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lady on fire −『燃ゆる女の肖像』

意外に早く戻ってきたなと思われそうですが、昨日公開初日に駆け込んだ映画『燃ゆる女の肖像』があまりにも素晴らしかったのでサイトに書いた感想文をここにも置いておくことにします。



潮騒響く世界の中心で、炎に守られ炎を秘め、炎とともにあった時間だった。

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轟く潮騒の轟音に私は目が覚める。鼓膜全てが潮騒のために震えている。潮騒に聴覚を埋め尽くされながら、小舟にひとり、大きな揺れに表情を歪ませている、吹き上がってくる波飛沫に目を細めている画家の顔を私は見る。

潮騒の轟音が埋め尽くす世界で、崖を目がけ躊躇いなく走る女性を私は見る。空とともに色が移ろう海は青く、白く、夕日の色へ、まるで絵の具が足されるように。なんて美しい海、私は目を見張る。なんて美しい海、なんて美しい砂浜と岩場そして崖。なんて美しい波打ち際、その潮騒。圧倒的な美しい海を前にふたり並んで立つ彼女たちをじっと見ている。


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じっと見ている。画家の真っ黒な目は上目がちにモデルをじっと見る、手を走らせる、使い込まれたパレットから目の前にある光景と同じ色を作り出し、素早く、ゆっくり、思慮深く、注意深く、色は短く長く伸びていく。私はまた色に見惚れる。なんて豊かな色彩。画家の目に映る色はこんなに細分化されて豊かにそれぞれ異なる色が、カンバスの上で混じり合っていく、あまりにも贅沢な、色彩。

部屋でふたり向き合うふたりは常に発光しているように見える。輪郭は夢見るように微睡んでいて、微睡みの隙間からふたりの光が漏れている。生きているという光、才能という光、今が特別な時間であることへの、緊張感と幸福がもたらす光。部屋は光に満ちている。光の中で、彼女たちの肌は、目は、髪は、ドレスの光沢は、光っている。

目をそらすことができない。移ろい色を変えゆく海、ふたりが交わす視線、そして暖炉と蝋燭の炎で照らされる彼女たちの夜から目をそらすことができない。

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光は熱を生み出し炎へと変わる。彼女たちは燃えている。ふたりを隔てるその焚き火、その火を越えずとも、彼女たちは燃えている。燃える眼差しは、私をも掴む。


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恋は燃える。心臓が燃える。全身が燃える。だから「焦がれる」。足元から立ち上る炎に、心臓に穴を開けた炎に、身は焦がされていく。恋は「焦がれる」。炎に焼かれながら生きる、その生の実感。生きている存在。潮騒の轟音に目が覚めた私は、彼女たちの燃えさかる炎の光でまた目が覚める。彼女たちは暖炉と蝋燭の炎の中で夜を過ごす、私は燃える彼女たちに照らされてこの夜を過ごしている。この2時間を炎とともに。まるでスクリーンが暖炉そのもので、私はそこで、じっと、暖をとるように。すぐ足元に炎の気配が感じられそうなほどに、彼女たちの炎は、私をも、燃やせるというのだろうか。私もまた燃えていたのだろうか、あの2時間のあいだ、私もまた、燃えていたのだろうか。


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足を速めて訪れた冬に放り出されて私はさざめいている。夜の街で、レッドステージの上で、軒並みシャッターが降りた、病が暴走する街で、私はさざめいている。少しも寒くない。燃えていたから、その残り火で今なおさざめいているから。すぐにでもすぐにでもこれを、私が見たものを、分け与えられたこの炎を、書き留めなければならないと必死に、歩いていたから。

衝動が私を燃やす。書かなくてはならない衝動が私を燃やす。あの潮騒、海の美しさ、光るふたり、豊かな色彩、そして、ああ、あの炎! 書かなくてはならない衝動が、私の足を蹴る。もっと速く歩けと私の炎が急き立てる。ふたりから分け与えられたこの炎が。


生きては燃える、燃えてはまた生きる。燃え上がった炎はいつまでも彼女を私を生かす。冬の中にいる。暖房もつけずにいるこの部屋、朝の薄明かりだけが頼りのこの部屋、一夜明けてなお私は、衝動に燃やされている。書かなくてはならない衝動が、覚えていたいと強く願う衝動が、レッドステージの上に立たされてなお、心が劇場に置き去りにされ燃えているそれに再会したいという衝動が、土曜の朝の私を燃やしている。

目をそらすことができない。炎から、私は目をそらすことができない。


ああ、あの炎。捉えてやまないあの炎。この病んで凍てついた2020年に、こんなに鮮やかに、力強く、魅了されるほどに美しく熱い炎が私を燃やすとは。燃やしてくれたとは。身を焦がす炎がこんなにも、書けと私を突き動かすとは。生きろと私を突き動かすとは。


ああ、あの炎。一生に一度出会えるか出会えないかの炎。それが燃え上がる時間に立ち会えたことの幸福はあまりにも大きく、私は震えを抑えることができない。生きることは燃えること、震えること、一生ものの炎に出会い祝福すること。今、どれもが私の中にあるこの奇跡のような体験。

この映画がどうか少しでも多くの人に届くよう、目に留まるよう、あの炎がどこまでも広がって、共有されて、大きな火柱となって、またこの目に届くよう。誰もの心に火が灯り、暖かく燃える冬となるよう。


『燃ゆる女の肖像』。ようやく出会えた、その炎。

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lady on fire

その心臓に穴を開けたのはわたし
その足元に火を点けたのはあなた

燃え盛り舞い上がり死んでゆく夜の陽炎 燻り眩み燻り眩み
わたしを見つめる
陽炎の隙間をすり抜けてわたしを見つめる

燃え上がる歌声

光るあなた 燃えるあなた
海の間際で燃えるあなた
潮騒にもかき消すことのできない炎 燃えるあなた
輪郭が夢のように微睡んで滲む
あなたを見つめる
夢のあわいに目を凝らしてあなたを見つめる

潮騒よ歌声よ風鳴りよあなたの裾が翻る衣擦れの音よ
炎に色付けられた夜よ 夜が降ろした影が薄れ目覚めゆく朝よ

振り返ってよ
(わたしへの愛の証に)
振り返ってよ
(わたしが画家であるために)
あなたが消えてしまったのはわたしが扉を閉めたからだ
ああ、オルフェの秘密それこそが秘密 気づいてしまった

悲しくはないの
えがくことは別離と浄化、救済
えがくことはわたしの目からまたひとつ景色を切り離して楽になる
語れないものに涙するあなたをわたしの目がえがいている

燃え上がる歌声
lady on fire
燃え上がる音楽
lady on fire







撮影監督クレア・マトンのインタビューを透明ランナー氏が翻訳してくださっています。本当に人物が光って見えるような映像だなと思っていたのですが、こちらのインタビューで撮影方法について詳しく語られています。


2020年も終わりに差し掛かる冬、どうか一人でも多くの人に観てもらいたい、そして感想を聞きたい、あなたが受けた炎の手触りのことを聞きたい映画でした。





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