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親の愛を求めて自分を傷つける

私はどうやら、お父さんのことがとても好きらしいです。今でもなお。


ディズニーランドのエントランスで着ぐるみに怯え泣いた私を置いて、日が沈むまで戻らなかったあの父を

数少ない私と父が二人で並ぶ写真を、冗談半分で踏みつけたあの父を

いい成績をとっても、「図に乗るな」と答えたあの父を


私は父のことを、愛し方を知らない人なんだな、と思っています。父親自身が複雑な家庭で育ったみたいだし。「愛している」という言葉を使って、自分の欲求を満たそうとする人。自分のしたことに私(たち)が喜ばなければ、不機嫌になってしまうような人。

父親なりに私(たち)を愛していたのだと思うけれど、それはハタから見れば愛ではなく自己満足でしかない。客観的に見てそう思います。

それでも私は父を悪く言えない。父に対して怒りがわかない。なんなら「一緒に居られなくてごめんなさい」とまで思っている。


どうして父を「悪い人」にできないのか。

それは私自身が、愛されていなかったことを認めたくないからです。

父を「子どもを愛することができない人」だと言ってしまえば、子どもである私はつまり愛されなかったことになる。きっとそれが何よりも辛くて、認めたくない。

父を「子どもを愛することができない人」と認めるより、「父の変わった愛情の示し方を受け取れなかった自分が悪い」と自分を責めていたほうが楽なんです。自分を責めてまで、愛されていたと思いたい。


「二度と会いたくない」という言葉が出てきてもおかしくない環境で育ったのに、今でもずっと「実家に帰りたい」と泣くんです。帰ったところでまた苦しくなるだけなので帰りませんけど。

子どもが親の愛を求める本能って、自分を大切にすることを阻むくらい、強い物なんですよね。

これじゃあ自分を守っているのか傷つけているのか、よくわからないけれど。

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