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ロリスの今観返したい映画レビュー『ファウンド』編

何事も無かったかのように再開する映画レビュー。
今回の作品は『ファウンド』。
私自身が観たのはつい先日のことなのだが、観終わってすぐに「もう1回観たい!」と思ってすぐさま2周目に入ったくらいには気に入った作品なので熱量が残っているうちに感想を書き記しておこうと思う。

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さて、レビューに入る前に本作がどのような刺さり方をするのかをあらすじと一緒に先に述べておこうと思う。
主人公は12歳の少年マーティ。
ホラー映画鑑賞が好きないじめられっ子の彼は家族の秘密を覗くのが趣味。
母の秘密はベッドの下に隠された昔の男からのラブレター、父の秘密は車庫に隠されたポルノ雑誌、そして兄の秘密はクローゼットの中に隠された人間の生首。
数日ほどで変わる生首を眺める生活を送っていたマーティだったが、ある時その生首がクラスメイトのものに変わる。
それをきっかけに兄の歪んだ愛情と狂気が顕になっていく……。
といったところだろうか。
まあ、こんな映画を観てる連中なぞ多かれ少なかれマーティに自己投影してるんじゃないだろうか。
大人が眉を顰めるようなスプラッターを好み、周囲とどこか馴染めず、どちらかといえば暗い青春を送るマーティ。
母親からはホラー映画を観ることに対していい顔はされないが、「ホラー映画が好きだから暴力的な性格になるなんておかしい、余計なお世話だ」と気に留めない。
本作の刺さり方はこのマーティへの自己投影によって生じるノスタルジーと恐怖だ。
本作は全編通してマーティの視点で語られる作りなので没入感がより強まる。
彼が交流する人物は大きく分けると2人だ。
ホラー趣味を共有できる唯一の友人デヴィッドと、同じくその趣味を共有できるシリアルキラーの兄スティーブ。
外面ばかり気にする両親やいじめっ子たちといった連中ばかりでなく、マーティの理解者がいることにホッとすると同時に「自分にもこういう理解者が子供時代にいれば」と思わず羨むことだろう。
序盤はね。
まず、ホラー趣味を共有できる友人デヴィッドなのだがこちらとはあっさりと喧嘩別れする。
きっかけはデヴィッドとのお泊まり会。
お泊まり会で観た映画の感想から既にその決裂の運命は見え隠れしている。
画面におっぱいの映るいわゆるサービスカットにデヴィッドは興奮するのに対してマーティは冷めた反応。
その次に観た、兄が殺人の参考書がわりに使っている『ヘッドレス』という映画でも2人の反応は二分される。
兄の凶行を知っているマーティは、『ヘッドレス』内の殺人鬼の行動を兄が模倣していることに気づいて怖がる。
対してデヴィッドはそんな事情は知らないので「グロくて最高」だの「ストーリーが無くてつまらない」だの言いたい放題。
後者の意見に対してマーティは「スプラッター映画だからそういうもの」と諭すあたりにもスプラッター映画というコンテンツへの接し方に温度差があることが明らかだ。
このコンテンツへの温度差というものも現実世界でもよくあることだろう。
私たちはマーティの立場はもちろん、デヴィッドの立場にも時と場合によっては成り得る。
そして、その結末は決別という形で終わることが多いのではないだろうか。
本作も例に漏れず、デヴィッドからの心無い言葉を受けた末にマーティは兄の隠している生首を見せつけて脅すことで友情は一欠片も残らず崩れ去る。
友情とは得てして砂上の楼閣であることが多いものだ。
この一件をきっかけに兄スティーブとの関係にも変化が生じる。
マーティが生首の秘密を知っていることに気づいたスティーブはマーティを問い詰める。
そこでスティーブは「価値のない黒人を殺すことは使命」、「秘密を知っても弟のことは大切だから傷つけない」と心中を吐露する。
前述したように本作はマーティの視点からのみで作られた映画であるが、スティーブの殺人に至る思考に関してもある程度の推測が可能となっている。
まず、スティーブがこの時点で最後に殺しているのがマーティのことをいじめていたいじめっ子。
このいじめっ子は黒人の男の子であるという理由とマーティをいじめていたという理由の2つから殺されたと考えられる。
なぜスティーブが黒人は害悪だという考えを持ったかというと、両親の偏った思想にあると思われる。
マーティがいじめを受けたことを打ち明けると父親は相手が黒人であることに原因があるといった旨の台詞を吐き、母親もそれを諌めるものの否定はしない。
スティーブ自身もそれに関しては父の言う通りだと同調している。
偏見を持った両親の下で育ったゆえに、ターゲットを黒人としているのではないかと考えられる。
しかし、これはあくまでもスティーブ自身の殺人への強引な理由付けであることもマーティの視点から同じように推測できる。
というのもスティーブの殺す人間は何も黒人に限った話ではない。
冒頭でマーティは隠された生首が1度白人の男だったこともあると語っているし、物語のクライマックスでは自分を追い出しマーティを傷つけようとする両親に殺意を向けている。
殺す対象は基本的に誰でもよく(理由付けに黒人が都合がいいので比率としては多い)、マーティ(弟)を傷つける者は特に執拗に狙う、というスタンスの方が近いのではないかと思われる。
その後、マーティが教会で他のクラスメイトからからかわれた時には、遂に暴力による報復を選ぶ。
自分自身の手で「ホラー映画が好きだからといって暴力的になるなんておかしい」という考えに反証してしまう形になってしまったのだ。
その姿はかつてマーティをいじめていたいじめっ子の姿と重なる。
頑なに相手が悪いので謝る必要はないと謝罪を固辞するマーティを、牧師は「怒りに満ちた少年を見るのは悲しい」と評する。
マーティの暴力は怒りに満ちたゆえの欲望に忠実な行動であり、それは兄スティーブの無秩序な殺戮と何ら変わりがないのではないだろうか……。

くどいようだが本作はマーティの視点で物語が進むこともあって、私の推測もあくまで推測でしかない。
そのため、私が読み解いた結論もあくまで推測だ。
マーティはこの状況をホラー映画のようだと分析し、クライマックスで真のモンスターは誰なのかと自身に問う。
シリアルキラーと化した兄か、意図的でなかったにしろそれを作り出した両親か、あるいは優秀で大人しい少年だったはずなのに暴力に手を染めた自分か。
物語はそんな問いかけを残して最悪の結末へと舵を切る。
欲望に忠実な傲慢さとも呼べる「偏見」こそが本作のモンスターの本質なのだとするなら、モンスターと人間の境目は案外と簡単に飛び越えられるのではないか。
なぜなら私自身も本レビュー冒頭で本作を観るような連中なぞマーティに自己投影するに違いないという偏見に満ちた考えを吐露したのだから。
本作を観たあなたの周りの人も、そしてあなた自身も自分は絶対にモンスターにならないと証明することができるか。
そんな問いかけを投げかけられたような気分になる作品だった。

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