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仲間がいるからこそ得られるもの Vol.2_5

俺が営業マンとして駆け出しのころ、ITバブル市況に助けられ、ちょっとだけだけど、成績のいい営業マンだった。 

たまたま入った会社で業界未経験の新卒は
俺しかいなくて、周りの先輩たちも
珍しいからか俺を褒めておだててくれた。

おだてられやすい俺はそのまま乗せられ
何をやってもうまく行くし
万能感すら覚えた時期だった。

しばらくして、
一営業マンの俺は管理職の役割をもらった。

調子に乗りやすかったから、勘違いしまくった。

何からなんでも自分で決めないと気が済まないし、なんでも自分が関わろうとして、懸命に取り組んだつもりでいた。

だけど所詮は経験のない若造!

何も知らないし、何もできないからすぐに年上の部下たちから見透かされ、冷ややかな対応をされるようになった。


意味のない勘違いプライド

客観性に欠ける若造である俺は、そんな周りの
冷ややかな対応にも気が付くことはなかった。

それからかなり時が経ち、やっと気がつきだした時には誰も俺の理解者はいなく独りぼっちになった。

肩書はあるものの、あの意味不明な
万能感はもはやどっかに消えていった。 

残っているのは、力の入った肩に虚無感だけが
乗っかている無力な管理職という肩書だ。 

そんなむなしい俺はそのまま
社長という肩書になってしまった。

更に力むようになり、周りが見えなくなった。

相変わらずおだてられる場所にしか行かないから
自分は出来るんだ!と虚勢を張り気張り続けた。

その気張りが無意味だということに
気が付くまでに俺は時間をかけてしまった。


色々と失敗し、傷つくこと繰り返して

30歳を手前にしてようやく

明確に俺は一人では大して何もできないことを知った。



世界が広がった瞬間

社内の人たちには見限られてる俺は
なんでそれを知れたのか?

それは自社の外にいる本当に仕事ができる人たちと
出会ってショックを受けたからだ。

自分が成長していないことにやっと気が付き、
危機感を覚えたんだ。

井の中の蛙大海を知らずってな

それから、馬鹿を認め馬鹿なりに学びだした。

成長しても成長しても、あれ?

俺が知ってる海ってどんどん
広く感じていく一方じゃんか

って思うだけだった。

だから知れば知れるほど、たかが俺一人ではやれることも出来ることも何もかも限られてて、いろんな人たちに助けてもらわないと大したことができないことを理解した。

ごく稀にキチガイみたいな人材で
一人で億とかを平気で稼ぐけど
俺がたくさん出会ってきたなかでも 
マジで、1%もいない、激レアカードだ。

当たり前だけど 
俺はそういうタイプではない。

※違う意味でキチガイだけど・・・


だから仲間を作らないといけないんだ。


働きかけて一緒に動いてもらえるように 
手伝ってもらえるように
助けてもらえるようにしないといけないんだ。

凡人の俺が、より大きな仕事をするための
唯一の方法だ。

そう思った。

だから、大半の人たちにとって周りに働きかけて
仲間にすることはきっと同じように大事なんだと思うんだ。

別に肩書があるとかないとかは関係ない。

先輩や後輩とか、自社、他社とかも関係ない。

借りられる力になるなら、借りれるようにしたほうがいい!

いざ大仕事の時に、助けてくれる仲間は
多いに越したことはないからね。

仲間とは

俺は東北震災の時(3・11)に準備期間がほとんどないなか
こどもの日(5月5日)に被災地で
大きいお祭りを開らかせてもらった。
まだ物資を送ったり、炊き出ししかやってない時期に、だ。
やらない人たちから不謹慎だって叩かれながらね。   


俺なのにあの短期間でやれたのは間違いなく仲間がいたからだ。

東京のベンチャー企業たち、地元の自治体、自衛隊などなどを動員してね。

一言、二言で力を貸してもらえる。
「こいつに頼まれたんならしょうがない!」
ってなれる。

仲間って多分、こういう関係なんだと思うんだよ。

俺はこの経験によって、日頃から仲間を
作るために働きかけることの大切さを覚えた。

この被災地イベントは俺の人生観を大きく変える出来事の一つでもある。

        
相手によって態度を変える人
頼みごとがあるときだけ近寄ってくる人
自分だけ得しようとする人、道筋を違えちゃう人
嘘をつく人、思いやりがない人、、、。

こういう人たちには優秀な人は近寄ってこない。

だから良い仲間が増えない。

するといつまでたっても大きな仕事はできない。

結果稼げない。


仲間を作ることで
もう一つ得られた大きなものがある。

それは仲間である彼らのモノゴトの捉え方・見え方だ。


同じモノゴトでも、皆モノの見え方、感じ方が違ってくるじゃんか。


仲間だから本音で教えてくれる。


経営者の先輩から見たとき
経験の浅い若手から見たとき
利益ある立ち位置で見たとき
損する人の立ち位置で見たとき
男で見たとき、女で見たとき・・・

同じモノゴトでも
まったく見え方や感じ方が違うんだ。

俺は仲間が増えたことによって
モノゴトに対する客観的な見え方が少しずつ出来るようになった気がしてる。

だからあの時に自分が
井の中の蛙だということに気が付けた。

それだけでも大きな学びだ。


だけどそれと同時に人の喜びや痛みのようなものを
多少なりとも分かるようになった気もしたんだ。

それはキチガイである俺をより「人らしく」してくれてるように思えるんだ。


皆に問いかけたい!!

「お前はどんな人の仲間にだったらなりたい?」
「その仲間になってもいいと思える人にお前はなれてるのか?」