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主体的に動く人材になれ Vol.2_4

こんな俺にも経営者のお友達がそこそこいて、
俺自身も20年ほどしがない経営者をやってきた。 

よくわかるんだけど、本当にこの世の中で
主体的に動いてくれる人材は数少ない。

大半の人材は言われて初めて考えるし、言われて
初めて動く子ばかりだ。これに対する経営者の
泣き言を結構、耳にすることがある。 

経営者は全部自分のリスクになるから、会社における出来事の一つ一つが全部自分事のように捉えられるけど、社員たちはそんな精神を持ち合わてない。会社が危なくなれば、転職すれば済む話だから当然なんだけどね。


その立ち位置の違い、感覚の違いは
理解できない訳じゃない。


だけど、
戦おうとする自分のチーム内において他人事
のようにしてる人が居たら、あんたはどう思うよ?


そんな迷惑な話はない!!


やらされる子は伸びない

仕事とは関係ない話だけど、俺は7、8年ほどちびっこ野球のコーチをしてた時期があった。野球の経験者ではないけど、長女が小1の時に野球をはじめ、子供たちのお父さんの中で俺が若いという理由だけで、やらされたのが始まりだ。

まぁ~仕事の付き合いだらけの俺なのに、
土日まで地元の付き合いとかマジで大変だと
若い当時の俺は思っていた。
  
・毎週土日はちびっこ野球で時間を取られること(休まらない)
・野球がよくわからんからコーチとして微妙だって言うこと(母親たちの目)
・地域社会の暗黙ルールを覚えないといけないこと(近所の目)

一番しんどいのは
金曜の酒がゴリゴリ残ってる土曜の真冬の朝練なんかは・・・涙

俺だって野球コーチ業は、先輩たちからのパワハラ
でやらされたから当然、自主的にやってはいない。

でも、どうせやるなら時間を無駄にはしたくない。
そんなこんなでこのコーチ業を通じて覚えたことがたくさんある。

親が野球好きで、本人は別にやりたくもないのに
やらされてる子と 
自ら野球が好きでやってる子 
この成長度合いの差が歴然だったことだ。

同じ練習時間なのに、同じ練習メニューなのに 
本人の意識一つでここまで差が出るのは驚くばかりだ。

もっとも驚いたのは、大半の子は小1から野球を始めている中、4年生から野球を初めたのにあれよあれよとレギュラーになる子が2人もいたことだ。

この4年の差をあっという間に縮めたんだよね。


仕事で言うと、未経験で入社してきて
あれよあれよと先輩方を抜かしてい行くさまだ。

これが
「やらされてる仕事」と「自ら主体的にやる仕事」
の違いだ。

やらされてるんだから、何も考えないし
言われた通りにやるのが関の山だ。

そんな仕事している人が出来るようになるわけがない。


いつも何のためにやるのか
それをやって誰が喜ぶのか
どうやったら人から評価されるのか

いつも主体的に考えられて行動まで落とせる人は
間違いなく、仕事ができるのが早くなる。

何よりも、こういう人と俺らは働きたいはずだ。

乱暴な言い方だけど、仕事を始めるきっかけも野球を始めるきっかけも別になんでもいいと思うんだよね。

でも始めたからには、自分の大事な時間を使うことになるんだから、ぐちぐちと部外者の評論家みたいなことを言ってないで好きになる努力はしないとね。


「好きこそものの上手なれ」
だからね。


俺も野球のコーチを始めた当初は、仕事で疲れてる
のにめんどくせ~って思ってたのは内緒だけど

でもせっかくやるんだからと目線一つ変えただけで
いかようにも意味をもたらすことができる。

ちびっこ野球には、人やコミュニティ、経営、教育の学びが多くて随分と学ばせてもらったし、何よりも子供たちの成長が見れるのは楽しかった。

社員たちの成長にもそれと同じ感覚を俺は覚えた。

自分事のように考えて行動する=主体的になる

モノゴトの本質をより理解し体得できるようになる方法なんだと思うんだ。


現代の「知っている」に価値はあるのか

別に今の世の中で何かを知ろうと思えば、大半のことを知ることができる。
ネットを通じればあらゆる情報をその場で手に入れられるからだ。
Google先生やYahoo!先生は、年中無休で文句も言わずに質問を受け付けてくれる。

ここ半年以上、世界的な話題であるウクライナ戦争
の問題を俺らはいつだって知ることができる。

だけど、この「知る」ってほんとに知っていると言えるのか?
ずいぶんと表面的なものじゃないのか?
と俺は思ってしまう。

だって、誰もその経験をしたことがないんだよ。
戦地にいたことない人たちがメディアから流されてくる表面的な情報などをつまみ知った風で語る戦争ってなんだろ?

まるで童貞が語る性と同じで意味がない!!

あ、卑猥が漏れてしまった。。 失礼・・・💦


何が言いたいのかというと
戦地に居る彼らの痛み、辛さ、悲しみ・・・など 
俺らは知る由もないということだ。
表面的に知ることは誰でも出来ることなんだけどね。

みんな出来ることなんだから 
表面的な「知る」には価値などないんだ。

知るということに価値を付けたいんであれば 
行動を伴わせる必要があるんだ。

だって、そうだろ?

異性と交際経験のない人に恋愛の悩みは相談しないだろ?
意味ないし、価値がないからだよね。

俺だって大手コンサルティングファームから若造が来て
経営の指南しますって提案されても
「お前 経営した事ねーだろ!」って突き返すよ。

だから
価値ある知るというのは必ず行動が伴ってんだ
と思うだよ。


昔、幕末の志士たちにも大きく影響を与えた中国の
陽明学という学問があるんだけど、その中で
「知行合一」(ちこうごういつ)
という言葉がまさにこのことを指して言っている。

知るというのは行うがあって初めて、知ると言えるんだと説いている。


そうなんだよ


俺が前から繰り返し言っている
「経験こそ価値」というのも
その学びから得た考え方だ。

価値ある人材になりたければ経験を積むしかない。
経験を積むなら行動をするしかない。
意味ある行動を起こしたければ主体的になるしかない。
 

だから、何事も主体的になるということは
自分の価値を高めることなんだよ。


世の中に主体的に動ける人材が少ないからこそ
主体的に考えて動ける人材というのは
チーム・組織においても経営者から見ても
いかに貴重で価値あるものなのか

それを知ってほしんだ。