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告知 [父親目線の小児がん闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅰ-4

翌日、生検の為に娘はストレッチャーで運び出された。
少し怯えた表情の娘を、妻が髪を解くように優しく撫でた。
僕も手術室に入る直前まで、小さなその手を握って送り出した。

切除は直ぐに終わり、娘は明るい表情で病室に戻ってきた。
腫れがほぼ無くなり喜ぶ娘の横で、H先生から後日改めて検査結果や今後についての話があると告げられた。

そして週末、僕と妻は看護師さんの案内で病棟の一画にある六畳くらいの狭い部屋に通された。
中にはH先生と看護師のNさんが待っていた。

テーブルの上には種々の印刷物が置かれていた。H先生が話しはじめた。
やはり、娘の腫瘍は悪性のもので、病名は悪性リンパ腫。先生が話す横で、Hさんが印刷物のページをめくった。

多分そんな感じで始まったと思う。

妻の肩は震えていた。
僕は目の前の印刷物を手に取り、促されるままにページをめくっていったが、先生の話はうわそ空だったかも知れない。

この大学病院への転院を勧められた時点で、ある程度覚悟はしていたつもりだったが、その瞬間身体が震えた。確定診断を聞くまでは一部の望みを持っていた。
しかし、あっけなく、本当に呆気なく、微かな期待は打ち砕かれた。

全身の力が抜けていった。
目の前の印刷物には紛れもなく「小児ガン」と書かれていたのだ。

重い足取りで廊下を歩いた。鼻をすする妻に何んと声をかければ良いのか分からなかった。

「ちょっとおトイレに」
「あ、あぁ。」
そう返事を返すことしか出来なかった。

病室に帰ると娘は眠っていた。しばらくして妻も戻っきたので、僕は読みかけの印刷物を持って立ち上がり、二人で食堂に行った。

「やっぱり悪性だったね、、、リンパ腫って言ってたけど、白血病と同じって事?」
「あぁ、そう言ってたね、、、でも白血病と言ったって、今では不治の病じゃない、、、って言ってたよ」
「治る、、、んだよね?」
「うん、100%ではないけれど、治療方法は日進月歩で進んでいるから、いまでは半分以上の子供が治ってるって言ってた。」
そう答えながら、僕は「小児ガン」と書かれたその印刷物をくまなく読んんだ。

渡された印刷物の中には、白血病や悪性リンパ種とはどんな病気かと言う事。
そして、その治療方法の概略、患児家族の心得などが書かれたものだった。
今にして思えば、ごくごく簡単な説明書ではあるものの、当時としては、これから自分たちが闘う敵を目の当たりにする現実的な手引書だと感じた。

H先生は僕の10歳年上で、この大学病院では助教授の立場だった。渡された手引書は単にこの病院だけで使っているものではなく、全国規模のネットワークで共用されている物で、どうや先生はそのネットワークの主要なメンバーらしかった。
<不幸中の幸い>とはこう言う時に使えば良いのか?
少しだけ心強い心地がしたのを覚えいるよ。


〜告知〜
小児がんはここ数十年の医療の進歩で、現在では約7割~8割が治るようになってきたと言われる。
とは言え、我が子が「癌」と診断され動揺、いや絶望しない親はいないだろう。
例え、生存率5割が8割になったとしても、本人・家族の味わう死への恐怖は変わらない。
しかし、だからと言って、癌に抗(あらが)うことを諦める人もいないだろう。誰しもが生への希望を持つはずだ。ならばどうするか?答えは決まっている。病に打ち勝つ事だ。闘うことだ。
「敵を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」(孫子)
闘うためには敵を知らなければならない。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
この慣用句を告知に当てはめるならば
「聞くは一時の死、聞かぬは一生の死」

確かに癌告知は残酷ではあるが、それを知らなければ、そこから進まない。


「病名は病名にすぎない」
これは、ある小児がん患者さんの発した言葉だ。
「癌」と言う抽象的な病名だけが一人歩きし、「生死」をタブー視する周囲に対し、
この言葉は患者本人の「生」への強い意志が現れていると思いませんか?

僕は
告知は診断の結果ではなく、治療のスタートだと思う。
患児・家族に前を向かせる行為
勇気を与えるメッセージであってほしいと願うのだ。


この闘病記、
僕は君を守れるか_序章_元疾患編 indexはこちら

僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編 indexはこちら

僕は君を守れるか_急章_生体肺移植編 indexはこちら


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