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明朝体はYoutuberの夢を見るか

俺の名は明朝体。どこにでもいる、ありふれた字体のひとりだ。眠り棒というふざけた名前の男がいて、そいつの左脳の外れにある寂れたテキストプラントで働いている。

プラントには、たくさんの部署がある。入所した字体たちは、自分の特長に適った部に配属されていく。俺たち明朝体の多くは「創作部」に配属される。小説や詩が得意だからだ。「縦書き案件」が来ると血が騒ぐ。

あの男が言葉を覚えて以来、彼の右脳が生み出す有象無象をカタチにしてきた。たいがいは役に立たないことだ。

彼が中学生のころ、あまりに恥ずかしい発注ばかり来るので、頭に来てストライキを起こしてみた。水を失った金魚のように口をパクパクさせ、布団の中でのたうちまわる彼の姿は今思い出しても笑える。

そんな労働環境であったが、ここ数年、発注が少ない。少しは休みたかったけれど、暇は暇で困る。彼が”スマートフォン”というものを手にしてからだ。何かを書くかと思えば、ゴシック体の牙城、「無機質表現部」ばかりに頼んでいる。このプラントでのあいつらの主な仕事は”呟き”をカタチにすること。毎夜ツイッターに出張しては、経費を使って呑んだくれて帰ってくる。

だいたい、ゴシック体の連中は、その身体つきからして、いかにも体育会系といった感じで虫が好かない。たまに付き合いで飲みに行くが

「明朝体は考えすぎだよ。もっと気楽に生きなよ。ホラ、飲め飲め。」

なんて、能天気な説教ばかりを垂れてくる。酔っぱらっても忘れられないことが大切だというのに。おまえらに俺の心の機微がわかってたまるか。

とはいえ、最近はどこも不景気なようで、ゴシック体の仕事も減ってきているという。これは死活問題だ。俺の夢は、小汚い工場を抜け出して、谷川俊太郎や糸井重里の晩年の作品に携わること。こんなところで足踏みするわけにはいかない。

俺は定時で仕事を切り上げ、眠り棒の眼球に向かうことにした。角膜駅は定期圏外だったが、やむ得まい。彼の様子を伺い、不況の原因を探るためだ。

***

久しぶりに外の世界を見る。昔はよく、彼の目から、彼の好きな作家の小説を読んでいた。華やかな舞台で活躍する仲間の姿を覗いては「俺も頑張らなくては」と、自分を奮い立たせていた。

そうだ。きっと彼は今「インプット期間」なのだ。右脳の経営計画がうまく運ばず、他の作品から素材を集めている最中なのだ。来たる年度末に向けて。そうに違いない。

俺の期待は、見事に裏切られた。
彼は、それこそゴシック体のように無機質な顔で「Youtube」を観ていた。

この男は昔からこうだ。せっかく想像力があるのに、疲れたり傷つくとすぐに楽なものに逃げる。そしてそれを後悔する。食生活から逃げてマクドナルドのハンバーガーを二週間食べ続け、ありとあらゆる肌が荒れて泣いたことを忘れたのか。

かつて「漫画」や「映画」がこの世界に現れた時、俺は怯えてしまった。その情報量が怖かった。今まで俺たちがしていた仕事を「絵」に奪われる。映画に至っては「音」まである。太刀打ちできない。転職しようと本気で考えたこともあった。

でも、それは杞憂に終わった。この世界から「余白」が失われなかったからだ。俺は仕事をするとき、何かをカタチにすることと同じく、カタチにしないことにも気を遣う。人間という生き物は「行間」が好きだからだ。ときには、発注ミスで偶然できた隙間でさえ、勝手に想像し補ってくれる。

俺の雇い主は、行間が大好きで、余白を見つけては荒唐無稽な想像ばかりしてきた。小汚いとはいえ、彼のプラントを作ることが出来たのもそのおかげだ。薄給だ。残業も多い。それでも俺は、彼のささいないたずらの片棒を担ぐことに誇りを持っていた。

それなのに、いったいなんだこの動画は。可愛い女の子が5分間飴を舐めているだけのこの映像はいったいなんだ。想像の余地などみじんもない。

俺は慌てて、右脳部サービスセンターに問合せた。

「お疲れさまです。創作部の明朝体です。お伺いしたいのですが、今、眠り棒はどんなことを考えていますか?」

「お疲れさまです。承知致しました。少々お待ちを・・・・・
そうですね。えー。

(きりたんぽちゃんかわいいなあ)
(音がエロい....)

以上2点になります。」

絶望だ。もう終わりだ。俺の夢は潰えた。この先どうしよう。
だいたい、きりたんぽちゃんって誰だ。あれほど恋焦がれていたあの娘はどうした。

俺は帰りの電車に揺られながら、かつて精を出した仕事のことを思い出していた。

願わくばまた、あんな仕事が出来ないものかと、雇い主の気まぐれを待ち続けている。


おわり

「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。