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GIGA・BITE 第6話【前編】

【前回】



【1】

市長の都市封鎖宣言から2週間。

鷹海市と他の地区との境に関所を設け、形上は町を封鎖。数機のドローンと警察隊による警備も始まった。
しかし、町を巻き込むゾンビ騒動は、依然として解決の目処は立っていない。

政府機関からは対ゾンビ部隊が派遣された。別働隊がこの町で負傷したと聞いていたが、今回の一件でゾンビによる事件が絡んでいたのだろうと推測した。
当初、事情聴取に向かった政府機関の職員からは、パニックによりまともな情報が得られなかった、と話していたが、鷹海市長が出した映像を見て顔色を変えた。

とんでもない場所に来てしまった。いつ日常に戻れるかもわからない。
ただ、それはこの町の住人も同じこと。新たに招集されたチームは、一刻も早く事態を収束させるべく気を引き締めた。

鷹海市に入った隊員達は、新鷹海総合病院に搬送された市民らを調査。いずれも凶暴化したゾンビが目撃された現場で、昏睡状態で見つかった者達だ。
調査の結果、体内から未知の細菌が発見された。部隊はこの細菌とゾンビに因果関係があると見ている。

ゾンビが暴れていた地点で見つかったとされているが、体に傷ひとつついていない。重傷を負っていないのはひと安心だが、それでは何故昏睡状態で発見されたのか疑問が残る。

その後、今度は河川敷で2人の男性の遺体が発見された。揉み合った形で亡くなっていた男達。いずれも鷹海署の刑事だとわかった。
腐敗が進んでおり、発見された当初は性別もわからないほどだったが、所持していた警察手帳から身元を特定した。

両名からウイルスが検出されたことから、1名がゾンビ化し、もう1人に襲いかかったのではないかと推測される。
映画のような話だが、情報が乏しい今、そんな考えしか出てこない。

なお、1名の頭に穴が空いており、貫通はしていないが、銃弾のようなものも見つからなかった。この傷もゾンビと関係があるのかは今も調査中だ。

「ウイルス感染による凶暴化か?」
「そんなことを公表したら、より大きな混乱を招くことになる」
「何もわからず町に閉じ込められてる方が不安を強めるだけじゃない?」
鷹海庁舎に造られた特設ルームで対ゾンビ部隊の隊員達が会議をしている。

この2週間、ゾンビとの戦闘は発生していない。ドローンが何かを検知したことはあったが、現場にゾンビの姿はなかった。
ただし、昏睡状態の市民が見つかるケースもあることから、何らかの事件が起きた可能性はある。

政府機関から派遣されたチームが、民間人を救出できず、未だに解決の目星もついていない。そんな彼等や市長に対する鷹海市民の疑念の声がニュース番組から流れてくる。
隊員達もまた、自分達の無力さに苛立ちを覚えていた。

「お困りのようですね」

特設ルームに2人の人物が入ってきた。紺のスーツを着た短髪の若い男性と、その後ろに鷹海市長が続く。

若い男性……市長の秘書が隊員を見渡し、一礼する。
秘書はタブレット端末を取り出し、その画面を見せる。
「鷹海で起きた、ゾンビが関与した事件の資料です」
「事件の資料? 何故そんなものをあなた方が?」
秘書が市長に目をやると、三橋市長がおどおどした口ぶりで語った。

「鷹海市は、現在、都市開発を先行して進めています。う、海沿いの小さな町にも、多くの観光客が集まるようになりました」
市長の言葉が何となく不自然に聞こえた。まるで台本を読んでいるかのようだ。
秘書に見守られながら市長が続ける。

「こ、この時期にゾンビの存在を知られる訳にはいきません。都市開発を進めるため、観光地としての鷹海を守るためにも……」
「そんな理由のために、事件の情報を隠していたのですか?」

特殊部隊隊長・越中雄一が立ち上がって恫喝した。
異変に気づいた段階で調査をしていれば、もっと迅速な対応が取れたはず。町の人気を守るために事件を隠蔽したなど、受け入れられる訳がない。

「申し訳ありません!」
「謝る相手が違うでしょう」
隊員の室田裕子がため息混じりにひと言。
そんな彼等のやり取りを他所に、秘書が口を開いた。

「無論、黙って見過ごしていたわけではありません。新鷹海総合病院と協力し、秘密裏にゾンビの調査を進めておりました」
昏睡状態の患者達が運ばれた病院だ。
市内で最も大きな病院ということもあるが、倒れていた者達も調査のために搬送されたということか。

「皆様もお気づきかと存じますが、ゾンビの発生には、ある細菌が関与している」
「そこまで調査が進んでいたのなら、尚更早く公表すべきだったのでは? もし感染者が鷹海を出ていたら……」
「ご心配には及びません」
秘書の穏やかな口調がどこか不気味に聞こえる。

「この細菌は空気感染しません。ゾンビの特性についても調査は進んでいます」
「特性まで?」
「ええ。その辺りも含めて情報共有を、と思いまして。今後の“戦い”のためにも」
一瞬、秘書の瞳が赤茶色に光った。

◇◇◇

晴れた昼下がり。
桐野博士は廃病院の病室で項垂れていた。
長方形の広い部屋に、左右3つずつ置かれたベッド。入ってすぐ左、廊下側のベッドが博士の特等席だ。

旧組織の幹部・林田との戦い以来、まともに眠れていない。眠りについてもすぐに飛び起きてしまう。
頭の中では思考と感情が糸のように絡み合い、硬く大きな塊となって留まっている。

久々に対峙した幹部への怒り。林田のあの声を思い出すだけで頭が熱くなる。
そんな林田も、部下の刑事と共に遺体となって見つかったらしい。
あの戦闘の後、突然周囲が煙に包まれ、林田と部下は姿を消した。そのことと彼等の死に関係があるのだろうか。

幹部が1人消えた。
憎い相手がいなくなった。博士にとって喜ばしいことのはずだが、彼の心はどんよりと重くなったままだ。

今回の戦いで、超獣システムにも欠陥があるとわかった。どんな信号にも耐えられる最強の生命体。それが超獣。
しかし、そんな超獣もやろうと思えば意のままに操ることが出来てしまう。それを証明したのは他でもない博士自身だ。

メロを林田の洗脳から引き剥がすため、自分の中に取り込んだ司令塔の力を行使した。その最中、博士自身も宿敵を前に怒りを抑えきれず、結果的にメロを暴走させてしまった。
この脆弱性を解消しようと試みているのだが、あの日のことを思い出すと、自分のことが惨めに思えてきて、頭に靄がかかったようになる。

そして、今のように、廊下側の壁を見つめて横たわっている。
「はぁ、俺も同じか」
己の支配権の為に組織を捨て、互いに争い合う幹部達。
認めたくはないが、やはり自分の中にも、彼等の息の根を止めたいという感情がある。理由はどうあれ、幹部と同じ、誰かを闘争に駆り立てる感情が。

「情けねぇよな。なぁ、婆さん」

博士は真横のベッドの方に体を向けて呟いた。
左手中央のベッドで、点滴に繋がれた老婆が眠っている。メロに噛みついたあの老婆。彼が初めて対峙したB級トキシムでもあった。

老婆は眠ったままで返事は無い。
今日に限ったことではなく、博士はいつも老婆に話しかけている。

博士が老婆と初めて出会ったのは2年前のある朝。

エナジードリンクを切らして、仕方無く自分で買い出しに行くことにした。
この頃から既に病院の敷地はバリケードで囲われており、正門付近に作ったスライド式の出入り口から外に出た。

すると、路上に老婆が倒れているのを見つけた。
外傷は無い。何らかの発作だろうか。近辺は人通りが少ない。誰にも気づかれないまま、この場所に倒れていたのだろう。
何度呼びかけても返事は無い。余談を許さない状況だ。

この時、博士の脳裏にある考えがよぎった。

超獣システムの開発を中止した場合を踏まえ、自分達の体に取り入れた司令塔。
博士もまた特殊な力を、そして群体を送り込む術を身に付けた。
司令塔の移植はリスクも伴う。この時点で司令塔の適合に成功していたのは博士だけだった。

これはきっと、自分に課せられた運命なのだ。
自分は幹部とは違う。力を“正しく”使うことが出来る。

博士は静かに立ち上がり、老婆に群体を投与した。その一瞬、博士のシルエットは異形のものに変わっていた。
群体は身体能力の向上や再生能力を感染者に与える。ただし過剰に投与すれば人間でなくなる危険もある。そのため、少量の群体を老婆に与えた。

元の姿に戻り、様子をうかがう博士。
少しすると、老婆の手がピクッと動き、ゆっくり目を開けた。瞳の色は正常。白濁していない。

「婆さん、大丈夫か」
博士が呼びかけると、
「自分で立てるよ! 老人だと思って馬鹿にしやがって」
汚い言葉を吐いて老婆が立ち上がった。
意思もある。肉体の再生も成功したようだ。

「ずっと1人で生きてきたんだ」老婆が小さく呟いた。
「これからも、1人で生きていくんだ」
言いながら歩き去る老婆の背中は、どこか寂しげだった。

当初は自分の処置が成功したと思っていた。
ただ、少量とは言え群体を投与したことに変わりはない。何らかの影響が出ていないか気になり、町の監視カメラをハッキングして老婆を見つけ出し、研究所のモニタールームから様子を見守っていた。

老婆の行動パターンはほぼ同じ。見つけるのは容易だった。
ほぼ毎日、トキシムがいないか監視すると同時に、老婆のことをずっと追っていた。

しばらくはいつも通り、道ゆく人に文句を言い、癇癪かんしゃくを起こす様子が映し出されていた。それから長い時を経て、老婆は感情を失った。
そして、いつものルートを徘徊している時、別のトキシムに遭遇し、凶暴化してしまった。
メロと初めて出会うきっかけとなった事件だ。

博士の予想では、たとえ自我を失っても凶暴化することは無いはずだった。
何故なら自分の原動力は理想郷を作ること。幹部とは違う。
だが現実は、博士の心の奥底に隠れていた復讐心が老婆に作用、敵性個体と戦う尖兵になってしまった。

結局自分は、理想郷より幹部への復讐に重きを置いていた。自分の研究を汚した彼等への復讐。明確な敵意。幹部とは違うと思い込み、そのどす黒い感情に蓋をしていた。

本心は隠せない。現にその感情は「老婆の凶暴化」という形で具現化している。無意識のうちに、送りたくない信号を送ってしまったのかもしれない。
老婆も昏睡状態のまま。彼女のみならず、メロも暴走させてしまった。

何故、自分の思うようにことが運ばないのか。

トキシムの核となる微生物は別の研究者が偶然生み出したもの。とは言え超獣システム開発にあたってその知識は頭に叩き込んだ。
それに微生物の力を引き出す“意思の電気信号”は自分の専門。メロに改造手術を施した際も、ノーラの助けはあったが、自分の仮説通りにメロは超獣として目を覚ました。
それでも、洗脳に耐える力は不完全だった。

“あーあ。見てられない”

ひと通り思い返して、自分を責めた後、あの女性に思いを馳せる。
女性のことを博士はよく知っている。自分と同等、或いはそれ以上の技術を持つ研究者。同じ研究者として尊敬し、同時に羨望の気持ちも抱いていた。

彼女なら、この状況をどう切り抜けるだろう。

林田と対峙した時、博士もメロの言う“女性の声”を聞いた。
聞いただけでなく、その姿も目にした。
女性はメロの自我を呼び覚ました。あの平手打ちが決め手か? いや、そんな単純なものではないだろう。意思を乗っ取られた状態では、痛みを無視して戦い続ける。

助言が欲しい。超獣システムを安定させるための助言が。
しかし、女性の声が聞こえたのはあの日だけ。どれだけ望んでも、女性は博士の目の前に現れない。

『おい。おい! ポンコツ!』
病室のスピーカーからノーラの声。やかましい声に博士が姿勢を起こした。
『いつまで寝てんだよ』
「うるさい。お前にゃわかんないんだよ、こいつが……こいつが!」
怒鳴りながら、博士は自分の後頭部を壁に打ちつけた。
言葉にならない、この頭の重み。苦しみ。どうやって取り除くかもわからない。

短い呼吸を繰り返し、少し落ち着きを取り戻した。
「あいつの様子は?」
『メロ君? 買い物に行ったよ』

鷹海市が封鎖されてから、数機の監視ドローンが飛ばされた。
空からの監視に対処すべく、病院裏口付近に新しく小さな出入り口を作成。鉄板の一部を切り抜き、スライド式のドアを作った。出口の先は横のビルと病院の間のスペース。

ドローンの総数は少なく、ノーラがハッキングするのは容易だった。飛行ルートを少しいじって、敷地の一部だけが見えるように調整。これで取り敢えず外出できるようにはなった。
「元気そうだな」
『良かった良かった、じゃねぇんだよ! お前も少しは動けや!』
「うるせぇなぁ、婆さんが寝てんだよ、気ぃ遣えよ!」

博士が言い返した、その瞬間。
ほんの少しだが、隣のベッドからくぐもった声がした。

振り返るが、そこに横たわる老婆は眠ったまま。
「おい、おい!」
慌てて博士がノーラを呼ぶ。
『“おい”だけじゃわかんねぇんだよ!』
「映像残ってるか?」
『え?』
「この部屋の映像だよ!」
『残ってんじゃないの? 博士のしょうもない寝顔も寝言もバッチリ記録されてるし』
途中からノーラの言葉は博士の耳に入っていなかった。

これまで、この病室で聞いたことのない音。
聞き間違いかと思ったが、司令塔を移植した博士の聴力も向上している。

あれが老婆の声だとしたら。
暗闇に一筋の光が差し込んだ。

【2】

桐野博士が地下研究所に降り、病室の映像と音声を確認しに向かった頃。
メロは眩しい日差しの下、凶暴化したトキシムと戦っていた。

本来なら軽くランニングをして、廃病院近くのコンビニで買い物を済ませて戻る予定だった。
ところが、ランニング途中で複数のトキシムが凶暴化、路上で騒いでいるのを発見。危険な寄り道をする羽目になった。

監視が続く現在、メロは夜間にトキシムを探して処置を行うことに徹していた。一般市民の注目を集めにくく、駆けつけた特殊部隊からも逃げやすい。ここ2週間で彼が無力化したトキシムは約10体。彼が超獣として目覚めた頃と比べて数が増えている。
なるべく目立たないように活動していたが、今回のような緊急事態となれば話は別だ。見過ごす訳にはいかない。

病院から少し離れた住宅地で男女のトキシムを確認。周囲に車が乱暴に停めてある。トキシムらの車か、彼等を見て逃げた市民のものか。
2体の瞳が光を帯びる。男性はピンク色、女性は黄色。別派閥のトキシムだ。
「まずい!」
両者は既に威嚇を始めており、各々の幹部の代理試合が始まろうとしている。メロは戦場に向けて走りながら、左手首の腕輪を操作して超獣に変異、彼等の間に割って入った。

人間と同じ姿をしたゾンビと、薄緑の装甲を身に着けたゾンビの戦い。
相手はまだB級に堕ちていない。時間をかけなくとも処置出来る。
突然の乱入者に2体が唸り声を上げた。最初に動いたのは、白いTシャツにジーンズ姿の女性。背後からメロに迫る。その気配を察し、振り返らずに腕輪上部を2回押し込む。

《GIGA・BITE!》

振り向きざま、両腕を広げて駆け寄った相手の腹に掌底を打つ。手を介し、メロの意思の信号が電撃となって流れ込む。トキシムは意識を失いその場に倒れた。
現場は暑い。日陰を見つけて女性を移動させた。

次はもう1体、茶色いチェック柄のシャツを着た男性がメロを威嚇する。半ズボンからのぞく足には既に傷がついている。別の場所からやって来たのだろうか。

《GIGA・BITE》は発動後30秒程度力が持続する。
こちらもすぐに無力化しようとするが、トキシムの後方から、緑色の閃光が向かってくるのをメロは見逃さなかった。

「危ないっ!」

咄嗟にトキシムの両肩を掴んで右に避けた。
緑色の光は地面に直撃。ガラスが割れるような音と共に輝きを失った。
以前にも同じ光を見た記憶がある。トキシムがB級に堕ちる寸前に。
光が向かってきた方向を確認しようとしたが、トキシムがメロに飛びかかり、光の出所を確認し損ねた。

揉み合いになりながら宙を舞う2体。
メロ達は竹垣のような大きな柵を倒し、古い民家の庭に飛び込んだ。その勢いで、庭に干してあった洗濯物が地面に散乱した。
突然現れたゾンビを見て住人の女性が悲鳴をあげる。縁側に老いた男性が1人腰掛けているが、目の前の状況を理解していないのか、にこにこしてその場に座ったままだ。

「ご、ごめんなさい! 爺ちゃんも早く逃げて!」
装甲を着けたゾンビが、流暢に人語を扱う。その様子に女性も驚いた顔のまま固まってしまった。
「ああっ、もう!」
逃げ出さない住人に困惑するメロをトキシムが容赦なく殴りかかる。
その腕を掴んで相手を地面にねじ伏せ、腕輪を操作しようとする。

しかし、その瞬間。
メロが頭を押さえて苦しみ出した。トキシムも大きな唸り声をあげている。
ノイズだ。
幹部の意思がノイズとなり、彼等の群体に働きかけているのだ。
鷹海市の状況が変わり、幹部同士の争いも激化しているのだろう。
彼等の心の昂りが信号となって、数多の群体に送られている。

林田と戦った時ほど辛くはないが、ノイズは着実にメロの体力を削っていく。その間に、トキシムがメロの拘束から抜け出してしまった。攻撃体勢に移行するのも時間の問題だ。
このままでは住人も危ない。しかも自分まで暴走してしまったら。

「あいつらの……あいつらの好きにさせてたまるかぁっ!」

力を振り絞ってメロが立ち上がる。トキシムも起き上がってメロに迫って来る。
自分が助ける。その強い意思が超獣システムに作用したのか、ノイズが小さくなっていく。

腕輪を操作して《GIGA・BITE》を再度発動、向かって来たトキシムに掌底を入れ、電撃で相手の群体を弱らせる。
群体の影響が弱まり、トキシムだった男性がその場に倒れた。

戦闘が終わってメロがほっと胸を撫で下ろす。と同時に、固まっていた女性が声を出さぬままその場に気絶した。

「でかしたぞ、“たかし”」

老人がメロに言った。別人と勘違いしているらしい。
腕輪を操作して人間の姿に戻ったは良いが、これからどうしよう。
取り敢えず倒した柵を元に戻し、老人にひと言断ってから家に上がり、電話を探した。警察を呼ぶために。

【3】

地下研究所。

博士はモニタールームのデスクに腰掛け、病室の映像と音声を何度も確認している。何度も、何度も。
僅かながら、老婆の声らしき音が記録されていた。しかも同じタイミングで、映像の老婆の口が微かに動いているのもわかる。

間違いない。老婆が声を発したのだ。
昏睡状態のままだった老婆が、一瞬だが意識を取り戻した。これは大きな成果だ。

トキシムを無力化した後も彼等は眠ったまま。このまま目覚めなかったら。そう考える日もあった。
しかし今日、事態は動いた。ほんの小さな1歩だが、彼等が目を覚ますという希望が見えた。

「やはり超獣システムなら……」
『あっ! メロ君? 帰りが遅くなるならちゃんと……え? 何処? 今何処にいんの!?』

なかなか帰ってこないメロが気になり、ノーラが通信、同時に彼の現在地を監視ドローンをハッキングして確認した。何かあったのかと博士が変わった。
通信に出て博士は驚愕した。この真昼間にトキシムの戦闘に遭遇、1体は道端、もう1体は民家で無力化したというのだから。

《一応、警察に電話した》
「電話? 電話したのか!?」
《ゾンビが暴れてたって。それから、散らかしちゃったから洗濯物干し直して》
「干したのか?」
《だって奥さん気絶してるし、何か悪いなと思って。あ、あと爺ちゃんが肩痛いって言うから》
「揉んだのか!?」
博士が驚くたびにノーラがクスクス笑った。

「お前、自分が何やってるかわかってるのか?」
《大丈夫。俺、“たかし”ってことになってるから》
《気持ち良いなぁ。ありがとう、たかし》

思わず通信を切る博士。
ノーラの笑い声だけが響くモニタールームで、博士が頭を抱えた。

緊急事態で戦わざるを得なかったことは認める。百歩譲って電話したのも仕方がなかろう。最近は監視網を抜けることを優先させ、トキシムだった者達の救護は、市に派遣されたというチームに任せている。

しかしメロの行動には明らかに無駄が多い。洗濯物を干す必要も、老人の肩を揉む必要もない。他の幹部に気づかれて、洗脳されたらどうするというのか。博士の苛つきは増すばかりだ。

『まぁ、ちょっと怒んなきゃ駄目かもだけど、メロ君っぽくて何かウケる』
「全然面白くない! 正体がバレたら一大事だ。ノイズの対処法もわかってないのに!」
博士とノーラは知らない。メロが自力でノイズに対抗したことを。

心身ともに疲弊している博士。老婆の件で少し気力を取り戻したが、予想外の事態に再び憔悴してしまった。
『ま〜た落ち込んでらぁ。良いじゃん、メロ君も元気になったんだから! アンタの洗脳だってもう』
言いかけてノーラは言葉を止めた。

AIである彼女にも、今はこの話題に触れるべきではないと理解出来た。
学習を重ね、人間心理にも多少詳しくなったはずだが、データから学んだ“心”と、本物の人間の心は違う。

過去の誤ち、トラウマ等を文字通り割り切るのはノーラにとって簡単なこと。それ故に、いつまでも人間が心の中にその闇を飼い続けることが、彼女には上手くイメージ出来なかった。
今言葉を止めたのは、博士の顔色や脈拍から判断しただけに過ぎない。

「弱いだろ、人間って」
博士が口を開いた。まるでノーラの考えを読み取っているかのように。

「忘れようとしても、気を紛らわしても、あの時のことが……俺があいつらと同じだってわかったことが、ヘドロみたいにこびり付いてるんだ」
『どうして?』
「俺が知りたいさ!」
博士がデスクを殴った。その拳は小さく震えている。

少しして、博士が静かに笑った。
「お前にもまだわからないことがあるんだな」

今のままで良い、今生きる者を1人でも多く“馬鹿”から守りたい。
そんな“理想郷”を語ってみせたノーラに博士は感心し、同時に彼女のことを羨ましく思っていた。
幹部はおろか、自分にも見えていなかった答えに、自らの力で辿り着いた彼女を。
ノーラに対するひと言に、羨望の気持ちが入り混じっていた。

『わかるわけないじゃん、人間のことなんか』
珍しく、ノーラが静かに答えた。嫌味も愚痴もない、短い答え。
博士は溜め息をつき、部屋から出て行こうとする。その時。

『待って!』

ノーラの掛け声に反応し、博士が身構える。
ドアの前に1人の男性が立っていた。
ツバの広いハットを被り、黒い薄手のカーディガンを着た男性。紺のジーンズに黒いブーツ。人目につきにくい色で統一しているが、そのユニークな出立ちではどうしても目立ってしまう。
こんな人物が研究所に入り込んだことを、何故博士もノーラも気づかなかったのだろう。

「お取り込み中、済まないねぇ」
その口ぶり、博士は聞き覚えがあった。
博士が相手をじっと睨みつける。
「三影か」
「ほう、覚えていてくれたとは光栄だね」

三影渉。彼もまた旧組織の幹部だった。
博士とほぼ同時期に組織に加入し、あっという間に幹部の座に着いた男。高い知能指数を買われた人物だが、彼が最も長けていたのはその話術。
組織に貢献したことも理由のひとつだが、三影は巧みな話術で上司らの信用を集め、気づけば組織の中枢にいた。博士にとっていけ好かない存在だ。

三影の手の甲から細長い棘が伸びていた。林田と同じく、この男も司令塔を移植し変異している。

「何の用だ? どうやってここに入った?」
「それは」

パッと三影の姿が消えたかと思うと、次の瞬間には博士の目の前に現れた。
姿を消す能力。通常の監視映像では特定出来るわけがない。
その能力を目の当たりにして、博士はアウトレットでメロを襲撃したのが彼であると悟った。彼が手にした能力と酷似している。

「お前さん達には感謝してるんだ。こいつのおかげで、俺は何処にでも入り込める。ここまで来るのは、ちと面倒だったがな」
「当然だ。地下への入口はロックしてある。俺が許可した者以外入れない」
「あぁ、そうそう。だから、後ろからつけさせてもらった。古典的だろ? でも、デジタルの壁を破るのはアナログなやり方なんだよ」
「格好付けるな、コソ泥め」
「おいおい、何も取っちゃいねぇさ。今は探偵をやっててな。お前さん達に貰ったこの力をフルに活かしてるよ」

林田と違い、この男は博士のことをしっかり覚えていた。
しかし、そんなことはどうでも良い。博士にとって幹部は全員敵なのだから。

「さて」
棘を腕に収めると、三影は手を合わせてこう告げた。
「今日は交渉しに来たのさ。お前さんが飼ってる、化け物についてな」
不敵に笑う三影に、博士が憎悪の眼差しを向けた。

◇◇◇

老人の肩揉みを終えて家を出たメロ。
通信の後、20分近くマッサージを続けていた。老人も“たかし”の肩揉みを喜んでいた。

ゾンビが出たと聞けば、すぐに警察隊が駆けつけると思っていたのだが、家にはまだ誰も来ていない。メロも安心して正面玄関から出て行くことができたが、何か気掛かりだ。

博士とノーラが待つ廃病院に向けてメロは歩を進める。
その道中、家から少し離れた場所で、彼は予想だにしない光景を目の当たりにする。

「嘘だろ? 何でこんなことに?」

路上に5体の凶暴化したトキシムが彷徨いている。
そんな彼等に向けて、警察官らが発砲し続けている。彼等を守るのは大きな盾を持った別の警官達。トキシムは彼等を威嚇し、飛びかかる姿勢をとった。

ここ数日、出現するトキシムの量が増えた理由が何となくわかった。
彼等のことを理解しておらず、警察隊が闇雲に攻撃したからだ。

凶暴化した個体だけでなく、白目をむいた凶暴化前のトキシムにも、同じように威嚇射撃等を行ったのだろう。敵性個体と判断し、人間である警察官達にも牙を向いたのだ。

現場には警察隊だけでなく、逃げようとせずスマホ片手にゾンビを撮影する野次馬まで集まっている。民間人も、無意識のうちにトキシムの“敵”になっていたのかもしれない。カメラのフラッシュを焚いたり、軽いちょっかいを出したりして。

トキシムが襲ってくると、観客らは一度は身を引くも撮影する手を止めない。警察隊の発砲によりトキシムもダメージを負うが、すぐに再生して敵との距離を縮める。
ゾンビ専用の特殊チームは何をしているのだろう。

体力には余裕がある。自分がトキシムを引き付け、助けなければ。
メロの腕輪がピンク色の電流を帯びる。胸の融合炉の前で両手をクロスさせ、勢いよく広げた。

《BITE!Ray!Under control……》

青いマントに身を包んだような形態。姿を消す力があれば、気づかれずにトキシムを無力化出来る。
メロは黒い影となって姿を消し、トキシムの群れに近づいた。


【次回】


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