思考の縮こまり...からのぉ~「中庸」
嫌なことが多発すると、起きた出来事に対して、一気に集中してしまい、そればかりが気になって、頭の中でぐるぐると廻るようになる...。
これが始まると、なかなか抜けられない。まるで、とりつかれたかのように...。ついには、全ての出来事が嫌になってしまい「厭世的」な考えに落ちていく。
内なるニヒリズムが目を覚ます。
こんなパターンを何度も繰り返していることに気づき、どうやったら抜けだせるのか?過去を探っても、思い出せない。
で、結局、ある本を手にすることにしたのです。
「現代語訳 論語と算盤」
大きな事業をいくつも成功させた「日本資本主義の父」渋沢栄一の本。この人の視点領域だと、当然ながら、会社員感覚とは全く違い、スケールが大きく、そして、話のほとんどは「中庸」を意識した内容。なので、経営者でもない自分が読んでも、あまり理解できないのかも?と思ったけれど、これが一個人に対しても、学びが沢山ある内容でした。
ところで、この「中庸」が、結構な曲者。
ある日、自分のコーチから「では、あなたが考える『中庸』とは何ですか?」と聞かれて、その時は、はっきりと言語化できず、モゴモゴして終わってしまい、その後、何故、もっと言語化できなかったのか?と自問してみたけれど、そもそも「中庸」って簡単に「真ん中」なのだけれど、はっきり言えることは「正しい・間違い」の真ん中というような、単純化できるものではないようだという事です。
そして、そもそも「中庸」は、「〇〇です」と表現できるものではなく、起きた出来事を多方面から観て判断し、偏りなく、丁度いい塩梅で観ていく事でもあるので、コーチから質問された時点で、「ケースバイケースであり、一言で言い表せるものではなく、物事を常に俯瞰しながら、必要に応じた対応を取っていく事だったり、そうした物の見方をしたりする事だと思います。」と、言えれば良かった...と、今頃、そう考えている自分なのです。
肝心な事は、その場でサラッと言えるようになっていないと、結局は、まだ自分に落とし込めていないし、理解も出来ていないという事なのでしょう。
話は「論語と算盤」に戻しますが、すごく関心したのは、世の中の出来事、政治・経済・事業・組織等に対して、本当に俯瞰して観ており、凡人には真似の出来ない、飛びぬけた頭の良さ、理性、論理があり、少々、歪んだ表現かもしれませんが、江戸から明治~昭和初期にかけて、日本という国を発展させるために生まれてきたというくらいの人だったと思うのです。あまりにも完璧で、聖人?と勘違いしてしまいそうだったけれども...、女性にはめっぽう弱かったらしく、そこまで読んで、何故か安心したのでした(笑) もちろん、ビジネス面では、正に「聖人」だったのだと思います。
「道徳」についても、かなり論じられており、「道徳」というものは、一般常識に近い意味合いで捉えていたのですが、本の中では「人格を磨く」であったり「知恵や精神力を高める」、そのための基本となるモノという意味合いが強かったと感じます。そこから更に「武士道」へと話が発展していき、「正義」「廉直」「義侠」「敢為」「礼譲」についての理論が展開。恥ずかしながら、こちらのそれぞれの意味合いについては、ほとんど知らなかったのでした。
さて、本文にあった言葉ですが、
「知恵ある者は、自分の運命を作るというが、運命のみが人生を支配するものではない。そこに知恵が加わって、初めて運命を開いていくことができる」
時間を戻すことが出来ないし、今更...と思う気持ちが湧いてくる時もあるけれど、これからも自分なりに学んで行く事は、やはり大切であり、この言葉を思い出しながら、のろまでもコツコツ進んでいきたいと思うのです。
「中庸」を意識しながら...。
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