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GIGA・BITE 第4話【前編】

【前回】



【1】

宮之華学園での戦闘を終え、研究所に戻って来たメロ。

ダンス部員と乱入者の計10体、内1体はB級に変異。激しい戦いだったからか、帰って来て“戦利品”を渡すなり、メロは倒れるように眠ってしまった。

疲労だけでなく、叔母の翠と再会したことも要因かもしれない。目の前で超獣に変異したメロを見てもなお、叔母は変わらず彼を受け入れてくれた。その安心感がメロの緊張を解いたのだろう。

メンテナンスルームのカプセルに寝かされ、メロが目を覚ましたのは事件から2日後。時刻は午後7時。かなり長く眠りについていたためか、少し頭痛が残る。

『おはよ〜! やっと起きた〜!』

ノーラがカプセルを操作し蓋を開ける。礼を言うとメロはゆっくり立ち上がり、博士のもとへ向かった。
モニタールームでは、久々に黒い仮面を着けた桐野博士が、椅子に腰掛けて小さな画面とにらめっこしていた。

今回の事件は大きな謎を残した。

仲間を指揮し、自身を守らせることも出来るトキシム。そして、トキシム化していた生徒達の中に潜んでいた黒い虫。
いずれも博士達が研究していた頃には発見されていない事項だ。

この虫を体内に飼っていた学生達は、戦闘が終わった後に目を覚まし、メロ曰く寝言のように人の言葉を発していたそうだ。
メロは目を覚ました彼等に姿を見られるのを危惧して慌てて逃げ出し、無力化したトキシムを置き去りにしてしまった。本来なら研究所に運び経過観察するのだが、特殊な性質を持つトキシムが現れた今回に限って、それは叶わなかった。

学園の防犯カメラ映像を盗み見たところ、メロが脱出した後に6人の生徒が起き上がり、倒れていたもう1人に駆け寄る姿が映し出されていた。「寝言のように言葉を発していた」というのもメロの勘違いではなさそうだ。

メロをメンテナンスルームに運び込んだ後、博士が虫の死骸を調べた。
慌てて逃げ出したためか死骸の保存状態は悪く、虫の体が胸部と腹部の間で分かれていた。

まずは外観。
全身黒く見えるが、腹部には黒と焦茶色の縞模様があり、1対の小さな羽根を有する。尾の先を拡大して観察すると小さな穴も確認出来る。
蜂に似た特徴を持つこの虫には複眼も触角も口も無かった。

続いて内部構造を調べてみると、興味深いことがわかった。
「こいつの体内から群体が見つかった」
「え? 虫のゾンビってこと?」
「いや違う。顔面と同じで、内臓がほぼ無かった。脳さえもな。代わりに腹の中に群体が残っていた。蜂で言うと毒袋に該当する箇所だ」

頭部のパーツだけでなく臓器がほとんど無い。唯一見つかったのは群体で満たされた毒袋。毒袋があるのなら、尾の先にあった穴には本来針が格納されていたのだろうか。
虫が飛行機で群体がそのパイロット。博士はそんな想像をしていた。

小さな虫が群体を運べるのなら、町中トキシムだらけになってしまうのではとメロは考えたが、博士の調べではその危険は無いらしい。

虫が宿していた群体は何と死滅していなかった。信号が無くなり動きが止まったものと思われる。それらの群体を調べると、通常の群体よりも“弱い”ことがわかったのだ。

「普通なら司令塔と同じように自分のコピーを増やせる。ただ、虫から見つかった群体はコピーを作れない。毒袋から見つかった量では1人をトキシム化するのもギリギリってところだな。それが本物の蜂みたいに何人も刺してみろ、貴重な群体が分散して洗脳も出来なくなる」
通常より性質の劣る群体。6人の生徒が人間として意識を取り戻した理由はそこにありそうだ。

しかし、まだ謎は残る。
6人を指揮していた少女のトキシム。
群体に指示を出せるのなら、博士が推察したように、司令塔を頭に飼っている可能性が高い。
無論、旧組織に子供の構成員など1人もいなかった。やはり寄生した群体が司令塔へと成長したというのか。

小さな残骸だけで全ての謎を解き明かすのは不可能だ。
今後の戦闘を通じて何かがわかれば良いのだが、同じタイプのトキシムがそう何度も現れるとは思えない。

「あの少女を調べれば何か見えるかもしれないが、今頃市内の病院に運ばれているだろう。特殊なケースだ。調査に行くのは難しいだろうな」
『まぁ群体を見つけても、普通の病院じゃ何なのか特定出来ないと思うけどね。新種のウイルスってことで騒ぎにはなるかも』
メロの活躍により群体の活動は止まっている。空気感染はしないので、病院でトキシムが発生する危険もまず無いだろう。

「ところで」
と、博士が話題を変えてメロに顔を向けた。

「この前、声がどうとか言ってただろ? それが気になってな」
学園内でメロは2度激しい頭痛に襲われている。
その瞬間、彼の脳内で声のようなノイズが響いていた。少女がトキシム化した際には音色のようなものまで聞こえてきた。そのノイズのせいでメロは自我を喪失しかけた。

「色んな人が同時に喋ってるみたいな、そんな声だった。でも内容はわからないんだ。今度聞けたら聞いてみる」
『ちょいちょい! それで暴走しちゃったらどうすんの!』
「あ、そっか」

思わず笑うメロだったが、ノーラの言う通り、ノイズに聞き入って暴走してしまったら、トキシムを無力化するどころか、救えるはずの命を奪いかねない。
初めて変異した時の自分の映像を思い出す。あの状態になってしまったら、きっと誰の声も届かない。メロは今一度気を引き締めた。

『また暴走したら、アタシが過労死しちゃうんだからね?』
「そうですよね。気をつけます」
「いや、それより超獣システムが台無しになる方が問題だ」
と博士が言った。

何となくだが、嫌な予感がする。
『それより? それよりってどういう意味?』
やはり始まってしまった。博士とノーラの口喧嘩。
この研究所にやって来て1ヶ月近く経つ。メロは2人の口論には慣れているが、ヒートアップするとかなり面倒臭い。

ここで過ごして培った術。
こんな時、メロは部屋から出て行くことにしている。どちらも口論に集中しているため気付かない。
今回も一応断ってから部屋を出て、扉を閉めると溜め息をついた。

普段は敷地内で1人の時間を過ごすのだが、左腕の問題が解消されてからは外も歩けるようになった。単に時間を潰す訳ではなく、少しでも戦闘時の負担を減らせるよう、軽めのトレーニングも行なっている。
今日はどうしようかと考えながら廊下を歩いていると、頭の中で突然声が聞こえ始めた。

暴走の兆候か。
動きを止めるメロだったが、前回聞いたノイズとは雰囲気が異なる。複数人が一斉に喋る騒音じみた音ではなく、1人の人物の声が、うっすらと聞こえてくるのだ。

たった今ノイズのことで忠告を受けたばかりだが、この声は“大丈夫”な気がする。小さな声が何と言っているのか集中していると、

“時間がない”

女性の声がはっきりと聞こえた。ノーラの声より低めで、冷たく、それでいて澄み切った声。
ふと顔を上げると、そこに見知らぬ女性が立っていた。

病院は鉄の壁で閉鎖しており、この地下空間も掌紋認証によって入口が開く仕組みになっている。ここに外部の人間が居るはずない。

この女性は誰だ?

長い茶髪を後ろで束ね、博士と同じように白衣を着た女性。袖から見える素肌はやや青白い。左手の甲に大きな火傷の痕が見える。
博士よりは若め、メロとは年齢が離れていて、大人びた印象を受ける。

くっきりとしたアーモンドアイが印象的で、その顔つきは外国人のようにも見える。真一文字に結ばれた桜色の唇が、青白い肌によって際立つ。白衣の下には紺色のシャツ、ジーンズに茶色いブーツという組み合わせ。
何となくだが、女性は白い光に縁取られているように見えた。

“鷹海アウトレットモール”

今度は女性の声で鷹海市の人気スポットの名が読み上げられた。3年前にオープンした施設で、今も他エリアから大勢の客がやって来る。
この女性の声だと感じたのだが、女性は一切口を開いていない。それでも、女性の声はメロの脳内に響いてくる。

“止めるには、これしかない”

その言葉を最後に、女性の姿はスッと消え去った。
幽霊だとメロは直感した。

ここは廃病院。地下研究所では人体実験が行われていた。白衣を着ていたということは病院関係者か、或いは実験で死亡した女性の幽霊。
ゾンビと戦い続けるうちに、幽霊まで見えるようになってしまった。あの声も暴走の兆候ではない、幽霊の声だ。

大慌てで来た道を引き返し、モニタールームに飛び込んだ。
博士とノーラはまだ口喧嘩をしていたが、息を荒げて戻って来たメロの姿を見て喧嘩を中断した。

『メロ君、どしたの?』
「幽霊! 幽霊が!」
「幽霊? 何言ってんだお前」
一応博士が廊下を覗いてみるが、当然誰もいない。

「ノーラさん! カメラに何か映ってない?」
『えっ? ちょ、ちょっと待ってね』
ノーラが施設のカメラ映像を確認する。その最中、モニターに【ディベートモード解除】という文言が表示された。あの様子はとてもディベートには見えないのだが。

「ディベートモード? しょうもない機能を勝手に作んじゃねぇよ」
『ちょっと黙ってて! う〜ん、変わったところは無いけどな〜』
「急に女の人の声がして、目の前に女の人がいて」
「おいおい、落ち着いて話せ。というかお前、声が聞こえたのか? 暴走の前兆だったらどうすんだ!」
「アレは違うよ! 女の人が俺に……あ」
女性がメロに告げた言葉が脳内で再生された。

「鷹海アウトレットモール」
「それが何だ?」
「今すぐ調べて! 時間が無いって言ってた。俺、呪われちゃうよ!」
「呪いだの幽霊だの、何を非科学的なことを」

博士の言葉を無視してノーラが検索、鷹海アウトレットモールのホームページを中央の大きなモニターに表示した。
ホームページを見たものの、ピンと来るものは何も無い。女性は何故この施設の名をメロに伝えたのだろう。

下へスクロールしていくと、今後行われるイベントのスケジュールが表示される。明日の日付。そこに、【1日警察署長・美南みなみ潤羽うるは 防犯パトロール】の表記。
美南潤羽は鷹海出身の若手タレント。ノーラが彼女の経歴も調べてみたが、気になる所は見当たらない。

何か見落としているのではないか。
メロは“呪い”を解くため、モニターをじっと見つめて考える。
『本当にどうしちゃったの? 博士、これって暴走なんじゃ?』
「こんな暴走があってたまるか。お前、彼女に会いたいのか? 素直にそう言えば良いだろ。うちはホワイトな組織なんだから」
『どこがだよ!』
「お前は黙ってろ!」
喧嘩を再開する2人を他所に、メロは女性の言っていた言葉を思い出す。

“時間が無い”

女性の言う「時間」が日程のことを指しているのなら、やはりこのイベントに何か意味があるのか。他のスケジュールも確認するが、特に目を引くものは無い。

“止めるには、これしかない”。

こちらに関してはさっぱりわからない。流石にイベントを止めろ、という意味ではないだろう。
ヒントがあまりにも少ない。こうなれば、こちらから動く他ない。
「博士!」
「あ?」
「俺、ここに行きたい」
画面に表示された、明日のイベントの欄を指さしてメロが言った。

「本当にこの子に会いたかったのか?」
「違うよ! ここに行かなきゃならない。よくわからないけど、そんな気がするんだよ!」
『メロ君、いつに無く真剣』

確かに、メロはここまで強く自分の意思を示すことは珍しい。
幽霊、呪い。根拠は不明瞭だが、この施設の、このイベントに行きたいというのはメロ本人の“意思”だ。
博士は深く息を吐いた。不安はあるが、己の意思が核となる超獣システムにも良い変化が起きるかもしれない。

「わかったよ」
「本当?」
「ただし、俺も行く。暴走されちゃ困るからな」
『え〜? ズルいズルい! アタシもアウトレット行きたい〜!』
本気なのか冗談なのかわからないが、ノーラの音声からは駄々を捏ねているような振動を感じる。これも自己学習と進化の賜物なのか。

『いいもん、メロ君の腕輪にアクセスしてやるんだから』
「お前、アウトレットで何するつもりだよ」
『アタシもお出かけしたいの! ポンコツの相手してるとマジで疲れるんだから』
「またポンコツって言いやがったな!」
何はともあれ、明日アウトレットモールに行くことが決まった。

だが、きっとそこで待ち受けているのは、決して楽しいものなどではない。
何か大きなことが動き出す。そんな予感がした。

【2】

地下研究所とは異なる場所に、ゾンビを追う者が1人。
鷹海中央署の刑事・林田はやしだ一徹いってつは集めた資料を精査して項垂れている。

林田は鷹海警察の問題児だ。

ゾンビに関する事件を追い求める男。
現に鷹海市では数年前から奇妙な事件がしばしば起きているし、パニックになった目撃者が「ゾンビの仕業だ」と証言することもある。鷹海のゾンビにまつわる都市伝説がそんな証言を後押ししているのだろう。

ゾンビが人を襲ったなどという非現実的な証言に信憑性は無い。ところが、この林田という男はそれを鵜呑みにしてしまう。「ゾンビ事件」と銘打ち、1人で勝手に捜査を進めるのだ。

一応捜査資料には目を通すし、現場にも幾度となく足を運ぶが、林田を突き動かすのは刑事の勘。絵に描いたような熱血警官だ。
彼の勘がきっかけとなり、犯人逮捕に至ったケースもあるが、それも鷹海で日々起きる事件や事故の総数に比べればほんの数件だ。

正直なところ、林田に刑事の素質は無いと思っている者がほとんど。しかし彼は古参だし、新しく就任した署長は林田より後に配属された、言ってみれば彼の後輩にあたる。表立って文句を言える者はほぼいなかった。

今、鷹海署では先日宮之華学園で起きた学生達の乱闘騒ぎの捜査を進めている。
ダンスイベントでステージに乗り出し、ダンス部員に殴りかかった3名の学生と、その乱闘に巻き込まれた学生1名が今も昏睡状態だ。
尊い若者の命に関わる事態だ。ふざけている場合ではないのだが、今回も林田は「ゾンビの仕業」だと独自の捜査を展開している。

これは重大事件。彼に邪魔されては捜査が進まない。そこで、今回は林田の見張り役として新人刑事を1人つけることにした。林田には「新人を教育してほしい」と署長から頼んである。

その林田の見張り役、池上いけがみ圭介けいすけは溜め息をついた。
「なんだ若造? 文句があるなら言ってみぃ」
「いえ、別に」
林田はゾンビの行方を追っている。この前も公園駅前で起きた事故の捜査として勝手に動き回り、政府特務機関から注意を受けたばかり。この男は懲りていない様子だ。
そんな林田の横で、池上は短くカットした前髪を指でいじって、わざとらしく溜め息をつく。

「溜め息なんかついてんじゃねぇ。幸せを逃しちまう」
「へいへい」
「んだぁ、最近の若ぇのは」
「林田さん、そういうの良くないっすよ」

池上は池上で、林田とは違うベクトルの問題児だった。大して業務に乗り気ではなく、そのクセ出世欲は強い。明らかに相手の役職、功績を見て態度を変えている。

問題児には問題児を、というのが署長……いや、鷹海中央署の多くの職員の総意であった。今回の件に協力したら、本庁刑事部の知り合いに紹介しても良いと言ったら二つ返事で了承した。

「ゾンビなんかほっといて、もっとデカい山追いかけましょうよ。都市伝説なんて考察勢に任せておけばいいんすよ」
「何だその、考察勢ってのは? 新しい班か?」
「あー忘れてください」

池上はスマートフォンをいじりながら喋っている。池上はスマホ依存症だ。暇さえあればスマホで何かを調べている。時折、ベテラン捜査員がわからない言葉を教えてくれるのは助かっているが。

そんな新人にイライラしつつも、林田は自分の考えを語り続ける。
「若造、世間ではゾンビどもの事は報道されとらんが、ゾンビは間違いなく実在する。となりゃあ、ゾンビを造った奴だっているに違ぇねぇ。こいつはバイオテロだ」
「そんな言葉は知ってんのかよ」
池上が小声で文句を言うと、林田から「何か言ったか」と顰めっ面で言われた。地獄耳までドラマの刑事のようだ。

「兎に角、このバイオテロを止めねぇ限り、鷹海の明日は無い」
「そこは“無い”なんだ。“ねぇ”じゃないんすね」
池上がダラダラとした口調で林田を茶化す。

細かいところをつつく新人にイライラしたのか、林田がデスクを叩いて池上を睨みつけた。
それで良いと捜査員達は思った。このまま林田が捜査への意欲を失くせば良い、と。

「若造! てめぇ何様のつもりだ?」
「逆に何すか」
「逆にって、何の逆だ!」
「あー、うるせー」
林田に文句を言える捜査員はほぼいないが、ここまで林田に舐めた態度をとれる刑事は池上以外にこの所轄署にいないだろう。

スマートフォンの画面を見ながら文句を言う池上。林田は彼のスマホをむんずと奪い取った。
「あ! 良いんすか、パワハラで訴えますよ?」
「何がパワフルだこの野郎!」
「パワハラですよ、パ・ワ・ハ・ラ! これぐらい知ってるでしょ、ひと昔前に話題になったんだから。あぁ、ゾンビしか頭に無いから知らないんすね!」
スマホを取られただけでこの荒れよう。流石の捜査員達も少しは林田に同情したが、面倒なので見て見ぬ振りをした。

「何だ、こんなものっ!……うん?」
池上のスマホをへし折ろうとしたが、画面に表示されている女性タレントの顔を見て林田が固まった。

「この顔、どっかで見た気がするな」
「あれ、潤羽ちゃん知らないんすか? 人気タレントの美南潤羽。今日は一日警察署長やるんすよ」
「一日警察署長。人気タレント」
「14時から鷹海アウトレットでパトロールですって。良いなぁ、俺も潤羽ちゃんと一緒にパトロールしたかったなぁ」
「アウトレット、パトロール……」
池上の言葉を小さく呟くと、林田は持っていたスマホをデスクに投げ出し、池上の両肩を押さえた。

「何すか?」
「俺達も行くぞ、アウトレットに」
「は? 何で?」
「刑事の勘だ! 俺の勘が言ってんだ、ここに行けってな!」
「そんなんで良いんすか、刑事の勘って!?」
池上が他の捜査員達を見つめて助けを乞うが、誰も相手にしてくれない。
林田に駐車場まで引っ張られて行く池上。2人の大声が廊下に響いている。

邪魔者は消えた。
捜査員達が学園乱闘騒ぎの捜査会議を始めた。

【3】

メロの“幽霊騒ぎ”から一夜明けた。

結局、彼が見たものが何だったのかはわかっていない。
メロの前に白衣の女性が現れたのは1度きりで、それ以上コンタクトをとってくることは無かった。

白衣の女性が言い残した言葉を頼りに、メロと博士は出かける支度をしていた。流石に仮面は着けて行かないようだ。
ノーラは研究所のメインコンピューターに残るらしい。人工知能が留守番。AI視点の生活をメロはまだ理解しきれていない。

『ちゃんとお土産買ってきてよね』
「そんな予算は無い」
『ケチ! じゃあせめて“アレ”着けてってよ』
「アレ?」
「あぁ。仕方ねぇな。青年、これかけろ」

博士がモニタールームのデスクから何かを取り出した。
眼鏡のようだが、右側のレンズ付近に小さなデバイスが付いている。

「度は入ってない。れっきとした監視カメラだ」
「これも博士が作ったの?」
「まぁな。詳しくは後で話す。行くぞ」
「うん。行ってきます、ノーラさん」
『宜しくね、メロ君!』
一緒に渡された専用ケースに眼鏡をしまうと、メロは博士の後を追った。

鷹海アウトレットモールは研究所から徒歩30分近くのところにある。もちろん電車を使えばすぐだが、研究所に嘗ての病院長のような資金提供者はいない。残された資金を切り詰め、時には品物を売って生計を立てている。
節約出来るところは節約。出不精の博士にとっては過酷な運動になるが仕方無い。

モールへ向かう道中、博士はメロに渡した眼鏡の説明を始めた。
この眼鏡は映像だけでなく、装着者の感覚も検知して記録する。通常の監視カメラに比べて精度は低いが、ノーラにとっては嬉しい土産になる。

体を持たないノーラは、映像を観ることは出来ても、そこにリアリティが伴わない。だからこそ、装着者の動作によるブレや周囲の雑音さえも彼女にとっては新鮮で、リアルな世界を知るための大切な鍵なのだ。

「あんなのでも助けにはなってるからな」
「博士、案外優しいんだ」
「は? 何言ってんだ」

博士の頬は少し赤くなっていた。
咳払いをして話を続ける。

「人工知能のラーニングのためだ。理想郷の管理者は人間でなくても良い」
「管理者って、ノーラさんにそんなことさせる気なの?」
「何が起きるかわからない。だからこそ、あらゆる選択肢を残しておきたい。超獣システムがこの争いを止める未来もあり得るし、お前が暴走して、世界を壊す未来だってあり得る」
前例の無いシステム。博士の言う通り、自分が自分でなくなる瞬間が来るかもしれない。メロは少し身震いした。

ここで、メロが呟く。
「理想郷、か。博士の理想郷って、どんな世界なんだろうなぁ」
博士は数秒黙った。頬の赤みは引いている。
「博士?」
気付くと、博士は歩みを止めていた。メロとの間に少し距離が出来ている。
「もう疲れたのかよ?」
メロが立ち止まったままの博士に呼びかけると、

「俺にも、わからない」

いつになく弱気な声。
研究所で口喧嘩をする声や、格好つけた声は幾度も聞いているが、こんな弱々しい声色は初めてだ。

博士は小さい声で話し続けた。
「少なくとも俺は、当初の組織が夢見ていた世界を実現させるつもりでいた。だが心の底では、幹部に対する復讐心が煮えたぎっていた。もしかしたら、他の同志も同じだったかもしれない。結局俺も、あいつら幹部と同じ……」
「博士」
メロが呼びかける。アウトレットへの近道、静かな住宅街を歩く2人。この道ではメロの声はよく聞こえた。

「早く行こう、モタモタしてられない」

言葉が出なかった。
みるみるうちに、博士の顔が赤くなっていく。
「もういい! とっとと行くぞ!」
「あっ! 何だよいきなり! 急に立ち止まったから体調悪いのかと思って。……あとさ、小さい声で何喋ってたの?」

博士の顔がまた紅潮した。
早足で歩く博士の後ろを、メロが慌てて追いかける。
「何だよ、早く行こうって。この調査だってお前の非科学的な話に付き合ってるだけで……」
「ねぇ、もう眼鏡かけた方が良い?」
「こんな茶番録画するなっ!」
そんなしょうもないやり取りをしているうちに、2人はアウトレットモールの前に到着した。

今日は土曜日。平日でも賑わっているこの施設に、大勢の客が集まっている。
広い敷地に数多くのブランド店やレストランが出店、マップが無ければ何処を歩いているのかもわからない。おまけにアウトレットは二階建になっていて、マップのどの店がどれに該当するのかも判別しにくい。

道に迷ってはぐれないよう、博士はメロに「そばを離れるな」と釘を刺した。
入口に置かれた小さなパンフレットに大まかな地図が載っているが、迷った場合はノーラに頼んで位置情報を特定してもらうことになっている。
彼女は研究所の防御システム運用にエネルギーを使っているため、気軽に手伝ってもらうことは出来ない。ノーラの手助けは最終手段だ。

「眼鏡忘れるな」
「あ、そうだった」
メロが慌てて眼鏡を着用する。レンズ自体に特殊な機能は付いておらず、スイッチが入ったのかもよくわからないが、博士曰く問題無く起動したらしい。

2人の目的は一日署長のイベント。モール全体の見回りの前に、署長の宣誓があったはず。その場所は事前にチェックしてある。

「中央の噴水の広場がイベント会場。途中にエスカレーターがある。上から噴水を探した方が簡単だ」
「あの、このタイミングで悪いんだけど、トイレ行っていい?」
「いい。いいよ。……あっ、眼鏡! 眼鏡外せ!」

博士は慌ててメロから眼鏡を預かった。この男のことだ。後で映像を見返したらとんでもないことになりかねない。
軽く手を合わせると、メロは駆け足でトイレに向かった。

アウトレットのトイレはなかなかの広さだ。
入ってすぐのところに大きな洗面台が3つ。左横に長いスペースが続き、向かって左手に小便器が10基、その反対側、右手に個室が6つある。うちひとつは親子用の広い個室になっている。
慌てて左手奥側の便器に向かい用を足す。他に客がいなかったため待たずに済んだ。

ズボンのチャックを閉めて、ベルトを巻いている、まさにその時。
突如後ろから誰かに手を回されたかと思うと、メロの体に激痛がほとばしった。

背中側、右の広背筋から胸元近くまで貫くような激しい痛み。逃れようと体を動かすと、体内でグリグリと何かが動き、痛みが広がってゆく。あまりの苦しさにメロは声も出せずにいる。

「しーっ。傷が広がるぞ」

背後から男性の声。博士ではない。首に腕を回されていて姿を確認出来ない。唯一確認出来るのは、薄手の黒い袖。感触から察するにカーディガンだろうか。腕は細いが喉を締め上げる力はかなりのものだ。

相手の声は耳元で聞こえた。
しかしメロは、人がやって来る足音も、個室のドアが開く音も聞いていない。通常の人間より感覚は鋭くなっているはずだが、物音は一切聞こえなかった。

この男、何処から現れた?

「よし、もう良いだろ」
男の声がすると、何かが引き抜かれたのか、体に鈍い痛みが走った。普段感じることの無い痛みに変な悲鳴が上がる。

「期待してるぜ、バケモノ」
相手の姿を確認しようと、上体を可能な限り起こして相手の姿を見ようとしたが、周囲に人の姿は無い。
自己再生能力により傷口が徐々に塞がる。体を起こせるようになり、立ち上がって個室もくまなく確認するが、誰もいなかった。

傷は癒えても神経はあの痛みを覚えている。体の右側に力を入れないよう、メロは妙な姿勢で歩き出す。その際、何か焦げ臭いにおいがすることに気付いた。においを辿ると、トイレの入口付近、天井に設置された監視カメラが破壊されて火花をあげていた。男が壊したのだ。

苦しそうな顔をしてトイレから現れたメロに博士が駆け寄る。
「どうした? また声か?」
「さ、刺された」
「さっ……」

一瞬息を呑む。ここは人が多すぎる。改めて、小声でメロに尋ねる。念のためノーラとも通信を開始、耳に取り付けたワイヤレスイヤホンを通して情報共有を試みる。防御システムの維持で消耗しているのか、通話に出たノーラは不機嫌そうだったが、状況を察して態度を変えた。

「青年、刺されたってどういう……」
『ええっ? 刺された!?』

思わずイヤホンを外す博士。
この事態を想定し、腕輪ではなく周囲に会話が洩れないイヤホンを使ったのだ。鼓膜が破れそうになった。

痛みも引いてきて、メロは肩で息をしながら話を続けた。
「急に後ろから手を回されて、この辺から何か刺された」
メロが示した場所を確認する。服は破れていない。傷口は塞がっているが、確かに赤くいびつな線が確認出来る。

「男だった。音も全然しなくて、立ち上がった時にもトイレには誰もいなくて」
カメラも破壊されていたと話すと、博士は舌打ちし、周囲を見渡した。
映像に残らないよう策を講じ、1人になったメロを狙う。所持品には手はつけられていない。ならば相手の狙いはメロ本人。

いつから追跡されていたのだろう。そもそも何故メロを狙ったのか。理由があるとすれば、メロが改造人間であること。それを知る者はほとんどいない。
相手は音を立てずにメロに近付き、あっという間に姿を消した。博士もトイレに出入りした人物はメロ以外見ていない。人間業とは思えない。
「まさか、あいつらの誰かか?」

旧組織の幹部。

複製した司令塔を移植し、変異した人間達。
いつメロのことを知ったのだろう。考えられるとすれば、駅前広場にやって来た特殊部隊、そして宮之華学園の客。この中に幹部、或いは彼等と繋がりを持つ者がいたということか。

「帰ろう」
と博士。切り札を幹部に知られ、しかも直接攻撃を受けた。こんな状況で動くのは危険だ。今回はメロも博士に同意し、一旦研究所に戻ることにしたのだが、

“駄目”

また女性の声。
最初に白衣の女性を見た時と同じ、脳内に響く透き通った声。

“必ず……から”

短い言葉。しかも途中何と言っているか聞こえなかった。
だが、女性はメロがここに残ることを望んでいる。ここで起きる何かを見届けろというのか、メロ自身に何かをさせるのか。

「ごめん。まだ、帰らない」
「お前正気か? 襲われた後なんだぞ!」
『そうだよ! 博士、メロ君を止めて!』
イヤホン越しにノーラが博士に指示する。

「駄目だ。あの人が、あの人が呼んでる」
「また幽霊か。そんなものあてになる訳……」
「頼む! ここに居なきゃまずい気がする!」
真剣な眼差しで博士を見つめるメロ。
彼の心の底からの言葉を聞くと、不思議と気持ちが動く。これが彼の意思だからか。

自分は甘い。
そんなことを思いながら、博士はメロの主張を聞き入れた。
『ちょっとポンコツ! 止めなきゃ!』
「死なせはしない。無茶もさせない。何かあれば俺が処理する」
いつになく真剣で、冷たい声。
あの夜。トキシム2体を銃撃から庇い、博士に叱責された日を思い出す。
楽しいはずのアウトレットモール。2人にしかわからない緊張が走った。

◇◇◇

アウトレットモール駐車場。

鷹海アウトレットモールに無理やり連れてこられた池上圭介。今は1人、林田の車の助手席でずっと待たされている。大事なものを忘れていたと言っていたが、何なのだろう。

しかしモールに来られたのは都合が良い。憧れの美南潤羽を目の前で見られる。しかも自分は鷹海署の刑事。もしかしたらお近づきになれるかもしれない。
未来の無い上司に連れられ不快極まりなかったが、流れは良い方向に向かっている。大人気タレントのことを思いニヤけていると、運転席側のドアが開いた。

「遅くなったな」
林田が用を済ませて帰って来た。手には紙袋を持っている。
「何してたんすか?」
「いやぁ、探してた物がなかなか見つからなくてなぁ」
話しながら、林田が紙袋の中から何かを取り出し、池上に見せた。
それを見て、池上は驚愕した。

「張り込みと言やぁ、あんパンだろうよ」

こいつ、やっぱり馬鹿だ。



【次回】


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