がむしゃらさがたりない(32日目)

自分にはがむしゃらさが足りない、本気でそう思うことが多々ある。

中学生の頃だったか、ただ努力をしないで天賦の才だけでできるのがかっこいいとか言ったくっだらねえ部活の先輩の、くっだらねぇ発言が、心にいつまでもいつまでも錘が刺さったままでいる。
頭では理解している。ふざけた発言で戯けでしかないと。
だが、どれだけ否定しても心ではそれに甘えてしまっている。

そして自分は努力をしなくなった。
天賦の才があるからではない。天賦の才があって欲しいから。天賦の才がないから。努力するだけ無駄だと、心の底でどこか思ってしまっている。

先人たちが教えてくれている。
正しい努力は報われると。
でも、それでも、努力ができなくなってしまった。
努力しても、心の底で才能によって決まると思ってしまったから、努力することを諦めてしまった。

俺にそんな発言をした奴らは努力をして築き上げた何かがある。それは部活をやり通して培った。
一方で、そんなゴミグズな奴らに不覚にも学んでしまった俺は、努力をしない道を選び続けてしまった。
いつまでもできない理由を、才がないと切り捨てしまった。

頭ではわかっているのだ。
それは間違いであり、努力の方向性を誤らなければ実ると。
だが、いつまでもいつまでも、出来ない。
がむしゃらに、泥臭くてもやり続ける。そんな昔の自分になれなくて、私はいつも虚を掴む。

どこで人生を間違えたのかと本当に思う。
好きで始めた野球部と言う選択が本気で誤りだったとすら思う。何から何までわからない。

ただ、こんな誤った道を選び続けたからこそ、大好きな彼女に出会えたのであれば、この道が正しかったと証明するしかない。否が応でも、人生とはそう言うものなのだから。終わりよければ、なんて思わない。

ただ、自分が後悔はしたくないし、大好きな彼女を幸せにしたい。
そしてそこから生み出す笑顔は俺でありたい。

お酒飲んで酔っている、ちょうど良い酔いだからこんなこと書けているのかもしれないが、つまりいつも見栄を張った生き方をしているのだろう。
素のままにいきたい。なぜ生きられない?
よくわからない。
多分俺の人生は俺の描く通りには生きられない。
それでも良い。
好きな人を笑顔にするため。
世の中の人を笑顔にするため。俺は生きていく。

明日の朝俺がこんな文章を書いていることを俺は驚くだろう。引くかもしれない。
けどこれは俺が書いた文章であり、心ではこう思っている。それをわかってくれ。
馬鹿なら正直に生きろ。正直を貫き通せ。
それでこそ馬鹿なお前だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?