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不透明

先を見通す力、というのは
生きていくにあたって非常に役に立つ。
「ははーん、いまこう言う状況か。
 つまり今はこうしておけば…!」
といつでもその時の最適解を出せる。
そのため物を長い目で見れる人は
何かと人生うまく転びやすい。

ただし避けようがない大きな失態、
逃れようのない莫大な損失に
直面した時にそんな人間は1番弱い。
前もって自分に何が起きるかわかってしまうと、
やがてくる不幸さえ見えてしまう。
精神衛生的には見えていない方がいいだろう。

社会人になって半年近くが経つ。
偉い人はまるで未来でも見えてるのかってくらい
先を見据えた行動をとる。
しかし未来に割かなければならないコストを
計算するのでかなり忙しそうで、
その目はどこか淀んでいる。
「吉原くんいつもありがとう!」
なんて褒めてくれる人も、
どこか含みのある言い方から
隠しきれない何かしらへの苛立ちに
耐えているのを感じる。

僕は言ってしまえば下っ端も下っ端で、
自分の人生の先行きが何も見えない。
ワクワクは若干尽きているが、
最低限の楽観だけは出来ている状態だ。
やがて僕が偉くなり、賢さを手にしたら、
どこまで楽観できるのだろうか。
ゲームばかりして、
日々堕落して過ごし、
やるべきことややりたいことから逃げる日々。
これを正しく認識できるようになったら、
僕はどうなってしまうんだろうか。

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僕は人間という生き物は物事に対しては
元から「視力が悪い」と感じている。
知識や経験という眼鏡をかけて視力を良くして
物事を正しく判断できるわけで、
個性は注視する場所、視点として表れる。

先を見通せるようになるには
そういう眼鏡が必要だ。
自分に必要なだけの知識を
必要なだけつけなければ
度のあった眼鏡がかけられない。

僕は今、周囲がモザイクだらけだから
周りが全部AVみたいになっている。
モザイクの向こう側なんか
みんなワクワクするからまだいい。
しかしそれが取っ払われた瞬間、
それが落胆に変わるし、
期待値ばかりが上がっていると絶望にも変わる。

僕はそろそろ、モザイクを処理して
正常に物事が判断できるように
ならないといけない。
早く自分に絶望しなければならない。
というか本当だったらもっと早く
なるべきだったんだろう。
早めに人生に絶望して、
狭き希望の門を目指すべきで、
その結果や課程を愛せるように
ならなくてはならなかった。
健全な人生って、
きっとそういう物だから。

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意味のない自己内省ばかりする日々、
これがあと何日続くんだろうか。
低い視力で自分を見つめ直しても、
何もわからないというのに。

せめて祈ろうと思う。

光源が身近にずっとありますように。
何も見えなくても、
灯りだけは近くにありますように。
モザイクだらけの視点でも、
神と誤解できてしまうような
強い光がずっと僕にありますように。

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