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GIGA・BITE 第3話【後編】

【前回】



【4】

アナウンスを聞きつけ、大勢の観客がグラウンド奥側に位置するステージに押し寄せた。

メロはグラウンドの周囲を回って客らをチェックしている。本音を言うと、彼も1人の客としてダンスを観たかった。楽しい日常が戻るまで、まだまだ時間がかかりそうだ。

鉄骨で組み立てられた特設ステージ。天井部分とステージの床前面に幾つものライトが設置され、曲やテンポに合わせて光の色を変える。正面からはパネルに隠れて見えないが、左右にダンサー達が登場する出入口が作られている。待機している生徒達はグラウンド裏手だろうか。

最初にダンスを披露したのは白いタキシード風の衣装を着た4人組。クールな曲に合わせて軽快なステップで踊っている。念のため彼等の姿も確認するが、特に異変は無い。
引き続き観客側も見て回るが、怪しい人物は見当たらない。むしろステージと観客の周囲を動き回っているメロの方が怪しく見える。

不審者だと思っているのか、翠は眉間に皺を寄せてじっとその男……メロの姿を目で追っている。幻覚作用により、視線の先にいる男が甥っ子だとは認識していない。

大勢の客が集まる中、突如苦しそうにうずくまった男性。病人かと思われたが、今はずっとグラウンドをウロウロしている。思い過ごしかもしれないが、凶器か何かを見られそうになって、咄嗟に体調を崩したフリをしたのでは。

翠はミステリー小説が好きだ。その影響か、町で怪しいものを見つけると、物語の主人公さながら推理を始める。なお、的中したことは一度も無い。

翠に見張られているとも気づかず、メロは観客の方に腕輪を向けつつ、ステージのダンサー達を見つめていた。

1組目のダンスが終わり、ステージの両サイドから紙吹雪が勢い良く舞い上がる。リーダーと思しき男子生徒が、観客の拍手に応えるように一礼して舞台袖にはけた。
少し間があって、今度は明るく可愛げな曲が流れ出す。ステージもパステルカラーにライトアップされ、2組目のグループが登場。女子生徒7人組。同じ7人だが、あのグループではない。

ダンスに魅入る者、写真を撮る者もいれば、2組目のパフォーマンスを見ずにグラウンドを去る者もいる。

そんな来客の中に1人の男性がいた。
つばの大きなハットとサングラスで顔は隠れている。生地の薄い黒のカーディガン、ダメージジーンズに黒のブーツを履きこなす痩せ型の男性。芸能人と勘違いする者もいるだろう。

ステージから少し離れた位置、賑わう観客達に囲まれ、男性は腕を組んでじっと正面を見つめている。メロはステージからやや離れた所にいて、男性の姿は見えていない。

「ちょっと、帽子脱いでくれません?」
背後からスマートフォン片手に男子生徒が声をかける。写真を撮りたいようだが、目の前の男性は背が高く、おまけにハットも被っているため思うように写真が撮れずにいた。

男性は振り返ると、笑みを浮かべて答えた。
「邪魔してしまったようだ」
言いながら、男性は生徒の肩をポンポンと軽く叩き、観客をかき分けてその場を後にした。
これで心置きなく写真を撮れる。スマートフォンを掲げて画面をチェックする学生。すると、その姿勢のまま固まってしまった。しかも小刻みに震えている。

ハットを被った男性は群衆から離れた所でまた腕を組み、前方に目をやった。
「ほらどうした、シャッターチャンスだぞ?」
男性が目を向けていたのはステージではなく、カメラを構えたままの男子生徒だった。

◇◇◇

「お疲れ〜!」
2組目のチームにエールを送り、ステージ裏手の簡素な控え室に戻ったユウジ達。出番を終えて互いにハイタッチした。これがこのチームとしては学生時代最後のパフォーマンスとなった。

舞台袖に目をやると、Infinityの7人がスタンバイしているのが見えた。新入りのフミカを除き、メンバーは無感情な顔付きで前を見つめていた。

ユウジが危惧していたのは、イベント当日になって、アカネまでゾンビのようになってしまったこと。他メンバーと意思疎通が取れないフミカの不安はさぞ大きなものだろう。
今はメイクで隠れているが、フミカの目の下にくまが出来ていたのをユウジ達も見ている。

「本当に大丈夫?」
思わずユウジがフミカに駆け寄った。その途端、6人が一斉にユウジに顔を向けたのが何だか不気味だった。
ユウジの心配を他所に、フミカの声色は落ち着いていた。恐ろしいほどに。
「大丈夫です。昨日も夜通し練習しました」
「夜通し? だから、その……」
人差し指で自分の目の下をなぞってみせた。
ユウジが言わんとしていることを理解し、フミカは笑った。

「皆さんにダンスを覚えてもらうのに時間がかかって」
「え? 新しいダンス? それも、1人で教えたって言うの?」
「いえ、定期的に教えてあげないと、ちゃんと動けないんで」

覚えて“もらう”、教えて“あげないと”。

いったい彼女は何を言っているのだろう。
確かにフミカのスキルにはユウジや他の先輩部員も一目置いている。だが、入ったばかりの部員が、古参のメンバーにダンスを教えるというのは違和感がある。

フミカは自ら前に出るタイプではない。入ったばかりの頃も引っ込み思案で、アカネ達のアドバイスを素直に聞いていた覚えがある。先輩達を彼女が率いている姿をイメージ出来ない。

と、ユウジはあることに気づいた。
Infinityのメンバーに起きた異変。それは、フミカが入部した頃から始まった。ダンスに統一感が生まれ、同時に人間性を失っていった。

この新入部員が元凶なのか?

あまりに非現実的な考えが浮かび、ユウジはすぐにそれを否定しようとした。
しかし、目の前で部員達がゾンビのようになっていくこと自体、既に非現実の出来事ではないか。

ゾンビになってしまった部員達に、ダンスを学習させる。

まるで映画のような話だが、先程のフミカの言葉にも納得がいってしまう。
たった1人の少女が部員をゾンビに変え、自分の思い通りに動かしている。そんな想像がユウジの中で広がった。

疑念が深まるユウジに、フミカがひと言。
「私が、何とかします」
そう言ったフミカの瞳が、一瞬だが鈍い赤色に光ったような気がした。

【5】

ある寒い夜。

8歳の誕生日を迎えた私は、寝巻き姿でアパートのベランダに立たされていた。寝巻きの下にはいくつものアザがあった。
いつ頃から始まったのかはよく覚えていない。ただ、物心ついた頃には、両親から殴られていた気がする。

まずは父親が私と母親を殴って、父親がいない時、母親が腹いせに私をぶった。何度聞いても理由がわからなくて、いつしか聞くのをやめた。

今思うと、父も母もどうやって生きるのが“正しい”のかわからず、目の前のものに当たるしか無かったんだと思う。両親はこの世界で生きていくには未熟過ぎた。体が大きくなっただけだ。

周りの大人は見て見ぬふり。みんな報復が怖かったんだと思う。あんな未熟な猿、怖がる必要なんかないのに。
私は何も感じなくなった。アザがいくつ出来ようが、腹が減ろうが、寒かろうが、涙も出なくなった。

そんな私のもとに、「お母様」がやって来た。

お母様は、私にプレゼントをくれた。
どんな風に使えば良いかわからず戸惑っていると、お母様はアパートの窓を開けて、中にいた両親の頭を鷲掴みにした。
少ししてお母様が手を離すと、両親の目が真っ白になって、その場に立ち尽くしていた。口や鼻から、時折黒い虫みたいなものが顔をのぞかせた。

お母様が「何をさせたい」と聞いてきた。

何も浮かばず悩んでいると、お母様がこんな提案をしてきた。

2人に死んでもらおうか。
君のことを見て見ぬふりした周りのみんなも殺させて、この2人にも死んでもらおう。

心が震えた。
怖かったんじゃない。ワクワクしていた。鼓動が早まっていくのを感じた。

お母様が手を鳴らすと、両親は靴も履かずに玄関から表に出て、二手に分かれてお隣さんのお家のインターホンを鳴らした。それから悲鳴と激しい物音が聞こえた。何度も何度も。
その間ずっと、お母様は私の頭を撫でてくれた。

しばらくすると、血まみれの両親が帰ってきた。
お母様がもう一度、「何をさせたい」と聞いてきた。

「強く思ってごらん」

言われるがまま、両親が「それ」をするようにイメージしてみた。
そうしたら、2人は私とお母様の間を通ってベランダに立ち、抱きしめ合ったまま、頭から地面に飛び込んでいった。

「優しいんだね」と、お母様はまた私の頭を撫でた。
お母様は全てお見通しだった。
きっと私は愛が欲しかった。だから両親は抱きしめ合ったんだ。
何も感じなくなったんじゃない。何も感じないフリをしていたんだ。

お母様は私に「期待している」と言った。
新しい家族が見つかるまで、一緒に暮らしていた。お家には他にも色んな人がいた。新しいお家を探していると言っていた。

お母様も、周りのみんなも、音楽が好きだった。初めは興味が無かったけど、一緒に暮らすうちに興味が湧いてきて、その流れで私はダンスに出会った。
2年前。新しいお家でダンスの練習を始めた。大きな音を立てても文句は言われない。新しい両親は好きなようにさせてくれた。

これから、私は仲間と一緒に舞台に上がる。

バラバラだったみんなを、私の力で1つにした。頭が痛むほど苦労した。アカネさんが優しい人で良かった。何もしなくても、わたしのことを助けてくれた。バレそうだったから、アカネさんにも“やっちゃった”けど。

両親を連れて来ることは出来なかった。6人を引っ張っていくので精一杯だった。まだまだ、お母様ほど力を使いこなせていない。
「お疲れ様です」
「ありがと! フミカ達も……頑張ってね」

さぁ、いよいよ本番だ。

◇◇◇

2組目のパフォーマンスも終わった。いよいよ最後のグループだ。

『注意しろ青年』
「わかってるよ」

ステージライトが切れて真っ暗になった。その後、スピーカーから重低音が鳴りだすと、ライトが紫色、青色に点灯。左右から7人の生徒達が中央に出て来た。前側に4人がしゃがみ、その後ろに3人が立つ。

次の瞬間、ライトのカラーがパッと白色に切り替わり、7人の姿があらわになった。いつの間にか白目の学生が6人に増えている。トキシム化していないのは、後方真ん中に立つ小柄な少女だけだ。

ホラー映画の曲をアレンジしたBGMに合わせてトキシムが動き出す。メロが驚いたのはキレの良さ。動画で観た時よりも格段にレベルが上がっている。素人目にも成長が窺えた。

メロは純粋に彼等のダンスに胸を打たれていた。6人がトキシムであることも忘れてしまうほどに。様子が気になって博士とノーラが腕輪越しにメロを呼ぶが、観客の声に遮られてしまった。

無表情の6人に囲まれて、小柄な少女が目を輝かせてダンスを踊る。やはり人間の彼女の方がキレは良い。
曲のテンポが徐々に上がり、ダンスも盛り上がりを見せようとしていた、まさにその時。

思いもよらぬ事態が巻き起こった。

群衆の中、1人の男子学生が大きな唸り声を上げると、周りの客をかき分けてステージに上がり、ダンスを踊っているスキンヘッドの生徒を殴ったのだ。
ライトの点滅で最初はよく見えなかったが、突然のトラブルに点滅が止まり、ステージに上がった男子学生の顔がよく見えた。瞳が桃色に輝いている。ライトの反射ではない。彼自身の目が光っている。

「博士、マズいかも」
メロが連絡を取っていると、男子学生に続くように3人の観客が登って来た。やはり瞳が桃色に染まっている。

観客だったトキシム1体が、小柄な少女に向かっていく。
トキシムは人間は襲わない。襲うにしても“危害を加えた”と判断したときのはず。少女はただダンスを踊っていただけだ。

ステージ上ではダンサーのトキシムが相手の行く手を阻み殴り返した。6人の瞳は鈍い赤色に染まっている。
人間とは思えない、おぞましい唸り声を上げて戦闘を開始する両陣営。
その声に恐怖し、博士が予期していたように来客達はパニックに陥った。

『プラン通りに行くぞ』
「ああ!」
メロは逃げ惑う人々の中で腕輪を操作しようとした。
『馬鹿! 人目に付かないようにって言ったろ!』
「そんな暇無いって!」

その場で超獣システムを起動しようとするも、人の波に飲まれて意図せず旧校舎の方まで流された。
周りの客に押されるがまま、後ろにいた人物に激突してしまった。
「ごめんなさい!……え」
「あっ」

両者が互いの顔を見て驚いた。
メロがぶつかったのは、屋台から離れようと逃げ出した翠だった。

「メロ?」
翠はメロの顔、そして左腕を見て目を大きく見開いた。
「メロじゃないの! どうして? そ、その手は何!?」
「ごめん、話してる場合じゃない!」

メロは叔母の目の前で腕輪を操作、白い眼があらわになった超獣の姿に変異すると、急いでステージの方へ向かった。

ステージ上で暴れ回るトキシム達。
フミカはその中央に座り込んでいた。

止まるように6人に指示したが、誰一人彼女の意思に従わない。
ピンク色の瞳をしたトキシムがフミカに迫るが、ダンサーのトキシムがそれを防ぐ。

“違う”

俯き、体を震わせるフミカ。
「わたしはこんなこと、望んでないのにっ!」

叫んだ瞬間、フミカは一度天を仰ぎ、力が抜けたかのように肩をがっくりと落とす。その後、ゆっくりと立ち上がったフミカの瞳は、赤茶色に輝いていた。

彼女の元に集まる6体のトキシム。
フミカが吠えると、彼等は再び眼前の敵に向かっていった。

【6】

特設ステージで繰り広げられる派閥争い。瞳がピンク色のトキシムの方がやや劣勢だ。
人数の差もあるが、赤茶色の瞳を持つダンスグループの面々は特殊な戦い方をしている。小柄な少女のトキシムが吠えると、周りの6人が攻撃を仕掛ける。少女が敵に攻撃されそうになると、仲間の1人が盾となって守る。

メロがこれまで見てきたのは、いずれも単体で戦うトキシムばかり。あのダンスグループのように、1体をリーダーとして戦闘を繰り広げるタイプは見たことが無い。

「博士、これどういう状況?」
『トキシムが指揮している? 何だこれは』
「博士にもわかんないの?」
『考えられるとすれば、トキシム内の群体が司令塔へと成長したか』

元々1つの個体だった微細な生命体。シャーレの中で司令塔が群体を複製、更にその群体から進化した個体がいる話は博士から聞いている。この進化した個体が、幹部の頭に埋め込まれている司令塔だ。

ただし、それは容器の中の出来事。人体に入り込んだ群体が司令塔に成長する例は、博士が同士達と研究していた時にも確認されていない。

幹部が独自に生み出した新種ということなのか。

戦いを止めるべくメロが構えたが、ここで再び頭を抱えて悶え始めた。同時にステージ上のトキシム達も興奮しているように見える。
『メロ君、大丈夫!?』
「また声が」
脳が震えている。複数のノイズが頭に流れ込んで来る状態。「声」とメロは称しているが、何と言っているかは不明。

今回は小さな違いがあった。
声らしきものに混じって、楽器の音色のようなものが聞こえてくるのだ。
声にしろ音色にしろ、聞いているだけで気持ちを持っていかれそうになる。頭痛と音の誘惑にメロが苦しみの声をあげる。

暴走の兆候に苦しむメロを、旧校舎の物陰から、翠が心配そうに見守っている。
機械のようになった左腕。それだけでも信じがたいものなのに、目の前で怪物に変身した。情報の渋滞により気を失いかけている。

あの怪物が自分の甥だと受け入れられない。だが、怪物が頭を抱えて倒れ込んだ瞬間、甥の身を案ずる叔母の目に変わった。
届くかどうかわからない。だが、気付くと翠は立ち上がり、グラウンドの方へ駆け出すと、大声で甥の名を叫んでいた。

「メロ!」

その瞬間、翠の声が届いたのか、頭の中のノイズがスッと消え去った。
メロがゆっくり立ち上がり、一度背後に目をやる。翠はグラウンドの端に手をついてしゃがんだ姿勢をとっている。甥の身を案じて眠れない日が続いていた。体力が十分回復しておらず、その場に倒れ込んでしまったようだ。それでも、その力強い眼はしっかりとメロを見つめていた。

叔母に頷いた後、ステージを見上げる。
メロが腕輪を2回押し込み、【GIGA・BITE】を発動させた。

トキシムを無力化出来る、言わば超獣の必殺技。

博士によれば、この技はメロ自身の“意思の電気信号”を、蓄積した群体に乗せて流し込むものらしい。異なる意思をぶつけて群体をショートさせる。
群体を直接取り除く術ではないため、無力化すればすぐに元の人間に戻せる、というわけではない。

【GIGA・BITE】は発動してから約30秒持続する。この短い時間で、1人でも多く戦闘から離脱させる。メロはステージに飛び乗ると、すぐ近くにいた2名を無力化。メロに気付いて襲ってきた1体も対処する。

リーダー格の少女にメロが近づき、彼女を守ろうと向かってくる尖兵を次々に無力化していった。A級トキシムなら掌底だけで充分だ。

新しい戦闘スタイルを有するトキシムだったが、「リーダーを守る」ことを優先するため攻撃は当てやすい。残すは少女ただ1人。
壁が無くなったリーダー目掛けて最後の一発を打ち込もうとする。

だが、このタイミングで緊急事態が発生した。

無力化したはずの尖兵が再び動き出し、メロの足を押さえた。
尖兵は次々に起き上がり、彼の体の自由を奪う。

「嘘だろ? 何でまだ動けるんだよ!」
起き上がったのは赤茶色の瞳を持つトキシム、つまりダンス部のメンバーのみ。乱入したトキシム達は眠ったままだ。

体を押さえるトキシムを見ると、鼻や口から何か小さなものが出入りしているのが確認出来る。その様子は腕輪を通じ、映像記録として博士とノーラにも届いた。

身動きが取れないメロの腹に、少女が強烈なキックを浴びせる。ダンスにより培われた彼女自身の体力も関係しているのだろう。メロは呆気なくステージの端まで飛ばされてしまった。

既に30秒経過。短い持続時間の割に体力の消耗が激しい。メロもトキシム同様に再生能力を有しているが、休む間もなくトキシム達が迫り来る。
「まずはあの子を止めなきゃ」
ダンス部員らを跳ね除けて少女に近付くが、すぐに行手を阻まれ彼女に近づけない。

少女が一度腰を屈めて飛びかかる姿勢を見せた。
それなら、その瞬間を利用するのみ。メロは立ち上がって少女の攻撃に備える。
右手を上げて迫り来る少女。爪が長く伸びているように見える。
メロも攻撃を受け止めるべく身構える。走っても配下のトキシムの気を引くだけだ。
距離が少しずつ狭まる、まさにその時。

メロは少女の後方、やや上側から飛んで来る緑色の閃光を見逃さなかった。緑の光が少女目掛けて飛んで来る。
「危ない!」
思わず叫んだが、トキシムに彼の言葉は届かない。

少女は右手を上げた姿勢のまま背筋を反らせ、苦しそうな声をあげ始めた。
この症状、老婆のトキシムと戦った時と同じだ。
苦しそうに悶えながら姿を変える。
その時も、トキシムの背中から緑色の霧のようなものが出ていた。

『気をつけろ、Bに堕ちるぞ』
腕輪から博士の声。

少女の体が恐ろしい獣の姿に変化する。
コウモリを思わせる大きく立った楕円形の耳。顔に生えた毛と吊り上がった鼻。口元には大きな牙が2本生えている。

駆け寄る瞬間に上げていた右手もコウモリの羽のように変形、大きく発達している。右手だけが変化しており、飛行能力は有していないらしい。
肩や右胸、そして下半身には薄茶色の固形物がまとわりついている。光を反射しない独特の質感。蜂の巣を思い出す。
下半身は大部分がその固形物に覆われていて、ドレスのように見えた。

少女がB級に堕ちた途端、彼女を守ろうと動いていた配下のトキシム達が動きを止め、バタバタと倒れてゆく。その鼻や口から何かが抜け出す。黒い虫。虫は床の上で脚をバタつかせ、やがて動きを止めた。

怪物が右手を上げると、ドレスから小さな黒い物体が次々に飛び出し、メロに向かって来た。配下の体から出てきたものと同じ黒い虫の群れだ。
群れがメロにまとわりつくと、その場で彼等の体が破裂、小さな爆発を起こした。規模こそ小さいが威力はなかなかのもので、至近距離で連続爆破を受けたメロは体勢を崩してしまった。

今は彼の彼等を拘束する者はいない。メロは立ち上がるとトキシムに駆け寄り拳を当てようとする。対するトキシムはゆっくり舞うようにメロに背中を向ける。

このトキシム、身体とドレスに赤黒いコブがいくつも出来ており、その皮膚を破って黒い虫達が飛び出している。背中には特に多くのコブが密集していた。また、予備の弾薬のつもりか、薄茶色の硬いドレスの隙間から白い幼虫が覗いている。

虫達がメロを取り囲んで爆発に巻き込む。ふらついたメロにトキシムが近づき、右手で彼を何度も叩く。
B級になろうと彼女の戦法は変わらない。小さな配下を指揮して敵を翻弄する。

ゆっくりと立ち上がるメロ。彼の視界に飛び込んできたのは、トキシムを保護するドレス状の大きな蜂の巣。硬い鎧のせいで、彼女は素早く動くことが出来ない。
その鎧が、あの少女の人間としての死を想起させた。
ダンスを披露していた時。まだ自分の意思を保っていた少女は、目を輝かせて踊っていた。その記憶がメロの脳裏をよぎる。

彼女を死なせるわけにはいかない。
腕輪が紫色の電流を帯びはじめる。
『一応忠告しておくが、無茶はするなよ』と博士。
「わかってる」
言いながら、メロは右手を腕輪に乗せた。

「あの子は必ず止める。そして、俺自身も守る!」
トキシムが距離を取って再度虫の群れを飛ばして来た。迫り来る小さな尖兵。だが彼等は獲物に到達することなく、途中で飛行を止めて爆発し、炎の壁を形成した。その壁を飛び越え、黒い装甲を身にまとった戦士がトキシムの前に降り立つ。

《BITE!Spider!Under control……》

メロの意思を核とし、蓄積された群体を力に変えた。
虫の群れが到達する直前に武装、手から糸を放って網を張り、虫の動きを封じたのだ。

攻撃が失敗したことでトキシムが激昂、コブが蠢き次なる群れを飛ばそうとする。
何度も同じ手は食らわない。すかさず射出口に向けて糸を飛ばし、虫が飛び立つのを阻止した。
続いて背後に回ると相手の背中全体を覆うように網を射出。細かい網目を突破することが出来ず、虫達はコブの中で爆発を起こした。トキシムは鳥にも似た高い声を上げて怯んでいる。

あまり戦いを長引かせたくはない。
メロは腕輪を2回押し込み、相手の背面、左の脇腹近くに爪を突き刺した。

《Spider! GIGA・BITE!》

右手を介し、激しい電流と共にメロの意思が群体と共に流れ込む。
甲高い不快な悲鳴をあげるトキシム。メロが手を離すと、人間の姿に戻りながら、少女はその場に倒れた。

背面から脇腹を狙ったのは、極力彼女の手足へのダメージを避けたかったから。人間として目を覚ました時、再び楽しくダンスを踊れるように。

腕輪を引き上げて人間の姿に戻るとメロはよろけた。気絶せずよろけるだけになったのは、メロ自身の肉体が鍛えられている証だろう。
倒れそうになり、手をついた場所にあったのは、あの黒い虫の死骸。手に取って見ると黒と焦茶色の縞模様になっている。蜂にそっくりだ。

虫を見つめていると、突然周囲に倒れていたダンス部員達が微かに動いた。それだけではなく、寝言のように何かを口にしている。

リーダーを無力化したことで人間に戻ったというのか?

無力化したトキシムは研究所に連れ帰ることになっているが、今逃げなければ目を覚ました生徒達に姿を見られてしまう。
メロは腕輪から聞こえる博士の指示を無視してステージから飛び降り、グラウンドのフェンスに向かって走って行く。フェンスをよじ登って脱出しようとしていると、

「メロ!」

背後から翠に呼び止められた。
幻覚ガスはもう空っぽ。それにあの姿を見られては、もはや隠し立ては出来ない。メロはゆっくりと振り返った。
遅刻したメロを待ち構えている時のように腕を組む翠。その顔つきは険しくなっている。

「嘘ついたわね」
感染症の疑いがあって入院している。今の自分を隠すためについた嘘。電話をしたあの日の時点で気付かれていたとは思う。
「その、見せたくなくて」
「どれだけ心配したかわかってる?」

博士とノーラは黙っている。今はメロと翠、2人の時間を優先させたかった。
「何でこんなことになってるの」
「正直、俺もよくわかんない。兎に角、ごめん。俺、化け物になっちゃったみたい」
その言葉を聞いて翠は思わず吹き出した。
「言われなくてもわかるわ」とツッコむと、少し間を置いて、メロを強く抱きしめた。

群体のことは正直よく理解していない。感染の危険があるかもとメロが焦る。翠はそんな彼の頭を優しく撫でた。

「化け物だか何だか知らないけど、あんたはあんた。馬鹿な甥っ子のまま」
「馬鹿は言い過ぎでしょ」
「馬鹿じゃなきゃ、そんな格好でここまで来ないでしょ」
「ちゃんと隠して来たんだよ。バレちゃったけど」
「何よそれ。まぁ良いわ。取り敢えず元気なのはわかったから」

本当は喫茶店に帰りたい。だが、トキシムとなった市民を助けたいという意思は固い。幹部もまだ見つからない。このまま喫茶店に身を置けば翠の命も危うい。
しばらく喫茶店には戻れない。メロがそう伝えようとする前に、

「早く行きなさい」

叔母が先に口を開いた。
メロは今大きな使命を胸に1日、1日を生きている。そのことを翠は心で理解していた。
甥に背中を向けて更に続ける。

「ひと息ついたら帰ってらっしゃい。化け物なんだから、今までの倍は仕事出来るでしょ?」
「ちょっ、勘弁してよ」
「いいえ。それまでちゃんと店は守っておくから」
いつ甥が戻って来ても良いように。
ワゴンカーの方へ歩いて行く翠。

「叔母さん!」
メロは彼女に、あの質問を尋ねた。

幼少期、初めてランニングに連れ出されたあの日、何を言おうとしていたのか。
一瞬何のことかわからなかったが、昔の記憶を手繰り寄せ、翠は大きな声で笑った。
「そんなことは覚えてる癖に、田所さんの長話のことは忘れるのよね〜、不思議だわ」
振り返って数歩歩み寄る。
「今はいいじゃん、別に」
「大したことじゃないのよ」

翠は、幼少期のメロに話そうと思っていたことを伝えた。

土の匂い、草の匂い。
この匂いを嗅ぐと、「命」を感じる。取り囲むもの全てが「生きている」と感じられる。

まだ事故のトラウマを解消出来ていなかったメロを案じ、「命」や「生きている」という言葉を避けた。
今になってみれば要らぬ心配だったかもしれないが、幼いメロを引き取ったばかりで、どう接すれば良いか模索していた当時の翠にとっては大きな心配事だったのだ。

「なぁんだ、もっと重い話かと思ったじゃん」
「何だとは何だっ! いい? 草も虫も人も、形が違うだけで、“命”であることに変わりはない。今のメロの姿だって、1つの命の形。そこに良いも悪いも無い。それぞれの命が、それぞれの時間を全力で生きてるの。あんた、今は怖い仕事してるみたいだから、教えておいてあげるわ」
「怖い仕事って」

そんな話をしていると、学校に警察が到着した。
「もう。あんたが止めるから、帰るのが遅くなるじゃない! さっさと行きなさい」
「わ、わかった。あの、絶対! 絶対に帰るから!」
背中を向けて軽く手を振ると、翠はワゴンカーへと向かっていった。
メロもまた、高くジャンプしてフェンスに飛びつき、急いで学校から脱出した。

宮之華学園の惨劇は幕を閉じた。

起き上がったダンス部員達が、倒れている新入部員を見つけ、よろめきながら近づいた。
通報を受けて駆けつけた警察官らが、現場に残る目撃者への事情聴取を始める。

一連の騒動を、ハットを被った男が物陰から眺めていた。
「散歩のついでに来てみたら、なかなか面白いモンを見せてもらったよ」

男が目をつけたものは、トキシムを無力化させたあの怪物。
怪物が人間の姿に戻り、中年の女性と話している姿も見た。どうやらあの女性とは深い関わりがある様子。弱点を突くのは簡単だが、それは二流、三流のお遊び。

男はもっと楽しめる方法が無いか考えている。
「さて、どう遊ぼうかねぇ」
そう言うと、男は霧のように夜の闇に姿を眩ました。

◇◇◇

あの子が堕ちた。

現代の猿には辟易する。
美しい芸術を小さな薄っぺらい機械に収め、まるで自分の手柄のように垂れ流す。おかげであの子の居場所が奴等にも知れ渡り、猿以下の獣に堕ちてしまった。

猿。憎い猿。地下に籠っている間に、私の想像以上の速さで知能を下げた猿ども。あんなものを自由にさせていたら、また私の“子供”が見つかってしまう。

おまけに、私の知らない何かが動き回っている。
“アダム”によれば、あの子はその怪物と戦って、変異が収まったとか。

嘗ての同胞に、私ほど頭の回る者はいない。猿が造れるとも思えない。
それなら、誰が……。

あまり悠長なことは言っていられない。このままでは他の子供達も奪われてしまう。
そうなる前に、

「皆殺しにしてやる」


【次回】

【第3話怪人イメージ画】


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