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「そもそも何をしたかった?」のか

本日はもともと2020年東京オリンピックの開会式が予定されていた日です。私も年が明けたころはどんな1年になるかと考えていましたが、新型コロナウイルスの思いがけない出現で大会は延期、ほとんど動きのない「スポーツの日」という祝日を迎えてしまいました。

来年の開催についても不安が大きいです。朝日新聞やNHKが今月半ばに行った世論調査ではかなり似たような結果が出ていました。

●朝日新聞(今月18~19日、全国に無作為に電話するRDD方式)
「来夏に開催」・・・33%
「再延期」   ・・・32%
「中止」     ・・・29%

●NHK(今月17日~19日、上記と同様、RDD方式)
「開催すべき」    ・・・26%
「さらに延期すべき」・・・35%
「中止すべき」    ・・・31%

両方とも「延期」「中止」が60%を越えているのです。新型コロナの流行が日本でも世界でも収まっておらず、超大国のアメリカの状況が酷いとなれば当然の結果と言えるでしょう。

大会の組織委員会は何とか開催しようと模索を続けていますが、ここにも困難があります。今月6日、組織委員会の森喜朗会長はオリンピック開会式の規模縮小が困難という見通しを示しました。報道によると次のように語ったということです。

開会式の時間を短くして、縮小すれば経費は安くなる。
でもIOC(国際オリンピック委員会)はだめだ、と。
テレビと契約して時間帯を打っているから。
外すと違約金を取られる。それを組織委が払えますか。

これ、かなり正直な発言だと思います。綿密な感染症対策をして規模を縮小しようにも、商業化したオリンピックでは「NG」が多々あるということです。

思えば、オリンピックの精神を表すとされていた「参加することに意義がある」という言葉もすっかり聞かれなくなりました。新型コロナはオリンピックが「カネによって動く」という現実をまざまざと見せつけ、「大切なのは成功ではなく努力」という原点を色褪せさせてしまいました。

もし、大会の組織委員会がIOCと渡り合って、「カネがかからず、選手の安全に最大限配慮した大会」を実施できるならそれこそ歴史に残る偉業となるでしょう。それが先ほどのような発言をしている森会長のもとでできるかは非常に疑問ですが、やるなら「原点回帰」で「オリンピック精神に則りつつ、新しい“グローバル感染症”」の時代に即したものであって欲しいと思います。

今回はジャズの世界で「原点回帰」の趣がある一作を取り上げてみましょうか。ディジー・ガレスピー(tp)らによるジャム・セッションで作られた「ザ・モダン・ジャズ・セクステット」です。

このレコーディングに参加したメンバーはギターのスキーター・ベストを除き、ディジー・ガレスピーのバンドに籍を置いたことがある人ばかり。
1956年の録音ということで、隆盛していたハード・バップの要素に満ちた演奏が展開されています。

しかし、グループ・サウンドがかっちりできあがっているわけではなく、気心知れたメンバーで「サラッと」セッションをやってみたという、ジャズの原点にある楽しさが詰まっているのが最大の魅力。「そうそう、これだよ」と言いたくなるような演奏なのです。

バンド名はMJQ「モダン・ジャズ・カルテット」に引っ掛けたものでしょう。ジョン・ルイス(p)の参加がバンド全体を軽く引き締めている感があります。

1956年1月12日、NYでの録音
Dizzy Gillespie(tp)  Sonny Stitt(as)  John Lewis(p)  Skeeter Best(g)
Percy Heath(b)  Charlie Persip(ds)

①Tour De Force
ガレスピーのオリジナル曲。非常にくつろいだ趣でメロディが始まります。セッション全体の雰囲気を伝えたくてこの曲を冒頭に置いたのではないかと思えるほど演奏を楽しんでいる感じが伝わってきます。最初はソニー・スティット(as)のソロ。ここでのスティットはいつになくフレーズがスムーズに出てくるというか、アイデアが汲めども尽きずという印象を受けます。続くガレスピーはその勢いをそのまま受けず、中音域でややゆっくりとプレイ。この辺りのアクセントのつけ方がさすがバンドリーダーというか、全体の設計をよく考えていて、聞き手はちょっと息をつくことができます。やがて、彼らしい力強いハイ・ノートを奏でますが、これも連発ではなくうまく間を開けているところがミソ。ジャム・セッションで遊ぶ余裕は持ちつつも「流れない」ところがさすが名手です。そして、ジョン・ルイス(p)のソロ。彼らしい品があるプレイで、ここで音楽の「速度」が再びゆったりしたように感じられます。ジャム・セッションのだいご味はこうした異なる個性が「主張しつつ合わせて」一つの音楽になっていくところ。まさに「原点」を見るかのような演奏です。

③Ballad Medley:Old Folks~What's New~How Deep Is The Ocean
3つのバラッドをつなげたメドレー。ピアノのイントロからソニー・スティットが「オールド・フォークス」のメロディを吹きますが、これが非常に力強い音色で、ストレートに聞き手に「刺さってくる」演奏です。もちろん、過激さはなく抒情的なプレイなのですが、熱い思いが背景にあることがまっすぐ伝わってくるのがすごいです。この「素直さ」はまさにジャズの原点。続いてジョン・ルイスが「ホワッツ・ニュー」のメロディからソロを担当。ここでも「ポーン」と音を置くような「口数が少ないピアノ」が独特の世界を演出しており、クラシックを消化したルイスらしさが出ていると言えるでしょう。続くガレスピーが「愛は海よりも」でスケールの大きいトランペットを聴かせます。ここでパワーを注入し、音楽全体をピリッとさせているのがさすがです。

ジャズの世界でも現代ならではの難しさがあるでしょう。「ジャム・セッション」をそのまま作品にするのは、「新しいものを作り出したい」ミュージシャンにすればむしろ「危険な冒険」であり、まずできないことだと思います。それはそれで正しいことですが、おそらく「そもそも音楽をやりたくなった原点」であり、自分の立ち位置を参照する作品や体験をみなさんきっとお持ちなのではないかと推測します。そこには「セッションの歓び」がきっとあるのでは・・・。

東京オリンピックもせめて「そもそも何をしたかったのか」改めて突き詰めてほしいと思います。「カネもうけ」だけだった、ということでは国民に見透かされ、将来、もっと厳しい世論調査の結果が表れてしまうでしょう。

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