をして真っ赤な口紅をつけて神戸に向かったのだから笑えてくる。私は一体何と張り合っていたのだろうか。

さて、カリギュラである。この記事ではこの舞台の魅力や演出の特異点を詳細に語ることはできないが、とにかく七変化・菅田将暉である。最愛の妹ドリュジラが死に、3日間行方をくらまし、狂気の海に落ちて戻ってくるところからカリギュラという男の物語が始まる。

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七変化というのは衣装のことでもあるのだが、とにかくこのカリギュラ、喜怒哀楽とテンションの差が激しすぎて完全に周りの人がついていけない事態に陥っている。周囲はひたすら困惑し、彼に振り回されてゆっくり怒りを燃やしていく中で、カリギュラだけは常にトップスピードで走り抜けなければならないのだ。張り出しまで作られた広い舞台を走り回り、絶叫し、アルミの板をバンバン叩いて(普通にうるさい)クソ長くて難しい台詞を一息にまくし立てなければならない。若き暴君という役は、俳優にはあまりに負荷の大きな役だったのだ。

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いきなり脈絡もなくブチ切れて絶叫したかと思えば愛人セゾニアに子供のように抱きかかえられたり、いきなり自分は神になるのだと言い出して自らヴィーナスに扮し珍妙な出し物を催したり、いきなりバレエルックで登場してひとしきり踊って何の説明もなしに舞台からいなくなってしまったり、まさに七変化、そしてこれは躁鬱を見せられているのか?と思うほどのアップダウンの激しさ、これを菅田将暉は一手に引き受けてみせる。観客は彼の一挙一動から目が離せないし、次は何がと思わずにはいられない。そして迫り来る破滅の気配にカリギュラとともに慄くばかりなのだ。

旅人と同じように、かれはなにものかを汲みつくし、とどまることなく経めぐっている。かれは時間の旅人であり、最良の俳優の場合についていえば、魂から魂へと先へ先へと駆り立てられるゆくようにして魂を経めぐる旅人である。

これは『シーシュポスの神話』におけるカミュの俳優に対する言葉である。私はこれをそのまま菅田将暉に贈りたい。そして、どうかこの場にカミュがいてくれたならと思わずにはいられなかった。この菅田将暉の、全力でカリギュラに身を捧げた彼の姿を見て欲しかったなあと心から思ったのだった。

そんなことを思っていると、千秋楽を終えた菅田将暉が「今会いたい人は?」という質問に「カミュ」と答えていた。稽古が始まる前は以前同じカリギュラを演じた小栗旬に会って話を聞きたいと言っていたのに。そして私はこの「カミュ」と答えた菅田将暉に胸がいっぱいになってしまったのだった。

そりゃあお前!!観に来てくれたに決まってんだろ!!!満員御礼の客席を観て満足して、舞台の俳優たちに満足して、何より君に満足して全公演を見守ってくれてたに決まってんだろォ!!!!!!(号泣)(面倒なオタク)


ということで、『カリギュラ』については私も初めての本物・菅田将暉だったわけなのでつい熱が入って当日帰宅して化粧も落とさないまま日記を書いたりやその後改めて演出を考察したりしているのでカリギュラが気になる人はそちらも参照いただけると嬉しい。



まとめ:誠実な仕事人、菅田将暉

以上、私の二大巨塔の推しの一人、菅田将暉について語ってみた。こうして書いてみると実に多彩な人であるということを改めて感じ入る。紹介した3作品もそれぞれのテイストは四方八方に爆散しているのかと思うほどに異なっている。異なっているが、菅田将暉はそのどれもに真摯に向き合い、自分を適応させている。どの作品においても、彼は最善を尽くしている。それは私のようなにわか仕込みのファンであってもビシバシに伝わってくる彼の仕事に対する熱意である。

その傍ら、音楽活動においても彼は特別熱心だ。2枚のアルバムをリリースし、2019年には全国ツアーも敢行し、現在も様々なアーティストとコラボして音楽活動を精力的に続けている。この文章もひたすらに菅田将暉の音楽を聴きながら書いているわけだが、本当にこの人は、楽しそうなのである。音楽を心から楽しんでいる、自分に提供される音楽を心底大事に愛していることが伝わってくる。その姿勢こそが今までも、そしてこれからも数々のアーティストを魅了し、一緒にやろうと声をかけたくなる原動力となるのだろうと思うのだ。この人と一緒に音楽をやれば、きっといいものができるだろうと彼は自分の姿勢一つで見事に表明しているのである。


映画を観て、舞台を観て、音楽を聴いて、そこから見えてくるのは一人の誠実な仕事人、菅田将暉の姿である。だからこそ素直に応援したくなる。がんばれ、まだまだ浅いファンだけど、その前途洋々な将来がさらに光豊かで実り豊かでたくさんの幸せに満ちたものになることを応援しているよ。

これからも元気にがんばれ。私の二大巨塔、自慢の推し、菅田将暉!

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