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タイタニックの話がしたい

映画『タイタニック』は人の人生をめちゃくちゃにする。


『タイタニック』に人生をめちゃくちゃにされた人は割とたくさんいる。映画監督グザヴィエ・ドランは自身のインスタグラムでこの映画を「that's where it all began.」と紹介し、銀幕のレオナルド・ディカプリオに夢中になってファンレターまで送り、その記憶を基に20年の時を経て『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』というめちゃくちゃにパーソナルな映画まで作ってしまった。『タイタニック』という映画がなければ今頃グザヴィエ・ドランという映画監督も存在していないだろう。『タイタニック』が存在しない世界線では『マイ・マザー』も『胸騒ぎの恋人』も『わたしはロランス』も存在しないのだと思うと凄まじい。私の人生の大損である。

(ドランのインスタ)


また、まさにこの『タイタニック』を監督したジェームズ・キャメロンもかなりタイタニックに人生をめちゃくちゃにされている。彼はこの映画を撮っただけでは飽き足らずその後タイタニックのドキュメンタリー映画まで作ってしまった。



タイタニックは人の人生をめちゃくちゃにする。
10歳、家のテレビでVHSを再生した私は返却期限までの1週間、取り憑かれたように『タイタニック』を観た。学校から帰ってきたら即テレビをつけてビデオデッキの電源を入れた。ほとんど毎日『タイタニック』を観て、ようやく返却した。
それからサウンドトラックにも手を出した。映画のサントラに興味を持ったのは『タイタニック』が初めてだった。
金曜ロードショーで放送されるとなれば録画し、親に頼んでDVDを買ってもらい、もう手に入ってしまえば無敵だった。観まくった。シーンも台詞もほとんど覚えた。留学中にちょうど全世界3D同時上映があり、初めて現地の映画館に行った。ちなみに映画館の内装は日本とほとんど同じだった。ドイツ語に吹き替えられていようと台詞が全て頭に入っているので無敵だった。死ぬほど泣いた。午前十時の映画祭にももちろん行った。死ぬほど泣いた。映画が始まると同時に泣き、それからもだいたい同じところで毎回泣いた。毎回死ぬほど泣くのでその日一日はもう使い物にならなかった。


私は『タイタニック』に人生をめちゃくちゃにされた。今私はただただ『タイタニック』の話がしたい。脈絡も何もなく『タイタニック』の話がしたい。思いついた順から『タイタニック』の話がしたい。



ジャックの吹替はなんと言っても

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いきなり吹替の話をするのかよ。

『タイタニック』まずは字幕で、俳優の生の声で観ていただきたいのは山々であるがその上で吹替版を観ようと思うなら断然日本テレビ金曜ロードショー版をオススメしたい。なぜか。ジャック役の石田彰が最高(最強)だからである。正直石田彰以外の人たちの声は何一つ覚えていないが石田彰の声ひとつでこの金ロー版は最強なのである。

石田彰と言えば渚カヲル、猪八戒、アスラン・ザラ、変わり種としてフィッシュ・アイ、挙げだすときりがなくキャラクターの数だけファンがこの世に存在する日本アニメ界最強レベルの声優だが、日本テレビだけがなぜか若き日のレオナルド・ディカプリオを石田彰に依頼する。『タイタニック』の他には『ザ・ビーチ』でもディカプリオに石田彰が続投している。


石田彰ジャックの何がいいのか、どこがいいのか。


ではここで少しアスラン・ザラのことを考えてみて欲しい。アスラン・ザラというのは機動戦士ガンダムSEEDに出てくるキラ・ヤマト(主人公)の親友であるが、いつもは落ち着いているくせに感情が高ぶると若干ヒステリックになる。

それなのである。

石田彰版ジャックもまた感情が高ぶるとヒステリックになるのである。これが他の吹替ジャックにはない特徴だ。その特徴がもっとも表れているシーンというのが、コートのポケットの中に「碧洋のハート」(結婚祝いとしてローズに贈られたでかくて青いダイヤのネックレス)を忍ばされ、見事濡れ衣を被せられて警備員に連行されるシーンのこの一言。

「僕はやってない!!」

これである。この一言のヒステリックさに長年の石田彰ファンであれば「これぞ石田彰…」と納得すること間違いなし、この吹替で初めて石田彰の声を聞いた人であっても、それまでただのイケボだなと思って聞いていたとしても一転して突如ヒステリーを起こすその感情の振れ幅に心臓をバットで殴られること間違いなし。この一言で石田彰のディカプリオは完璧なのである。

考えてもみて欲しい、レオナルド・ディカプリオはそもそもかなりの激情型タイプの俳優である。しばしばヒステリーも起こすのだ。一人で勝手にキレたり殺さんばかりの勢いで人に掴みかかり早口であれこれとまくし立ててて掠れた声の"Hah?!?!"を連発する。私はこの"Hah?!?!"聞きたさにディカプリオファンをやっていると言ってもあながち過言ではない。彼の"Hah?!?!"はクセになり、最強なのだ。

話を戻そう。

とにかく私は吹替版タイタニックなら2003年金曜ロードショー版を断固オススメする。奇しくも、機動戦士ガンダムSEEDが放送されていた時期にこの金曜ロードショーは重なっている。もう石田彰のデフォルト仕様がすでにアスラン・ザラであった時のジャックなのだ。最強だ。どうにかして全人類に聞いてもらいたい。


ちなみに若き日のディカプリオの吹替はほとんど草尾毅氏が担当しているのだが(草尾毅氏と言えば永遠のテイルズオブファンタジア、永遠の主人公クレス・アルベイン)『タイタニック』についてはソフト版の吹替を松田洋治氏が担当している。悪くない。別に全然悪くないのだが、今から船が沈むというのに若干冷静すぎるところがあり、ディカプリオの感情の振れ幅に対応しきれていない感が否めない。そしてもろに『もののけ姫』と時期がかぶっているため、何をどう聞いてもアシタカの声にしか聞こえないのだ。これは致命的である。古代蝦夷の末裔が西洋の船に乗っている。シュールが過ぎる。ということで個人的にはあまりオススメしない。機内版『タイタニック』は草尾氏が担当しているらしいのだが、観る機会はこの先やってくるのだろうか。



最強の助演男優賞:ビリー・ゼイン

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私は『タイタニック』を観るたび、ローズの婚約者キャルドン・ホックリー役のビリー・ゼインをベタ褒めしてしまう。

なぜか。ムカつくからである。ただただムカつくからである。しかしこの「ただただムカつく」という感情を客に抱かせる俳優って実はめちゃくちゃいい仕事をしているのではないか。

そもそもキャルドン・ホックリーというキャラクターがまず最悪にクズ。ビジネスマンとしては有能かもしれないが、他人をとにかく舐めくさり、フィアンセ相手でも思い通りにならなければキレる、従者をしょっちゅう派遣させてフィアンセをストーキングする、絶望的にセンスがない、ローズの趣味をこれっぽっちも理解できないしするつもりもない、船が沈むとなれば自分が生き延びるためには手段を選ばない、金で船員を買収しようとする、そのくせローズが結局ジャックを選んでしまうのを見るやまたもブチ切れてそんなことをしている場合では全くないのに傾く船の中を追いかけ回し、せっかく甲板に上がってこれた二人はまた下層階へ降りざるを得なくなる。


クズである。クズという言葉がぴったりのクズである。


この「クズ」という概念そのもののような男を見事具現化して見せたのがこのビリー・ゼインなのである。

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この目!!!この、人を見下し蔑み上から目線でそのくせしみったれてみみっちいこの目!!!!ハ〜〜〜〜〜〜〜〜優勝!!!!!


といつも私はビリー・ゼインに万感の思いを込めて拍手をする。目つきもそうだが高慢で押し付けがましく粘着質な声、キザを気取ろうとするが全然かっこよくない身のこなし、甲板で見つけたローズにちょっといい格好を見せてボートに乗せようとする時の笑顔のぎこちなさ、そのあとでジャックに"I always win."とか言っちゃう空気の読めなさ(勝つとか負けるとか気にしてる間に死ぬぞお前)もう優勝。当て馬選手権ぶっちぎりの優勝。

客に少しでもいい格好を見せたい、少しはよく思われたい、そんな欲を一切排除し、ひたすらに道化レベルのクズを体を張って演じきったビリー・ゼイン、100年分くらいの助演男優賞をあげたい。


彼がいたからこそ、上流階級の人々の愚かさも、好きでもない奴と結婚することのおぞましさも、何より、ジャックがあんなにかっこよく見えるのも、全ては彼がいたからこそ客はリアルに体感できるのだ。客は彼のことを決して忘れてはならない。『タイタニック』が超絶王道ラブストーリーとして機能しているのは8割彼のおかげと言ってもいいくらいだ。



確かにスケッチはスケッチだけど

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『タイタニック』と言えばこのシーン。絵描きのジャックがローズのヌード画を描くシーン。

このシーンに流れているのはこの映画の音楽を担当したジェームズ・ホーナーが演奏するピアノのメインテーマである。タイトルは「スケッチ」。

ジェームズ・キャメロン監督にこのデモテープが送られてきた時、そのテープには"Sketch"と書かれていた。
「スケッチ? ああ、スケッチのシーン用の音楽だな!」
そして聴いてみたキャメロン監督、大いに気に入る。

「完璧だ! 最高だ! ジェームズ、これだ! スケッチのシーンにぴったりすぎる! これを使おう!」

しかしこれを聞いたジェームズ・ホーナー、困惑する。

「えっ、スケッチってそのスケッチじゃないよ、Sketch(習作)のつもりだったんだけど…」

しかしキャメロン監督、そんなことはもうどうでもいい。

「スケッチでも習作でもどっちでもいいよ、とにかくこれなんだ! これを使おう!」
「いや、これは僕が試しに弾いただけのものだから、それならもっとちゃんとしたピアニストに弾いてもらおうよ」
「違うんだよ!!! 君のピアノだからこそいいんだよ!!! これなんだよ!!!」


そして生まれたのがあのシーンなのである。ちょっと耳を澄ませて聴いてみてほしい。控えめながらも、ホーナー自身によるピアノが響いている。

ちなみにこのエピソードについてはキャメロン監督自身がこの映画でテンション高めに語っている。タイトルの通り素晴らしき、映画音楽を愛する人間には全身の水分が涙になって出て行くような映画なので、やっぱり全人類に見てほしい。




You jump, I jump のイキ

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ローズとジャックの出会いは船尾から身投げしようとするローズをジャックが止めようとするところから始まった。この時、身投げを思い留まらせようとしてジャックはローズにこう言っている。

「君が飛ぶなら僕も飛ぶよ」

この言葉にローズは「なんだこいつ」と思い、しかしジャックという人間に興味を惹かれたのもあり、なんだかんだ飛び込むのは怖いと思っていたのもあり、結局彼女は身投げを思い留まり、ジャックに助けられることになる。

「君が飛ぶなら僕も飛ぶよ」

それはこの時点のローズの視点で裏返せば「私が飛んだらこの人も飛ぶ」ということになる。I jump, You jumpの順番なのだ。


しかし物語は進み、いよいよ船は傾き、ローズは一度救命ボートに乗る。ジャック抜きで。ゆっくりと降ろされていくボートの中で、ローズはいつまでも甲板のジャックを見上げている。次のボートに乗るよと言ったジャック、彼の分まで席を取ってあると言ったキャル、だけどそれが嘘じゃないなんてどうして信じられるだろう。これが、この瞬間が、私とジャックの最後の別れにならないなんて、誰が言い切ってくれるだろう。(ちなみにこのシーンで甲板からローズを見送っているジャックの隣にいる男性はローズがボートに乗る直前に幼い娘ふたりに別れを告げていた父親である。この人の永遠の別れを覚悟した涙に満ちた表情もぜひ見てほしい、この映画はとにかく主役の周りで頑張っている人たちもまた本気なのだ。ボートから気丈に父親に手を振る幼い姉と泣きじゃくる妹、このふたりもまた素晴らしい)

この親子の効果もあって、ローズはボートから抜け出す決意をする。意を決してボートから船へと飛び移る。突然の行動に驚くジャックとキャル。いち早く走り出したのはジャックの方だった。彼ら二人は船内を必死に走り、大階段の前で再会する。きつくきつく抱きしめ合い、ジャックは泣いているのか掠れに掠れまくった声で"You're so stupid, Rose!"を連呼し"Why did you do that, Hah?!"とローズに問う(ここでディカプリオ渾身の"Hah?!"が入っている。聞いてくれ)。そしてローズはこう答えるのだ。


"You jump, I jump, right?"


「あなたが飛ぶなら私も飛ぶ」のだ。「私が飛んだらこの人も飛ぶ」だった意識がここで反転し、出会った時のジャックに重なるのである。二人の出会いはここでアンサーが出され、結実するのである。そこからの(キャルに追いかけ回されてかなりの遠回りを食らう紆余曲折はあるが)最後の船尾への移動、ここでローズが言う"This is where we first met."(初めて出会った場所よ)が大きく効いてくる仕組みになっているのだ。


そしてこの"You jump, I jump, right?"は「飛び込む時は一緒でしょう?」という訳がついている。名訳である。大好きな台詞である。ニュアンスは若干異なるものの、筋は通っているし、「一言」を「一言」に、このように訳した翻訳者は偉大すぎる。そしてこの大作を任されたのは当時の洋画翻訳の天下、戸田奈津子氏である。彼女の訳はしばしば意訳だ誤訳だと騒がれるが、この台詞については最高だ。優勝。


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神は未公開シーンに宿る

さてこの3時間を超える長尺の『タイタニック』にも未公開シーンは存在する。このアルティメット・エディションに収録されている。

改めて『タイタニック』を見てみると、3時間とはいえ展開が急に思われる箇所がいくつもある。何度も見ていくうちに、この映画はかなりぶつ切りな編集がされていることがだんだんわかってくる。


そこで未公開シーンの出番である。


かなりの数のシーンが収録されているが、中でも私の一番のお気に入りがある。

ジャックがローズを身投げから助け出した翌日、ジャックは三等船客デッキに戻り、共用スペースで絵を描いたり友達のファブリツィオやトミーとだべったりしている。そこにローズが一人、その共用スペースにやってくる。突然現れた上流階級のお嬢様に場は静まり返り、少年たちに至っては思わず帽子を取ってしまう。ジャックを発見したローズは昨晩のお礼を言い、ここではあれなので二人でお話ししませんか? と誘う。もちろんOKするジャック。二人揃ってデッキに上がっていくのを唖然とした表情で見送るトミーとファブリツィオ。しかし顔を見合わせ、彼らは爆笑する。まさに「フゥーーー⤴︎⤴︎」というテンションだ。高校生か。

しかしこのシーンを見れば、その夜、三等船客たちのパーティーに現れたローズを二人がごく自然に迎えているのにも納得がいく。彼女は昼間の時点で彼らと顔合わせを済ませていたのだ。



ところで私の好みはここで置いといて、トータルとして未公開シーンを見ていこう。


例えばこんなシーンが入っている。周辺にいた船からの度重なる氷山の警告にうんざりし、タイタニックの通信士は思わず「黙れ」と打電してしまう。それを受け取ったよその通信士は呆れ、話聞く気がないならもう寝るわと就寝してしまう。これはタイタニックへの救援が遅れる遠因となる。

こんなシーンもある。定員割れしまくった救命ボートを見つけ、船長直々にメガホンで「そこのボート、戻りなさい」と指示を出す。しかしボートは戻らない。戻れば混乱に巻き込まれて諸共転覆することが目に見えているからだ。戻る気配のないボートを見て船長は「愚か者め」と呟く。窮地に立たされた人間の狡さがよく表れているシーンである。

それから通信士の話の続きもある。救難信号を送るように指示された通信士は必死に打電を続ける。タイタニックには通信士が二人乗っており、そのうちの一人は「もうできることは全てやった。俺たちも逃げよう」と提案する。しかしもう一人は頑としてここに残ると動かない。彼には度重なる氷山の警告を一蹴した責任があるからだ。その同僚の姿を見た彼は、何も言わずに救命具を頭から被せてやり、部屋を出ていく。


注目すべきは、これらはほとんど史実に基づいたシーンということだ。つまりこの未公開シーンはタイタニック号を主人公とした大きな物語の断片たちなのだ。編集にあたり、おそらくキャメロン監督としてはこの未公開シーンたちを入れたいのは山々であっただろうがそうするとジャックとローズの二人の物語から離れていってしまうので、断腸の思いで削ったのだろう。しかしここまで史実を綿密に洗い出し、丁寧にシーンをつけているのにはキャメロン監督のタイタニック愛がビシバシに伝わってくるし、何よりタイタニック号沈没という事件の概要を知る上でこれらの未公開シーンは貴重な資料になり得るのではないだろうか。ラブストーリーのために削られた細部にこそ、神は宿っていたのだ。



『タイタニック』にモブはいない

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さていよいよ、ようやく、ラストシーンの話ができる。


『タイタニック』のラストシーンは、船室で穏やかな表情で眠っているローズが夢の中で在りし日のタイタニックに戻り、あの船で同じ時間を共にした人々の祝福を受けながらウエディングドレス姿でジャックと再会し、万来の喝采のもと口づけを交わすというものだ。


このシーンに関し、幼い私はローズは単に夢を見ているものと思っていた。翌朝になれば「ハアいい夢見たわ」とローズは普通に起きるのだろうと。
しかしある時一緒に見ていた母から「えっ、あれは死んだんじゃないの?」と言われ、ぽかんとしてしまうと同時になるほどそうかもしれない…と思うようにもなった。キャメロン監督自身もここに二通りの解釈があることを認めており、しかしどちらかだと明示はしていない。どちらに解釈してもらってもOKということだ。


ローズはあの夜亡くなった派の言い分として、あの結婚式シーンで二人を祝福していた人たちは皆タイタニックとともに亡くなった人たちばかりだというものがある。なるほど、見渡してみると確かにそうだ。明らかに助からなかったことが示されたシーンがあった人もいるし、亡くなったことが劇中で明示されていなくても、どう考えても死んだやろなと思う人たちしかいない。(一度ここにひょっとしてキャルがいたりしないかとめちゃくちゃ探したことがあったが、今現在まだ発見していない。居ないということでいいのかもしれない)


それに死ぬ直前のジャックの台詞にも伏線と思われる発言がある。

「君は助かって、子供をたくさん産んで、長生きして、暖かいベッドの中で死ぬんだ。今夜、こんな場所じゃない」


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確かにローズは助かって、(子供をたくさん産んだかはわからないけれど)孫娘がいて、101歳まで長生きして、今暖かいベッドの中にいる…と思うと、ジャックが残した最後の伏線はここで回収されるような気もする。まあ、天寿を全うしたと言っても全然おかしくはない、だって101歳だもんな…そこまで生きたということ自体がすごいよな…




が、最近、ローズが生きてるか死んでるかはどっちでもよくなってきた。


重要なのは、ローズが、ジャックと再会する場としてタイタニックを選んだこと自体にある。そりゃタイタニックで出会った彼なのだから再会の場所もタイタニックで妥当だろうと思うが、ただ結婚式を挙げるということだけであれば豪華な教会にジャックを呼ぶという選択も全く取り得ないことはない。


ローズはジャックとの再会の場所にタイタニックを選び、あの時タイタニックで同じ時間を共にした人たちから祝福を受けることを望んだ。

それはひとえに、ローズにとってタイタニックの記憶がかけがえなく、幸せなものだったということを意味してはいないだろうか。


タイタニックは沈没する。想像を絶するほどの恐怖や苦しみ、痛み、水の冷たさ、眼前に迫る死の気配、それらはともすればもう二度と思い出したくない、夢に出たとしてもそれはきっと悪夢の形で現れるだろうことは想像がつく。たとえジャックと出会い、どんなに素晴らしい思いをしたとしてもだ。その幸せな記憶が恐怖に上塗りされてその結果それしか残らなくなる可能性は十分にあったはずだと私は思う。

けれどローズが選んだ記憶の中では、タイタニックの中にはまばゆい陽光が差し込んでいて、扉を開けて迎えてくれた人たちは皆笑顔で、彼女の晴れ姿に顔を輝かせたりしみじみと感じ入っていたりする人たちがいて、そして「彼」はあの時と同じ、あの夜パーティーに誘ってくれた時と同じ場所で自分を待っている。振り返った彼の手を取って、二人はようやく誓いのキスを交わすのだ。


人生の晴れ舞台に、人生最高の瞬間に、ローズはタイタニックを選んだのだ。


私にとっての答えはこれだけである。これだけで十分である。そこに、ローズが死んだか生きているのかという問いは全く必要ない。彼女の人生最高の舞台がタイタニックであったこと、それはジャックやあの夜亡くなった人たちだけでなく、タイタニック号そのものへの救いでもある。彼ら、彼女ら、そして船は決して無為に死んでいったわけではなく、たった一人であってもその心に最高の時間だったと記憶され続けてきたのだ。このエンドは3時間という長尺のこの映画を一気に丸ごと救っている。ほんの数分のシーンで、この映画で起こったことや出会った人たち、それぞれがそれぞれに生きたこと、全てに意味づけがなされるのだ。『タイタニック』に、モブは存在しないのである。


私は毎回このエンドで死ぬほど泣く。歳を取るにつれ涙もろくなり、観るたび涙の量が増えていく。ティッシュをボロボロにして、鼻水も止まらず、呼吸は変になり、カエルみたいな声が出る。死ぬほど泣いてしまうのだ。このエンドの底抜けの優しさに。フィクションであっても誰もを残さず救おうとする姿勢に。これは二人の愛の物語であり、祈りの物語だ。私たちはこの映画を観ることで、絶えず、「覚えているよ」と呼びかけているのだ。この映画を観る人が一人でも存在する限り、その呼びかけはいつまでも続くのだ。


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私は『タイタニック』に人生をめちゃくちゃにされた。この記事も気づけば1万字に近づこうとしており、時計は深夜1時を指している。この映画のせいで私の人生はめちゃくちゃだ。けれど最高だ。この映画に出会えてよかった。この映画を観た上で歩む人生で本当によかった。私はこれからも『タイタニック』を観るだろう。何度でも観て、何度でも同じところで泣くだろう。友達には何度でも同じ話をするだろう。何度でもプレゼンするだろう。


私はただただ、『タイタニック』の話がしたいのだ。




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