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人生最高を超えてゆけ 『THE FIRST SLAM DUNK』

正直なところこの映画化はどうなのかね? と声をかけると、私の髪を切っていた従妹が手を止めて、うーんと首を傾げた。
「でも、私は一応観に行くつもり。来週」
「そうか。でも確か声優変わったんだったよね」
「そうなんだよ」
「えーじゃあ緑川光聴けないの。残念」
「そこはまあそうだよね。聴きたかったよね正直」
そんな話をしながら私の髪は少しだけ短くなった。帰路、車の中で彼女との会話を反芻していたけれど、正直、観なくていいかなと思っていた。声優が変わったということ以前に、このタイミングで映画化される意図もいまいちよくわからなかったし、いきなり山王工業戦だと聞いていたのでついていけるかも心配だった。原作もテレビシリーズもうろ覚えだし、映画になったところでそこまで好評になる気もしなかった。従妹がどうせインスタに感想を上げるだろうし、上げなかったとしても次に会ったときに感想は聞けるし、それでいいと思っていた。

しかし、期待値をそれほど高くしていかなかった従妹はその後インスタでこの映画を絶賛し、同じく彼女の母親であり、原作ファンでもある私の叔母もインスタで絶賛し、Twitterを見てみてもタイムラインには毎日のようにこの映画を絶賛するツイートが流れてきて、何事だと思っているうちにだんだん興味が湧いてきた。緑川光を聴けないというのは残念だったけれどそれを補って余りある映画体験の予感がしてきた。それでも、まあ一応観てみるか、程度の気持ちだった。これだけ絶賛されているんだから完全なハズレを引くことはないだろうと。かくして『THE FIRST SLAM DUNK』足を運んだのはそんな小さな好奇心だった。


結論。
面白すぎて息が止まり、うっかり泣いた。

面白すぎたのですぐに叔母に連絡を取り原作を貸してくれるよう頼み(叔母はその日のうちに新装再編版全20巻を家に届けてくれた)家族にこの映画がいかに面白かったかを機関銃のごとくしゃべり散らかし休日の間を日がな原作復習に費やし山王戦だけを無限に読み返しApple Musicで10-FEETとThe Birthdayの主題歌をダウンロードし映画本『re:SOURCE』を買いそして年が明けて早々に家族を引っ張って二度目の鑑賞に赴いた。やっぱり面白すぎた。私だけじゃなく家族もまた素晴らしかったと絶賛し同じく原作に手をつけ始めた。嬉しい。
まさかこの令和の時代にスラダンリバイバルブームを起こすとは思わなかった。ブームが終わらないうちに感想を書こうと思う。映画の感想記事書くの久しぶりだな。いつも通り思いつく順から書いていこうと思います。ネタバレかつ三井推しの感想なので、なんでも許せる人向けです。



永遠に見てたい試合シーン

まずはやっぱり試合シーンがすごすぎる。モーションキャプチャを採用したCGアニメとなっているが、漫画がそのまま動き出すとこうなるのかという感じでただただ圧倒されてしまう。CGアニメだからぬるぬる動く感じなのかといえばそうでもなく、動くところはめちゃくちゃ動いて、パキパキして、しかも速い。そして要所で原作のカットを思わせる静止画ショットが差し込まれるので緩急がきちんとついていて見やすくもある。けれど夢中になって観ているうちに静止画ショットがもどかしくさえなってくるのだ。もう永遠に走り回る彼らを観ていたい。40分間フル映像でこの試合を観たい。映画では主に後半20分の模様が描かれているが、こんな映像を見せられると前半はどんな感じに彼らが動いていたのかも気になっちゃうじゃない!

音もいい。心臓にくるドリブル音、バッシュが床を擦る高い音、試合中の会話、そして試合が激アツ展開に差し掛かったときに行くぜとばかりにかかる10-FEETの劇伴と主題歌、これらを映画館音量で聴くのは本物の試合を観戦しているようで最高に良い。バスケの試合は重低音が似合う。

「山王戦は最終的にどうなったのかは覚えてるけど途中経過を全部忘れた」程度の記憶で『THE FIRST SLAM DUNK』に臨んだのだが、逆にこの程度の記憶でいた方がこの映画を十二分に楽しめるのではないかと思った。勝つとはわかっていても途中経過を覚えてないからしょっちゅうひやひやするし手に汗握るし無音の演出に息が止まる。この映画、無音の演出が多いのでしょっちゅう息が止まる。もはや1点差にまで詰め寄ったあたりから音が鳴っていようがいなかろうが息が止まる。息をしている場合ではない腹の底まで刻みつけろこの試合を! 流川が最後の攻めを仕掛けるあたりから息が苦しくて大変になってくる。流川! 桜木はそこにいるぞ満を持してパスを出せ!! 桜木! 入れてくれ! その1本を!! 決めてくれ!!!(決まることはわかっている)
そこからの桜木と流川のタッチ、そして音が戻ってくる演出はもう感無量なのであるが、このシーンに至るまでにだいぶ息が苦しい。無音が長い。長いがこれはこれしかない。
というわけで試合シーンは最高だったのだが、だからこそ欲を言うならもっと試合シーンが長くてもよかった。前述のとおり40分フルで走り回る彼らを観てみたかった。それくらいにこのCGアニメ、出来が最高だった。永遠に観たい。息くらいいくらでも止めます。
ちなみに三井寿を推す私のフェイバリットシーンは流川が三井にパスを出し「しめた!あいつはもう打てな」「そんなタマじゃねーよな」「静かにしろい、この音が何度でも俺を蘇らせる……!」ウワーッ! のあのシーンです。(「そんなタマじゃねーよな」の流川、なに…、なにその、えっ……かっこいいんですけど……)


等身大の彼ら

前述のとおり『THE FIRST SLAM DUNK』はテレビアニメ版から声優が一新されている。声優が変わっていることを公表する前に前売り券を売ったもんだからめちゃくちゃブーイングが起きたりしている。私も「えっ流川は緑川光じゃないのかよ」とちょっと残念だった。そこだけは今でも残念だったりしている。

しているのだが、2回鑑賞してみて、全然問題なかったよなと思っている。というのも原作に入っていたギャグがほとんどカットされたことでデフォルメされた絵柄が極端に少なく、より本物に近づいた高校生たちという映像だからだ。ここにマンガ的・アニメ的なテンションの高さは桜木ですらあまり感じられず、そこに当てられる声もまた、みんなどこか朴訥としていてちょっとそっけなさすらある。だがしかしこのそっけなさこそ本物の高校生を観ているようでとてもいい。私がZ世代の声優をほとんど知らないというのもあるが(あの人たちZ世代と呼んでもいいよね?!)この等身大さが、時代だ~~~~!! と思ったのだった。声そのものの色じゃなく総合力で勝負してくるこの感じ。かくして新生湘北メンバー、正直ひとりずつ聴いていって誰が誰の声だったか当てられる自信は全然ないが(ないのかよ)、トータルで高校生度は増している。確かにテレビアニメ版が好きすぎるという人にはあまりおすすめできないが、そうでもない人、覚えてない人には自信を持って「問題ないよ」と言える。

個人的にはテレビアニメ版の草尾桜木のヤンキーっぽさも大変好きだが、『THE FIRST SLAM DUNK』の木村桜木のちょっと幼くなった感じも大変良い。この木村桜木、試合中にパスをもらおうとリョータくんに「へいへいへい!」と声をかけるのだが、この言い方めっちゃわかる。体育の授業で聞いたことある。


リョータくんと三井くん

リョータくんと三井くんといえば原作でも因縁の仲であり、三井がバスケに復帰して和解したあとも桜木に「デコボココンビ」と言われたり何かとペアになったりすることが多く個人的には大変好きなのだが、原作で三井がリョータをそこまで目の敵にする理由が正直よくわからなかった。確かに、見た目と態度が生意気でおまけにバスケ部期待の新人で、ということで理解はできるのだが、何をそこまで……? とも思っていたのだった。見た目と態度が生意気なのは見りゃわかるけどバスケ部期待の新人って三井は何をどういう経緯で知ったんだろう? とちょっと不思議に思っていたのだ。(そんなにべったりバスケ部をストーキングしていたのかあの男は?)

しかしこの映画を観たことで彼らの過去にライトが当たる。中1と中2ですでに出会っていたんですね!!! かつて出会っていたからこそ、そしてそのときからリョータくんの能力に気づいていたからこそ、高校生になって自分が挫折したとき、何の問題もなくバスケの能力を伸ばし期待の新人として高校生になったリョータくんに羨ましさと憎しみを感じるに至ったんですね。三井はリョータくんをちゃんと覚えていたんですね!! なんて尊いこの鮮烈な出会い、そしてその後の関係性の変化。この過去が差し込まれたおかげでリョータくんと三井くんの関係性が100倍尊い。かつては一緒にバスケをすることを夢見たかも知れないけれどリョータくんのことをどこか下に見てた、なのに自分が挫折したことでリョータくんだけがどんどん先を行ってしまい、背中が遠くなっていくことが悔しくて羨ましくて悲しかった、そんな気持ちを全部乗り越えてバスケに復帰して、リョータくんをきちんと対等な目で見て、一緒にバスケするという中2の自分の夢をちゃんと叶えたんだね三井寿!!! お前は偉い!!!!
そして中学生から高校生に至るまで髪型のバリエーションが豊富な三井寿よすぎか?!?!
うるさい章になった。おしまい。


人生最高を超えてゆけ

原作と映画で大きく異なっているのはやっぱりエンドだろう。
原作では湘北は山王工業に勝利するも、この試合で全てを出し切ったために次戦の愛和学院高校との試合でウソのようにボロ負けし、彼らのインターハイは終わる。そこから赤木と木暮が引退し、リョータくんがキャプテンとなる新生湘北バスケ部がスタートし、背中を痛めた桜木は復帰を夢見てリハビリに励む。
かたや『THE FIRST SLAM DUNK』では視点はリョータくんと山王工業・沢北に移される。山王工業との試合が終わったあと、彼らはおそらく高校を卒業し(沢北は卒業を待たずに行ったのかも知れないな)アメリカに渡る。そしてアメリカのそれぞれのチームに所属し、試合で二人は再会する。試合開始の笛が鳴り、リョータはかつての、そして今なおライバルであり続ける沢北へと向かっていく。

私はこの『THE FIRST SLAM DUNK』のエンドが大好きだ。なぜなら、彼らの物語は高校バスケにとどまらないことがはっきり示されたからだ。
原作では山王工業に勝利するも湘北は次戦で敗退する。それは桜木も山王工業との試合中に「俺の栄光時代は今なんだよ!」と言うように、まるで湘北メンバーにとって最高の瞬間は山王工業戦であったかのような描写だ。インターハイを終えた後の彼らがどうなったのか、新生湘北メンバーはその後冬の選抜に勝ち進むことができたのか、それに桜木や流川はこれからどんな道を進んでいくのか、それらは読者の想像に任されている。もしかするとみんな良い方向に行くのかも知れない。これはこれで物語は続いていくのかも知れない。けれど、原作の中での彼らの最高の瞬間はやっぱり山王工業戦であり、高校生の、10代の瞬間なのだ。
しかし『THE FIRST SLAM DUNK』のエンドは「それは違う」とはっきり示しているような気がする。リョータくんも沢北もアメリカへ渡り、おそらくは、高校時代の彼らよりも日々、ずっとずっと成長している。バスケの能力も、そして人間としても。歩み続ける、成長し続ける彼らにとっての人生最高の瞬間は、決まるものじゃない、その一瞬一瞬が最高なのだ。10代最高の瞬間は確かに山王工業戦だったかも知れない、けれどそこで全てが止まってしまう彼らでは、絶対にないのだ。彼らの人生最高の瞬間は日々刻々とアップデートされていく。安西先生も言っていた、諦めたらそこで試合終了だと。それは、諦めない限り試合は続くということだ。諦めない限り、最高の試合はまたやってくる。何度でも、きっと、やってくるのだ。

これはバスケだけじゃなく、今を生きる私たちにも強烈で、力強いメッセージだろう。一人の人間の、人生最高の瞬間は決して10代では決まるもんじゃない。続けることに意味がある。生き続けることに、意味がある。何かを大事に持っていれば、何かをこつこつ続けていれば、いや、生きてさえいれば、人生最高の瞬間はやってくる。しかもそれは、確実に更新されていくのだという、力強いメッセージだ。


やっぱり「部活」を諦めたくない

部活ものを無条件に礼賛することは、したくない。
一緒に頑張る仲間は素晴らしい、とか、頑張れば報われる、とか、現実では絶対にそうとは限らないからだ。そうとは限らないのに、そんな美しいメッセージだけが先行して、その「物語」に乗れなかった人が、乗れなかったのは自分の責任で、たとえば自分の努力が足りなかったから、とか、自分に協調性がなかったから、とか、そうやって自分の方に問題があるのだと、苦しむことになってしまう。部活がうまくいくかなんて、自分個人だけの問題ではない。そもそも学校にもよるし、顧問の先生が有能かどうかによっても変わるし、経済的な問題なんてなおさら10代の自分のせいじゃない。部活にいい思い出があるというのは決して当たり前のことじゃなくて、そっちの方が、幸運なことなのだ。

だけどその上で、それでも私は、部活に夢を見たいと願う。
私の話をすれば、私もまた小学校から大学までずっと部活をやっていた。小学校と中学では吹奏楽を、高校と大学では演劇を。そして私はこの『SLAM DUNK』に少なからず共鳴する。この作品に心が震えてしまう。

なぜだろう、と考えたときに、やっぱり、「頑張れば報われる」というこの物語のメッセージに、震えてしまうのだと気づいた。決してそうとは限らないのにだ。
だけど「頑張れば報われる」というのは、決して一番になることだけじゃない。一番になることだけが目標なら、それこそ「頑張れば報われる」なんてますます夢物語になってしまう。
大事なのは、自分が一番じゃないとわかったときに、そこから、どうするかだと思うのだ。
部活は、自分は一番じゃないのだという経験もまた与えてくれる。蓋を開けてみれば、同じ部の中にも、他校にも、自分より優れた人、輝いている人はいくらでもいる。それこそリョータくんが湘北バスケ部に入部して、そこで赤木や三井、そして流川や桜木に出会ったように。そして他校に目を向けてみればそれぞれの学校にそれぞれすごいやつがいたみたいに。
問題は、そんな、自分よりも才能に恵まれていたり、能力が優れた人間に囲まれて、自分もまた、やっていかなきゃならないということだ。もちろん、本当に辛いならやめることだって全然ありだ。けれど、自分より優れた人がいる、というのは、紛れもなくスタートラインなのだと私は思う。それはナンバーワンではなく、オンリーワンを目指す旅の始まりだ。思うに『THE FIRST SLAM DUNK』で主人公にリョータくんが選ばれて、喪失を乗り越えた彼の姿、そして努力が描かれたのは、そういう意図もあったのではないだろうか。「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ」大好きな台詞だ。『SLAM DUNK』は高校生がバスケ全国制覇、つまりナンバーワンを目指しにいく物語であるけれど、だけど同時に、それぞれがオンリーワンを目指す旅でもあるのだ。

もう一つ、私が共鳴することがある。これもやっぱり、仲間の存在だ。
湘北メンバーは決して仲良しではない。しょっちゅう喧嘩しているし、怒られているし、色々問題を起こしすぎて問題児軍団と言われていたりもする。けれど、彼らは互いに認め合っている。自分だけの力じゃなく、チームで、一番を目指そうとする。たった一人で頑張るんじゃなく、みんなで頑張るのだ。そして部活は、何にしたって、自分だけのものじゃない。辛いことも、嬉しいことも、全ては共有される。そのことは、少なからず、その人を孤独から救う。
私の話をして恐縮だけれど、私もまた多分協調性があった方ではなく、小中高大、どこに行っても仲違いを起こしていた。孤立したこともあった。けれど、大人になった今、思い返してみれば、心に残っているのは「仲間がいた」という強烈な実感だ。仲が良かったか、悪かったかなんて関係ない。ただ、あのとき、同じものを目指す、同じものを作ろうとする仲間がそこにいた、ただそれだけなのだ。だけど、その、ただそれだけのことが、今も私を支えることがあるのだ。
私もまた救ってもらったのだろう。部活は学生だった私に居場所をくれた。だから、その部活というものを否定することは絶対にできないし、したくない。結局そうだ。だからこそ、部活を描いた作品を無条件に礼賛することもしたくないけれど、同時に、否定も絶対にしたくないのだ。

私にとって『SLAM DUNK』は、心震える体験で、共鳴する記憶で、心から、好きだと思う物語なのだ。


以上くそ長い『THE FIRST SLAM DUNK』感想でした。
何回でも書きますけど面白すぎました。生きてるうちにあと50回は観たい。人生最高の瞬間はどんどんアップデートしていこうぜ。Swish da 着火 you!!!

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