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GIGA・BITE 第5話【前編】

【前回】



【1】

鷹海市の封鎖。
ゾンビ発生の原因を特定し、事態が収束するまで、この町は陸の孤島となる。
市長の会見では、対ゾンビ専用部隊が政府機関から派遣されるとのこと。これまでゾンビのことは報道もされてこなかった。特別に編成されたチームが何処まで戦えるのかは疑問だ。

他の地域に繋がる経路は防御壁で遮断される。都市開発が先行して進められた鷹海市。町を守るためのシステムが、町に脅威を閉じ込めるために利用されるとは。
また、小型ドローンを飛ばして町全体の監視を行い、ゾンビの出現や脱走を探知次第、特殊部隊が向かうことになった。

支援物資は他のエリアから運搬用のドローンで運ばれるらしい。鷹海市民の生活水準は可能な限りキープするとのことだが、町の封鎖が長引けば、批判の声も大きくなっていくだろう。

今頃地上は緊迫した空気に包まれていることだろう。
そんな状況でも、桐野博士は笑っていた。ノーラも至って冷静だ。
困惑するメロを見て博士が語る。
「これで、トキシムも幹部も見つけやすくなる。何なら対応が遅すぎたくらいだ」

現状、トキシムは鷹海市でのみ確認されている。
町を封鎖してしまえば、彼等の行動範囲を鷹海市に絞ることが出来る。そして彼等を統括する幹部も見つけやすくなるだろう。

人間がトキシムに変異するまでの潜伏期間には個体差がある。自分の勢力が何処まで広がっているのか、幹部らも気になっているはず。
それに群体は空気感染せず、トキシム自体に味方を広げる知能が無いことから、増兵のためには幹部自ら動く必要がある。各々手法は異なるようだが、この町を拠点に暗躍していることは間違いない。

面倒なことがあるとすれば、特殊チームの派遣と町の監視だろうか。彼等はトキシムについての知識がほぼ無い。怪物だと判断して命も奪いかねない。

コンタクトをとって情報提供するのはどうか。
怪しい博士に饒舌な人工知能、おまけに改造人間。政府機関が彼等を信用するとは思えない。
超獣として戦うにしても、特殊部隊はメロも敵性生物と見做して攻撃するだろう。はっきり言って、博士達にとっては邪魔でしかない。

「しかし、今は俺たちで出来ることをやる他ない。これから、戦いはより厳しいものになる。お前も力をつけておくんだな」
『こんな引きこもりの博士に言われたくないよね〜』
ノーラが毒を吐く。

メロがやって来てからは外出の頻度も増えたが、以前は外に出ることはほとんど無かったらしい。
取り残された同士達と研究していた頃からずっと、彼はこの根城から動かなかった。情報はニュースやインターネット、ハッキングしたカメラ映像から入手。食品はデリバリーサービスを利用していた。と言っても、あまり食欲はわかないらしいが。

「そう言えば俺、博士のことよく知らないかも」
旧組織やトキシム、超獣システムの概要については何度も解説してきたが、博士は自分自身のことについては多くを語らない。

かれこれ1ヶ月近く経つが、組織分裂後、最終的に博士1人がここに残った経緯も、力を注いでいた超獣システムの開発を一度は中止した理由も、詳しくは知らない。当時の話になると、博士は淡々と、そして簡潔に起きたことを伝えるだけだった。

「俺のことはいいんだよ」
と、いつものように博士がはぐらかす。
「今は幹部を止めることだけ考えろ。ようやく訪れたチャンスを無駄には出来ない」
「了解。じゃ、ちょっとトレーニングして来ようかな」
メロは博士と違い、じっとしているのは嫌いだ。
左腕を隠す幻覚ガスも満タン。軽くジョギングすることにした。

「気を抜くなよ。この前みたいに幹部が襲ってくる可能性も……」
「平気だよ」
メロが得意げに言う。
「あの女の人が助けてくれるからさ」
そう告げて、彼はモニタールームから出て行った。

メロが見たと言う女性。
初めは“幽霊”だと騒いでいたが、その正体はまだわからない。姿と声を認識出来るのはメロだけ。研究所のカメラも検知していない。

「女の人、か」
椅子に腰掛け、博士が低い声で呟いた。
『変なコト考えてんの?』
ノーラが茶化すと、せっかく座ったばかりなのに、博士は立ち上がってモニターを睨みつけた。

「違ぇよ馬鹿! 幹部の罠だったらどうしようって考えてたの!」
『そいつはどうかな〜?』
「このクソAIめ!」

博士とノーラの口喧嘩が始まったのを、非常階段に向かうメロが聞くともなしに聞いていた。
町が封鎖されたというのに、地下研究所にはいつもと同じ時間が流れている。
目の前に、地上に続く階段が見えてきた。軽く背伸びしてそちらに向かうと、

「73点」

廊下の右側、書類が山のように積み上げられた部屋から澄んだ声が聞こえてきた。横に目をやると、乱雑に積まれた研究資料の上に、あの女性が足組みして腰掛けていた。

最初に現れた時と同じく、白衣を着ており、長い茶髪を後ろで結っている。紺色のシャツにジーンズ。西部劇を思わせるブーツが資料を踏んでいる。
そしてその姿は霊体のように、白く淡い光に縁取られている。

「出た」
メロが驚き後退る。
「失礼な坊や」
女性の声は前回と異なり、“生きた声”に聞こえた。脳に響いて来る声ではない。前方の小部屋から、声帯を震わせて出した声が、壁に反響した音として送られてくる。

突然現れたことや彼女を縁取る光はさておき、声や仕草からは幽霊らしさを感じない。
「昨日はご苦労様。73点よ」
「あぁ、どうも」
学生時代、赤点スレスレの点数ばかり取っていたメロからすると73点は高得点だが、女性は不機嫌そうに「褒めてない」と否定した。

「あの、そもそも73点って?」
女性は舌打ちすると、資料の山から降りてメロに歩み寄った。床を踏む小気味良い音が廊下に響く。

「あなたは確かに、トキシムだっけ? アレを止めた」
止めた、という言葉を聞いて、最初に女性が告げたメッセージを思い出す。
女性はトキシムの出現を教えてくれていたのだとメロは推理した。
「あの男の小細工を利用して、自分の力にしてみせた。私も手伝ったけど」
謎の男の襲撃も、メロが新たな力を得たことも知っている。女性はずっと見守ってくれていたらしい。

「あぁ、やっぱり! あの時は本当に……」
「おかげでこの町を封鎖出来た。アイツらを閉じ込めることに成功した」
女性は先程の博士と同じ事を口にした。
彼女が残したメッセージの真意。それはトキシムを止めることではなく、トキシムの暴走を知らしめて、町を封鎖させることにあったらしい。

だが、それだと疑問が残る。
何故メロをあの場所に向かわせたのか。

その答えは女性が明かしてくれた。説教付きで。
「あの映像は何?」
「はい?」
「あなたが怪物に飛びかかった映像。あなたは怪物の影に隠れて、一瞬見切れただけ」
「バレずに済むならそれで……」
「逆よ。私はあなたの姿を見せつけてほしかった。そうすれば、アイツらは確実にあなたに目をつけたはず」

凶暴化するトキシムを止める謎の怪人。しかも人間の言葉を話し、自分の意思で行動する。群体の感染もものともせず、逆に力に変えてしまう。
こんな怪人が自分達の知らないところで戦っていると知れば、幹部の方から接触を図るはず。目的が襲撃でも、交渉だとしても。

女性が望んでいたのは、超獣の存在を幹部に知らしめ、町に散らばった彼等を誘き寄せることだったのだ。
集めたところで、倒せるかどうかは別の話ではないかとメロは感じた。

「あの男みたいに、前々からあなたを狙っていた奴もいたみたいだけど、あんな映像だけで何人釣り上げられるか」
「そっか。俺が戦ってるところを見せれば、特殊部隊っていうのも協力してくれたかも」
メロの考えを聞いて女性が鼻で笑った。

「呑気なこと。特殊部隊だって人間よ? アイツらの手先になりかねない。兎に角、君の活躍自体は上出来。でも私の期待には応えられなかった。だから73点」
「無茶だよ、ちょっとしか教えてくれないんだもん。でも、今日はベラベラ喋るんだね」

確かに、最初に現れた時と比べて女性との意思疎通が容易になっている。途切れ途切れの言葉が脳内に送られてくるだけだったが、今ではちゃんとした会話が成り立っている。
「ベラベラ」という表現が気に食わなかったのか、女性はメロを睨んだ。

「あの時は断片的に言葉を送るのが精一杯だった。でも、少しずつ干渉できる時間が伸びてきている。だから今、改めて私の考えを伝えているの」
「そ、そうなんだ」
「理解していない顔ね」
「難しい言葉はよくわからなくて」

そんなやり取りをしていると、僅かだが、女性の体を縁取る光が強くなってきた。更に足下から、光の粒となって消え始めている。
「これが今の限界。まぁ良いわ。出来たらまた助けてあげるけど、あなたも努力しなさい」
「わかった。ありがとう、おばさん」
「おばさんじゃない」
女性の姿が光の粒となって、胴体、胸部、そして首元まで消えてゆく。
「36はまだおばさんには含ま……」
最後の言葉を言いかけて、女性は完全に姿を消した。

多少近づくことは出来たが、依然として女性の正体はわからないまま。ただ、何処となく桐野博士に似た印象を受けた。
あの女性なら、博士がまだ話していないことや、メロがまだ知らない事実も教えてくれるのではないか。

彼女は少しずつ干渉可能な時間が伸びていると言っていた。それに、改めて自分の策を伝えに来たところを鑑みるに、いずれまた、彼女はメロの前に姿を見せるだろう。

『メロ君?』
口喧嘩を終えたノーラが語りかけた。
『今、映像見てたんだけどさ、あの、誰と喋ってたの?』
「え? あ、あぁ、この前のおばさ……」

“おばさんじゃない”

頭の中に大きく響く女性の声。
その声はノーラには聞こえていない。
「もう、何なんだよ」
メロは小部屋を睨んで文句を言った。

【2】

市長の突然の会見は鷹海署の捜査員らにも衝撃を与えた。
鷹海にはゾンビがいる。そしてそれは、もはや噂ではなくなった。

市長の会見を観た捜査員達は、皆一様に当惑している。彼等の脳裏をよぎるのは“あの男”。林田一徹だ。
かねてよりゾンビがいると信じ、奇妙な事件・事故もゾンビの仕業として独自に捜査を続けてきた男。彼の影響力は今後ますます強まるだろう。

“あいつ”が影響力を持つ。

林田が調子に乗ることの方が、鷹海署の捜査員にとっては面倒な事態だ。
これまでの“ゾンビ事件”も「俺の言うことを聞いていれば解決出来た」などと文句を言うだろうし、捜査方針にも口を出してくるはずだ。悔しいが、ゾンビについての知識が豊富なのは鷹海署において林田ただ1人。彼の言葉に文句もつけられまい。

林田はスタンドプレーが過ぎる。ドラマから出てきたような熱血デカ。その頑固さは一級品で、他人の言葉には耳を貸さない。そのクセ自分の都合は強引に押し通す。あと、声がやたら大きい。
ドラマの世界で活躍する熱血刑事と大きく異なる点。林田には人望が無い。

はぁ。
刑事達がため息を漏らす。

流れが林田に向いてきた今、困ったことがもう1つ。
林田がいない。
彼のおもりとしてつけておいた池上圭介も。

いつものように、どうでも良いことを「刑事の勘」だと言って署を飛び出したのが昨日。その勘が当たり、例のゾンビが鷹海アウトレットに出現。署の警官達も負傷した。
アウトレットに行ったきり、林田と池上が帰って来ていない。まさか、あの騒ぎに巻き込まれたというのか。

「どうします?」
女性捜査官が署長に問う。
「池上はどうした? 連絡つかないのか」
捜査官が顎で林田のデスクを示す。
デスクの上には無造作に置かれた池上のスマートフォン。昨日林田が取り上げ、何かを閃いた際に放り出したものだ。2人はそのまま出て行ってしまった。
署長は頭を抱えた。

「林田さんは」
「出ません。出るわけがない」
別の捜査官が投げやりに言った。

再びため息をつく一同。
彼の情報が重要視された今、その当人が行方不明。
どこまでも鷹海署を掻き乱す。心配や不安より、苛つきの方が勝っていた。

◇◇◇

その2人、林田と池上は、鷹海市郊外の廃れた地域に足を運んでいた。

アウトレットモールで凶暴化した怪物と、薄緑の装甲を纏ったゾンビの戦闘を目撃した彼等は、物陰からずっと様子を窺っていた。声が漏れそうになる池上の口を押さえ、林田は2体……特に、装甲を纏った方のゾンビを注視していた。
あのゾンビは怪物に飛びかかった後、負傷した警官らに「逃げて」と言った。

言葉を話すゾンビ。
特殊部隊の生存者が語っていた存在が目の前に現れた。

体を覆う鎧は紛れもなく人の手が加えられたもの。既に改造が施された個体が存在していることになる。
戦闘の最中、喋るゾンビは姿と戦術を変えて敵を翻弄し、勝利をおさめる。倒れた怪物は人間の姿に戻った。
そして喋るゾンビも人間、それも青年の姿に戻った。青年は痩せ型の男性と合流して現場から逃走。彼等の姿を林田は見逃さなかった。

「追うぞ」
「うっ、はぇ?」

口を押さえられていた池上は素っ頓狂な声をあげた。
「尻尾を掴んだんだ。奴等を逃すわけにはいかん!」
林田に無理矢理走らされる形で、池上も2人の追跡を始めることに。

せっかく車で来たのに「エンジンかけてる暇はねぇ」と林田が一蹴、自分達の足でゾンビを追う羽目になった。
「でっ、でも、あのゾンビは怪物を倒してくれたんすよ? そのまま泳がせとけば、勝手に退治してくれるんじゃ」
前を走る林田が振り返って池上を睨んだ。

「馬鹿野郎! 化け物に好き勝手されてたまるか! お前さんも見たろ? 奴には協力者がいた。ゾンビはただの害獣じゃねぇ。これには何者かの意思が働いてる。刑事の勘がそう言ってんだ!」
「またそれか。そ、それにしても、林田さん、よくフツーに喋れますね」
2人は走りながら会話をしているが、林田は息を切らすことなく会話を続けている。
「当たり前よ! 現場百遍! こちとらこの足で捜査してんだ。若造とは鍛え方が違ぇ!」

よく言うよ、と心の中で池上が愚痴を言う。

アウトレットまで車を走らせたのは池上。怪物が暴れた時、下心があったとは言え、相手を銃撃したのも池上。林田がしたことと言えば近くであんパンを買い、物陰からじっと様子を見ていただけ。体力が残っているのも頷ける。

今も林田に皮肉を言ったつもりなのだが、遠回しに言ったためか全く気づいておらず、体力自慢を引き出してしまった。

ゾンビと協力者は遥か先を走っていて、林田達との間にかなり距離が空いている。しかも、林田の大きな声を聞きつけたのか、2名は途中から右へ左へ不規則に道を曲がるようになった。撒こうとしているのかもしれない。

怒る林田、呆れる池上。
どうにか対象の動きに食らいついていたものの、木々に囲まれた古い住宅地の辺りで彼等を見失った。

林田が民家に囲まれた車道の真ん中に立ち、腰に手を当て周囲を見回す。体力もピークなのか、肩で息をしていた。
その後ろからヨロヨロと池上が歩み寄る。ワイシャツは汗でびしょ濡れだ。
林田に恫喝されると身構えたが、林田はゾンビと協力者を探すのに夢中だった。

「この地区の何処かだ。そこにアジトがあるに違ぇねぇ」
「アジト?」
「あの、見るからに改造されたような姿。秘密の研究室があるんだよ」
「それも刑事の勘でしょ?」

池上が低い声で言うと、林田が振り返ってニッと笑った。笑ってもなお、林田の顔は鬼のように見える。
いつかぶん殴ってやりたい顔。池上のストレスがどんどん溜まっていく。

「わかってきたじゃねぇか若造。そうだ、刑事の勘だ!」
「はいはい、で、その勘は何処がアジトだと言ってるんです?」

林田は険しい顔つきに戻ると再び辺りを見渡した。
寂れた住宅街。よく見るとそのほとんどが空き家になっている。庭の植物も伸び放題、壁には下手な落書き。近くに建つ団地に目をやると、一応住人がいることがわかる。
これだけ人の少ない地域なら、何処にゾンビが隠れていても不思議は無い。

ここで強い風が吹いた。湿気と植物の匂いをはらんだ生暖かい風。
「ふん、向かい風か。こっちだ」
風が吹いてきた方向に林田が歩き出した。
「向かい風? 熱血かキザかどっちかにしろよ」
林田に聞こえないように文句を言うと、池上も彼の後ろについて行った。

突き進むに従い、辺りが暗くなってきた。もうじき日暮れだ。
丸一日こんな男と一緒。最低の1日。肩をがっくりと落とす。風が吹くたびに、前を歩く林田の汗の匂いが流れてくる。
それから3時間近く、刑事の勘とやらに従い何度か方向転換し、2人は先へ先へと歩を進めた。

そして、辺りがすっかり暗くなった頃。
前方を歩いていた林田が急に足を止めた。池上が彼の背中にぶつかり、頬についた汗を手で払った。

「止まるなら言ってくださいよ!」
「黙れ」

人差し指を口の前に立てて恫喝する林田。大きな声を出したことを注意しているのだろうが、林田の方がひと回り声が大きかった。

林田は指を口から離し、そのまま前方を指し示した。
池上がそちらを見ると、鉄製の大きな板とガードフェンスが見えた。上の方に建物の一部分が見える。建物に近づいて周囲を確認してみると、バリケードが広い敷地を囲っていることがわかる。

「笠原総合病院だ」と池上が呟いた。

「知ってんのか?」
「有名な心霊スポットっすよ。病院長の幽霊が出るとか言われて、一時期肝試しをしに人が集まってたんです。いやぁ、怖かったけど、楽しかったなぁ」
約3年前、高校の卒業式を控えた池上は数人の友達と肝試しに訪れた。
ただ、ろくに散策はしていない。1階を回っていた時に友人達が「物音がする」と口々に言い出し、怖くなって逃げたのだ。

「不法侵入じゃねぇか!」
「若気の至りですよ〜。その後急に入れなくなっちゃって。まぁ、色んな奴が出入りしてましたからね、好き勝手暴れた奴がいたんでしょ。迷惑行為に耐えかねて、今はこんな感じ、ってとこですかね」
「ほう」

闇夜の病院を見上げる林田。
嫌な予感がする。池上がこっそり逃げようとすると、

「ここだ」

やっぱり。
林田の手が池上の襟を掴んでいる。もう逃げられない。
「刑事の勘が叫んでやがる。張り込みだ!」
「は? ここで? 無茶ですよ、応援呼びましょうよ」
「その必要はねぇ」

根拠のない自信に振り回されるのはたくさんだ。応援要請のためにスマートフォンを探すも、見つからない。アウトレットに向かう直前の出来事を思い出した。スマホはデスクの上だ。
スマホが無いことに気づくと、禁断症状も出てきた。ますます林田に苛立ってくる。その背中を見るだけで蹴りを入れたくなるが、返り討ちに遭うのは目に見えている。

「おい、あんパン買ってこい。流石にコンビニくらいあるだろ」
池上が廃病院に来たことがあると知り、林田が命令してきた。土地勘があると踏んだのだろう。
自分の“刑事の勘”に頼れば良いものを。
嫌々立ち上がり、近くにコンビニが無いか探し始める。最後に来たのは3年前。この辺りもだいぶ変わってしまった。

歩きながら池上は考えを巡らせる。
あのバリケード。人が立ち入るのはほぼ不可能だ。確かにゾンビを隠しておくのにちょうど良い。

林田のことだ、入口を見つけて潜入すると言い出すはず。どういうわけか、彼は運にも恵まれている。向かい風というくだらない根拠から、あの廃病院を見つけ出した。入口も簡単に見つけてしまうような気がしてならない。

喋るゾンビの声は池上も聞いた。意思疎通は出来そうだが、自分達を敵だと見做して襲って来たら。拳銃に弾は入っていない。あの気持ち悪い怪物に全弾撃ち尽くした。だったらゾンビと殴り合いか? 相手は鎧を纏っていた。林田でもかなうはずがない。

あまりにも無茶な捜査だ。スマホを置いてきたことが悔やまれる。ゾンビにボコボコにされ、鬼のような男と心中するなどまっぴら御免だ。

そうだ、このまま逃げてしまおう。何処かで署の刑事達に連絡を取り、正式にあの場所を調べるのだ。その方が良いに決まっている。
林田を置き去りにすることに決めて方向転換すると、前方にコンビニを発見した。してしまった、という方が正しいか。

「お前さんも勘が冴えてきたようだな」
と、後ろから林田がやって来た。
「何やってんすか? ま、待っててくださいよ〜」
「どうせ逃げようとしてたんだろ」
この男には全てお見通しだった。

「相手はゾンビと協力者。他にも仲間がいるかもしれん。お前さんみたいなひよっこでも、今は仲間が必要だ」
まさか林田の口から“仲間”なんて言葉が出るとは。
鷹海署で最も関わりたくない刑事と繋がりが出来てしまった。これで出世が遠のいた。池上が嘆きの表情を浮かべる。
林田に促され、若い刑事はあんパンを買いに渋々コンビニに入った。

2人は朝までずっと廃病院の近くで張り込みを続けた。池上は何度か仮眠をとったが、待望の喋るゾンビがいると確信し、林田はずっと起きていた。

そして翌朝。

いびきをかいて眠る池上だったが、突然林田に叩き起こされた。
「ちょっ、まだ喋ってる途中でしょうが」
「何を寝ぼけてやがる」
頬を何度も叩かれ夢の世界から強引に呼び戻された。
「ったく。何すか?」
「何か聞こえねぇか?」

耳をそば立てる。
確かに、微かだがアスファルトを蹴る音が聞こえる。それも、あのバリケードの向こうから。

「行くぞ」
林田が歩き出す。それを慌てて池上が止める。
「何してんだ若造、どけ」
「急すぎますって。大した準備もしてないのに、無茶っすよ! そもそも出入り口だって……」

池上を無視して林田がバリケードの前まで向かう。
フェンスに看板が取り付けられ、そこに工事の予定日が書かれている。ゾンビを匿っていることを踏まえれば、カムフラージュと考えるのが自然だ。

林田は看板の付いたフェンスを力任せに引っ張り、鉄の板に手を触れた。複数の板を並べて壁にしてあるようだ。工具で固定されているが、近づいてみると、1枚の板が他より若干ズレているのがわかる。
少し押してみると、指をかけられそうな隙間が見つかった。
片手で池上の腕を掴んだまま、林田が隙間にもう一方の手をかけ、横に押してみると、障子のように板がスライドし、入口が現れた。

嫌な予感が的中した。
何故こんな男が運を味方につけているのだろう。池上はもう一度寝てしまいたいと思った。
自慢げに笑みを浮かべる林田。そのまま敷地内に堂々と入っていく。
「警察だ!」
池上も引っ張られる形でそれに続いた。

敷地内の開けたスペース。
そこに、喋るゾンビに変異していたあの青年が呆然と立ち尽くしていた。



【次回】


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