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GIGA・BITE 第3話【前編】

【前回】



【1】

鷹海中央公園駅前の事件により、現場に急行した特殊部隊の隊員達は瀕死の重傷を負った。隊長をはじめ、ほとんどの隊員が現在も意識不明のままだ。

彼等の体には大きな傷が残されており、救護班が駆けつけたときには出血がかなり酷かった。まるで獣に引っ掻かれたような傷跡。海沿いの、それも都市開発が進むこの町に熊のような猛獣が現れたとでも言うのか。

特殊部隊の中で唯一会話が出来る状態だったのは、新人の隊員ただ1人だった。彼は他の隊員達から少し離れた木陰で発見された。傷は負っていたが、他の隊員に比べれば浅い。現場で起きた惨劇、その恐ろしさに耐えきれず逃げたと見られる。

事件から3週間。
搬送された病院の一室で、会話が出来る唯一の目撃者である彼に対する事情聴取が行われていた。

「ゾンビだ。あれは間違いなくゾンビだった」

弱々しい声で、新人隊員は政府特務機関の捜査官2名に話した。
「真っ赤な目で、血塗れになった女性達が、クマみたいに取っ組み合いの喧嘩をしてた。ゾンビだよ。噂は本当だったんだ。鷹海にはゾンビがいるんだ」
「その、貴方が目撃したゾンビというのは、その後どちらへ?」
「わからない。わからないんです。ゾンビは戦ってるし、変な糸に絡まるし、気付いたら大きな鉤爪を持った狼男はいるし。もう何がなんだか」

彼の言っていることがどこまで本当なのか、特務機関の2人にはわからなかった。ゾンビだの狼男だの、ホラー映画の怪物が本当にいるはずがない。ただ、現場検証では倒れた街灯や破壊されたレンガなどの痕跡もある。何か大きな事件が発生したことは間違いない。
初めての任務で惨状を目の当たりにして、心神喪失状態だったのだろうと2人は認識した。

「でも、あそこにもう1人、喋るゾンビがいたんだ」

新人が話を続ける中、捜査官達はメモをしまって帰る準備をしている。
「変な機械をつけてて、銃で撃っても死ななかった」
銃というワードを聞いて2人が新人隊員を見る。やはり、テロのような大きな事態があの場所で起きていたのかもしれない。
鷹海市では1ヶ月近く前にも爆発事故の通報があったと判明している。凶悪犯が潜伏している可能性も捨て切れない。

「あのゾンビ達の顔が頭から離れない」
頭を抱える隊員。
日を改めて聴取に来ると告げ、捜査官達が病室から出ようとしたとき、

「喋るゾンビたぁ興味深いな」

1人の男性が病室に入ってきた。体格の良い中年男性。強面でベージュのトレンチコートを着ている。絵に描いたような熱血警官。
男はコートの内ポケットから警察手帳を取り出した。本当に刑事だったらしい。「鷹海中央署の林田だ。お前さんの言うゾンビについて、詳しく教えてくれねぇか?」

◇◇◇

雨の降りしきる昼下がり、メロは病棟のエントランスで空を見上げていた。
この3週間、博士とノーラが付近の監視カメラ映像をチェックし、トキシムを発見した際はメロと博士が急行、無力化してきた。暴走の兆候があった時に止められるよう、博士が近くでスタンバイしていた。

やろうと思えば市内全体のカメラ映像も調べられるが、メロのことだ。見つければ何処だろうと向かうに違いない。
まだ「不思議な機械をつけた改造人間」の噂は出ていないが、運が良いだけだ。いつ世間に気付かれるかわかったものではない。

それに市内全域を監視するとなれば、ノーラへの負担も大きくなる。施設のシステム管理に影響が出るのは避けたかった。

期間内に確認されたトキシムの数は少ない。何事も無く1日が過ぎる日もある。しかし場数を踏むことで、メロも少しずつ超獣システムについて理解してきた。

肉体変異時に操作する左手首の腕輪。
顔を模したこの腕輪に装着されている【Core fuse】というアイテム。この中にはメロの“意思の電気信号”を抽出、再現したものが収められている。
自我を喪失しないための道標のようなものだ。

改造手術の際に博士がメロの脳波をチェック、どうにか見つけ出したものだ。研究所に運ばれてきた時、幸いにも群体の侵食はそれほど進んでいなかった。
脳を侵される前に対処すべく、博士は“融合炉”を直接取り付けるという、ノーラ曰く無茶な手段に打って出た。

融合炉は異なる型の群体を掛け合わせるだけでなく、腕輪に着けられた電気信号を受けて、宿主自身の意思を群体に記憶させる役割を担っている。
擬似的な司令塔と言ったところか。

暴走する危険性を秘めているためまだ安心は出来ないが、メロが今も自我を保っていることから、一応処置は成功したと思われる。
メロ自身も改造された肉体の扱いに慣れてきている。油断するなと博士には釘を刺されているが。

何もない平和な日、メロはこうして廃病棟の入口で時間を潰している。
改造の影響からか食欲は無い。ただ栄養維持のため、ゼリー飲料や携行食を口にしている。

服は研究所、及び病棟に残っていた物を着用。研究所にあった黒い無地のTシャツは、左側の袖がカットされている。
ズボンも施設に残っていたものに履き替えた。当時履いていたズボンには血の匂いが染み付いていた。少しサイズが大きいが、ベルトを締めて裾を捲ればそれほど気にならないし、あの鉄臭い匂いを嗅がなくて済む。

服を着替えると、メロはますます翠から離れていくように感じた。髑髏がデザインされたシャツも改造手術の際に博士が破いてしまったし、普段使いのズボンもあのざまだ。
いつもの服が着られない。たったそれだけのことで、日常からはみ出てしまったという思いが強くなる。

ごく普通の人間だった頃の自分が、少しずつ消えてゆく。

B級トキシムとの戦闘では「俺は俺だ」と声高に宣言したが、その気持ちにほんの少し揺らぎが生じていた。
小さく溜め息をつくと、

『やっぱ帰りたい?』

腕輪からノーラの声が聞こえてメロは驚いた。
『ちょっと、そろそろ慣れてよ〜』
彼女はメロが暇を持て余していると、度々彼の話し相手になってくれている。
「人望が無い」とノーラに言われた事を気に病み、博士も数回メロと世間話をしたことがあったが、特に盛り上がらず、結局長続きしなかった。

「すみません。色々考え事してて」
『やっぱり、家族と離れるのって辛いことなの?』
ノーラが尋ねる。いつもより少し低めの声だ。

メロからすると、ノーラは何でもよく知っている凄腕AI。そんな彼女が自分に問いかけてくるのが、何だか不思議でくすぐったい感覚になった。

『アタシってAIじゃん? まだまだ限界はあるけど、アクセスすればどんな場所でも見に行けるし、繋がろうと思えば、インターネットで色んな人と繋がれる。だから、家族と離れるのってどんな感じかわからないし、お家に帰れないのってどんな気持ちになるのかもわからない』
「ノーラさんでもわからない事あるんですね。喋ってると人間みたいだから」『ま、勉強熱心な、意識高い系AIですからね〜! でも、どれだけ検索しても、SNSで誰かとお話しても、見えてこないものもある』

ノーラは更に続ける。
『見えないままの方が良いこともあるのかな』

感情豊かなAIのように思えるが、これはあくまで彼女がデータから学んだ様々なコミュニケーションを再現しているだけに過ぎない。人間の感情とは差異がある。
ただ、今の彼女の言葉には気持ちがこもっているようにメロは感じた。

『あっ、ごめんね、変なこと聞いちゃって! もし嫌な気持ちになったら、ちゃんと言ってね。そういうのまだよくわから……』
「俺、何となく“知りたい”って思うことがあって」

ノーラの言葉を遮ってメロが話し始めた。
「小さい頃に、叔母さんとランニングしたことがあって、その時に色々励ましてもらったんです」
事故の後の話だろう。博士がメロの経歴を調べた時、ノーラもメロの幼少期のことを知った。
この施設に来て、一度も話題に上がらなかったからなのか、メロは事故のことを「色々」と誤魔化した。その小さなひと言にも、何か大きな気持ちが隠れているのでは、とノーラは気になったが、何も言わずメロの話を聞いている。

「気のせいかもしれないけど、叔母さん、何か言いかけてやめたように見えて。まだ子供だったから、単にそう見えただけかもしれないし、どうでも良いことかもしれないけど、俺の頭にはずっと引っかかってて。俺は叔母さんが何を言おうとしてたのか知りたい」
『そうなんだ』
「でも、いっつも聞けないんですよね〜、目の前のことで頭がいっぱいになっちゃうから。ノーラさんの言ってることとは違うかもしれないけど、俺は知りたいと思ったことはちゃんと知りたい。知りたくても、わからないまま終わっちゃうものだってあるから」

メロは両親のことを思い出した。
両親から聞きたいことも沢山あった。しかし、どんなに望んでも、それはもう叶わない。
アルバイトや人助けを優先して頭の隅に追いやってしまう、幼少期の小さな疑問。話していて、メロは自然とその疑問を解き明かしたい気持ちに駆られた。

幹部の暗躍により、潜在的にトキシムと化した者も少なくないという鷹海市。「いつか帰れる」とメロは思っているが、もしトキシムの争いに翠が巻き込まれたら。或いは、翠がトキシムになってしまったら。
「いつか」などと気長に過ごしていたら、その疑問も明らかに出来なくなる日がやって来るかもしれない。

そんなことを考えていると、エントランスに桐野博士がやって来た。今日も仮面は着けていない。博士は前回の一件で疲れ切っており、病棟のベッドの上で過ごすことがほとんどだ。

「トキシムが発生したかもしれない」

起きている合間、眠い目を擦りながら、博士はトキシムの出現情報を探っていた。
「かもしれないって?」
「これを観ろ」
博士がタブレットを取り出し、SNSにアップロードされた動画を見せた。

それは、町の小さなイベントでパフォーマンスをするダンス集団を映したもの。動画の上に表示されたタイトルには「宮之華学園ダンス部」とある。市内の中高一貫校だ。

動画では男女7人の学生達が怪物のようなメイクを施し、ホラー映画のBGMをアレンジした曲に合わせて踊っている。
最新のスマートフォンで撮影されたものだろうか、手振れが気になるが画質がかなり良い。ダンスのキレの良さが動画からしっかり伝わる。

「すごい。で、この動画が何?」
「観てろ」
曲が終わり、7人が動きを止める。学生のうち2名は礼をするが、残る5名は数秒間前方をじっと見つめている。2人が他のメンバーを誘導して去って行く。フラフラと帰っていく彼等の背中を映して動画は終了した。

博士が指摘したいことはメロにも伝わった。
前方を見つめる学生達の目が、真っ白だったのだ。

画質が悪ければ見逃していたかもしれない。この目もメイクの可能性はあるが、5人の動きが全く同じなのも引っかかる。博士が動画を巻き戻して退場の瞬間をもう一度流すが、フラフラと、それでいて同じ歩調なのは彼等だけ。残る2人は介助するように歩いている。

凶暴化する前のトキシムは、人間だった頃の習慣を繰り返す。その行動には、ダンスのような活動も含まれるらしい。

「このダンス部について軽く調べてみた。前の動画ではテイストの違う曲を使用していて、ダンスの毛色も違っていた。ただ、数週間前から突然、ホラー要素を取り入れたスタイルに変わった。動画の視聴回数も、現在のスタイルに変わってから増えてきている」
「じゃあ、段々ゾンビに変わっちゃったのか。……え? スタイルを変えたってことは、ゾンビも新しいことを覚えられるってこと?」
「俺にもわからない。ただ……いや、俺の思い過ごしかもしれない」
『勿体ぶってないで、何が気になってんのか言いなさいよ』
ノーラに促され、不機嫌そうに博士は答えた。

「素人だからよくわからないんだが、今のダンス、5人の動きに合わせて調整されているように見えてな。気のせいかもしれないが」

博士が言っていた、ダンスのスタイルが急に変わったことと関係があるのだろうか。
ある日突然、部員達の様子がおかしくなる。しかしダンスのことは覚えているらしい。練習をしてみると一応踊れるが、どうしても違和感がある。そこで、ダンススタイルを変更し、ホラー要素を押し出したものになった。あくまで博士の推察で、真相は定かではない。

「でも、何か面白いな」
メロが言った。
「この町のゾンビは人は襲わない。それと、いつもと同じ行動を繰り返すんだろ? 何かこのダンスも、その特徴があったから生まれた形なんだなぁって」
人体改造を施され、それでも自我を保っているメロらしい視点なのかもしれない。博士は何も言わず、物思いに耽っていた。

群体は意思を乗っ取る。それにより、初期段階のトキシムは無感情な存在となる。しかし行動パターンは人間の頃と同じ。おかしな信号さえ無ければ争うこともない。残る2名のダンス部員のように、新しい歩み方を見出せば、平和的な共存も可能となる。

組織が「桃源郷」と呼んでいた、理想の世界そのものではないか。

「博士? 博士」
「ん? あぁ、すまん。このトキシムについてだが、一度詳しく調べてみたい」
『止めるんじゃなくって?』
「ああ。トキシムは派閥ごとに分かれている。幹部どもは自分の兵隊を増やすことに躍起になっていたはず。こいつらは争う形跡が無い。同じ派閥のトキシムということになる。同じ学校の、同じ学生が」

彼等をトキシムに変えた幹部が、彼等のすぐ近くにいるのかもしれない。または、この学園を含んだ特定のエリアを根城にしている可能性がある。

幹部が研究所を飛び出したのは4年前。それを踏まえるとトキシム達の年齢がかなり若い。まだ成長途中で、戦闘にも不向きな子供が兵士になり得るかは疑問だが、当時の幹部なら見境なく群体を投与しても不思議はない。
このグループの調査が、幹部に近付く足掛かりになるかもしれないと博士は見ているのだ。

メロも俄然やる気が湧いてきた。幹部を止めるチャンスとあらば乗らない手はない。
博士はタブレットを操作し、宮之華学園のホームページをメロに見せた。この学園では定期的に合唱祭や舞台などのイベントを校内で開催している。ここを卒業した有名な俳優やミュージシャンも多い。
そんなこの学園で、2日後ダンス部のイベントが開催される。ダンス部員は動画の7人だけではない。多種多様なパフォーマンスを楽しめるダンス大会とのことだ。

ところが、問題が1つ。
メロの左腕をどう隠すか。

「ついて来い」
博士が笑みを浮かべ、メロを地下メンテナンスルームに案内した。
大人1人が入れる大きさのカプセルが複数設置された部屋。以前メロが無力化した元トキシム達もここにいたが、群体の活動が沈静化したことが確認され、病棟の方に移された。まだ昏睡状態のままではあるが。

「カプセルに入ってくれ」
博士に促され、メロはカプセルの中に仰向けに寝た。彼が入ったことを確認すると、カプセルの蓋がスライドして閉じられた。
「これから何を?」
「まぁ楽しみに待ってろ。始めてくれ」

博士に指示されてノーラがカプセルを操作した。すると、カプセル内に気体が流れる音が響き渡った。無色透明だが、肌に当たる風の勢いで何かが流れ込んでいることがわかる。メロが中で慌て始めた。

「ちょっと! 何してんの!」
「もう少し我慢してろ」
5分ほど経った後、カプセルの蓋が開き、メロが大慌てで外に飛び出した。

「何だよ今の!」
「ちょっとした魔法だ」と、博士が笑みを浮かべて言った。
自分の左腕を見るが、特に変わった様子はない。
博士の言う“魔法”とは、いったい何なのだろう。

【2】

宮之華学園は海沿いから少し離れた、鷹海市の市街地にある。

円形の敷地の中心に6階建ての大きな校舎、それを取り囲むように、実験室等が入る旧校舎、グラウンド、そして2年前に改築された体育館が建っている。

その体育館で、ダンス部の面々が来たるイベントに向けて練習を続けていた。時刻は午後5時半。イベント当日を想定し、リハーサルも兼ねて普段以上に練習に励んでいる。

ダンス部には3つのチームがある。その一組が、突如ホラー要素を取り入れたダンスの動画が注目され、一躍人気者になった7人組のチーム・Infinity。4つの“∞”の半円を重ねたロゴが、黒いTシャツの左胸にプリントされている。半円が重なった中心にはチーム名が印字されている。

このチームの世界観なのか、男性部員は全員髪を剃り、女性部員は長い黒髪で統一している。ダンス本番では、ここにメイクが追加され、映画から出て来た幽霊や怪物の様相を呈する。

他の2組に比べると、このチームはダンスも上手くなく、大して人気も無かった。上手くないと言うより、統率が取れていなかったというのが、別チームに所属するユウジの見解だった。

「お疲れ〜」
練習に一区切り付き、ユウジが同級生のテツヤにハイタッチしようと近づく。しかし、テツヤは無反応だ。

Infinityのダンスのレベルはここ数週間で見違えるほど上がった。同時に、彼等のほとんどが“人間らしさ”を失った。
声をかけても無視。肩を叩くとパッと振り向くのだが、それ以外に反応は無い。以前はもっと明るい性格で、イタズラにも笑って返してくれていた。
キャラ作りなのかとも思ったが、どうやらテツヤ達は日中も同じようにボーっとしているらしい。

新学期が始まって、1人ずつ様子がおかしくなった。最初は高等部2年のエミ。どこか動きがぎこちなかったのは覚えている。それをリーダーであるアカネ達がフォローして矯正していった。
そこから1人、また1人と様子がおかしくなり、その代わりにチームに統一感が生まれた。

やはりどことなく動きが妙だが、それを逆手に取り、スタイルを大きく変えるとは。しかもそのアイデアを出したのは、古参のアカネではなく、新入部員のフミカだったという。
チームの躍進はユウジも嬉しかった。しかし、彼等から人間性が失われたのは寂しい。

鷹海にはゾンビがいるという噂がある。まさかテツヤ達がゾンビになったとでも言うのか。

もうすぐダンス大会本番。それもユウジ達高等部3年生にとって最後のイベント。上手い下手関係無く、同じ夢に向けて共に歩んで来た。このままその日を迎えるのは辛いものがある。
「なぁ、俺らの前でもキャラ作りしなくても良いだろ」
ユウジがテツヤに言った。やはり反応無し。

「ごめんね。ユウジ」
そこにアカネが入ってきた。テツヤ達の様子がおかしくなってから、何も語らないメンバーに代わっていつもアカネが謝っている。ただ、彼女も疲れ切っているのか、今日のアカネの口ぶりには生気が感じられなかった。
「何だよ」
ユウジは拗ねてしまった。

振り返ると、メンバーから少し距離を置いて、新入部員フミカが休憩しているのが見えた。中等部2年だと聞いているが、ダンスの腕前には目を見張るものがあった。
不意に、ユウジはフミカに近づいて声をかけた。先輩一同の様子が変わり、少し不安げな表情を浮かべているが、彼女はまだ“人間”だった。

「よっ」
「先輩。お疲れ様です」
「お疲れ。緊張してる?」
「は、はい」
大きく丸い目を泳がせ、黒髪をいじっている。

「あの、何か困ったことがあったら教えてな。このイベントが終わったら部活に顔出せなくなるけど、いつでも相談に乗るからさ」
「ありがとうございます」
フミカが強張った笑みを浮かべた。

“あなたには何もできない”

心の中で、フミカは冷たくユウジを突き放した。
彼女がダンス部に入ってから、Infinityはゆっくりと成長していった。
「私が何とかする」
「えっ?」
「あ、すみません。何でもないです」
「そう。じゃあ、俺も練習戻ろっかな」
ユウジは自分のチームの元へ戻って行く。

私が何とかする。
私“だけが”このチームを導くことが出来る。

「ですよね、お母様」

◇◇◇

「すげぇ、すげぇよ博士」
施設の外。メロが左手を大きく振って歩いている。

妙な気体を流し込まれた時は、何が変わったのかわからなかったが、博士にお使いを頼まれて外出すると、あることに気づいた。
道行く人が、誰もメロの左腕を気にしていないのだ。

「誰も気づいてない! これなら外も歩ける!」
『でしょでしょ〜? 主にアタシが頑張ったんだからね』
メロがわざと左腕をあげて振る仕草を見せる。
「ほれほれ」
『おい調子に乗んな』

仕組みを聞いた時にはメロも不安だった。
メロの融合炉に、研究所に保管してあった群体を蓄積させたのだ。

組織の元構成員の中には、幹部に倣って群体から成長させた司令塔を組み込む者もいた。幹部を出し抜こうと目論んでいたが、実験に失敗して命を落とした者も少なくなかった。
宿主の信号を中途半端にキャッチした司令塔が群体を複製。後の超獣システムに役立てるべく、桐野博士が保管していたらしい。

保管していた群体を研究する中で、意思を受信した司令塔のコピーは固有の特性を持つことがわかった。
メロの体に定着させたのは、幻覚作用を持つ群体。念入りに調査を進め、群体が幻覚を引き起こすガスを出しているだけだと確認。その効果を利用し、幻覚作用によって左腕を隠しているのだ。

『宿主は死亡しているから洗脳の危険は無い。群体の寄生は問題だが、今のお前は群体を自分の力に変えられる。俺が、この3週間ずーっと、お前のために、色々と準備してたんだよ』
腕輪から博士の声がしたが、メロの耳には届いていない。彼は自由に外を歩ける喜びに浸っている。

『青年。おい、青年? いいか、“俺の”、俺のおかげで……』
『嘘つけぃ! アタシに散々仕事させた癖に! 過労死寸前だったんだから!』
『お前は死なねぇだろうが!』
『AIが市民権貰ったら真っ先に訴えるからな』

自分の左手首からずっと口論が聞こえてくるが、メロはそんなことはどうでも良かった。もしかしたら、案外早く叔母の元に帰れるかもしれない。そんなことを考えていた。

近くのコンビニで買ってきたエナジードリンクを持って地下研究所に戻るメロ。
迷わずモニタールームに戻ることが出来たのは、熱暴走を知らせる警告音が聞こえてきたからだ。博士とノーラが口喧嘩をしない日はほぼ無い。メロもすっかり慣れてしまった。

ひとまず左腕の問題は解消された。ただし、メロの体に負担がかからないように分量を調節しているため、時間制限はあるらしい。

手渡されたエナジードリンクを飲むと、博士は得意げに笑みを浮かべた。
「よし。これで、お前を現地に送り込める」
「博士は行かないの?」
「ここを空けるわけにはいかない。コイツに留守を任せるのも不安だからな」
『そんなこと言って、外に出るのが嫌なだけでしょ』
「さて、イベントについて調べたが」

一度咳払いして博士が当日の計画を伝えた。
イベントは学校関係者以外も参加可能とのことだが、正門受付で名前を記入する必要がある。メロは現在行方不明ということになっているから、本名ではなく偽名を使うことにする。
至極当たり前のことだが、その当たり前のことをしっかり伝えておかないと、メロは何かしらやらかす。共に過ごす中で博士もメロのことを理解していった。

ダンス大会は学園のグラウンドに造られた特設ステージで行われる。
今回はあくまでトキシムの調査が目的。観客として会場に向かい、腕輪を介して監視を行う。観客の中にトキシムを管理する幹部も紛れているかもしれない。その場合は幹部と思しき観客を監視対象とする。

有事の際には超獣に変異してトキシムを無力化することになっている。グラウンドは旧校舎に隣接しており、1階エントランス付近は影になっていて気づかれにくい。トキシムの戦闘が始まれば間違いなく現場はパニックになるだろう。そのスペースならほぼ確実に、気付かれることなく超獣システムを起動出来る。

「カンペいるか?」と博士。メロはニッと口角をあげると、
「いらないよ、そんなの。ノーラさんと博士が考えてくれたコレもある」
言いながら、メロは自分の左腕を軽く叩いた。幻覚作用を持つガスを指している。
「調査はバッチリこなしてやるよ!」

【3】

イベント当日。

資金を渡され、宮之華学園まで電車で向かったメロ。
流石は幻覚ガス、道中彼の姿を怪しむ者は1人もいなかった。とは言えカメラ映像には幻覚は通じない。なるべく人混みに紛れて移動するよう博士に注意された。

そんな追加のオーダーをしたからか、或いは2日という期間が長過ぎたのか、メロは打ち合わせしたほぼ全ての内容を忘れていた。
正門受付で、偽名を名簿に書くということは覚えている。偽名だと気づかれにくい、絶妙な名前をノーラが考え出してくれたのだが、それを忘れてしまった。
「こちらにお名前を」
「あ、はい」
緊張の面持ちで、メロは咄嗟に思いついた名前を書き、溜息を吐いてペンを置いた。

校内は既に大勢の客で賑わっている。その多くが学生だが、あの人気ダンスグループのパフォーマンスを楽しみに足を運んだ者もいるだろう。
友人同士ではしゃぐ学生達。
自分も友達と夜まで遊んで、叔母に怒られたことがあった。不意に昔のことを思い出した。

別の場所では教師と生徒が談笑している。普段は教える側と教わる側の立場にある両者が、同じ目線で会話をする。この特別感がメロは好きだった。
久々の賑やかな場所。校内のあちこちを見渡していたが、あるものを見つけて歩みを止めた。

視線の先、白のワゴンカーが旧校舎の近くに停まっていて、その前に置かれた長テーブルにお茶と菓子が置かれている。その傍に立っていたのは、

「叔母さん」

メロの叔母、翠だった。反射的にメロは顔を伏せた。
翠が経営する喫茶・北風はしばらく休業中だった。しかし先日メロから連絡があり、一応彼の無事は確認出来た。そのことがきっかけで営業の再開を決意した。
翠も憔悴していたため、常連客数人が「日頃の恩返しだ」と彼女を手伝っている。

この学園に翠の知人が勤務しており、その伝手でイベントの際に簡易的な屋台を出している。メロは高校卒業後に本格的に手伝いを始めたため、翠がこうして学園に足を運んでいることを知らなかった。

ずっと会いたかった、唯一の家族。
その家族が目の前にいる。幻覚ガスの作用で左腕のことは気づかれない。今すぐにでも駆けていきたい。
だが、メロの足は動かない。理由はメロにもわからなかった。

『青年、何してる?』
「えっ? ああ、ごめん」
慌てて会場に向かうメロ。
だがその瞬間、彼は突然頭を押さえてうずくまった。

『どうした? おい!』
「あ、頭がっ」

暴走の兆候。こんなところで出るとは。群体の濃度は調整済み。メロ自身の体調、超獣システムの適応度も確認した上で群体を定着させた。それでもエラーが起きてしまった。

周囲の観客達が様子を窺う。屋台から翠も心配そうに見つめている。そこにいるのが自分の甥だとも気づかずに。
『調査は中止だ。このままでは暴走してしまう』
「こ、声が」
『声? 声って何だ?』

苦しんでいる様子のメロに気づいた学生達が彼に近づく。
まさにその瞬間、グラウンドの方で大きな音が聞こえた。来客達が一斉にそちらに目をやる。
あまりの爆音に意識がはっきりとし、メロも顔を上げる。トキシムが暴れているのではと、自然に左手首に手を置いていた。

《お待たせ致しました! 只今より、宮之華ダンスパーティー開始です!》

イベント開始を告げるアナウンスだった。あの大きな音はただのBGMだった。
すみません、と近づいて来た学生にひと言謝ってメロもグラウンドに向かう。
『大丈夫か? さっきの声ってのは』
「後で話す」
まだこめかみの辺りが痛む。右手でこめかみを押さえながら歩く。

その姿を、翠の目が捕らえた。
量は抑えたとは言え、幻覚作用により彼の顔をしっかりと認識出来る者はいないはず。それは翠も同じだったが、何故か彼女はその青年から目が離せなかった。


【次回】


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