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#17 日常的に起こる複雑性PTSDの再体験

愛着不全から複雑性PTSDになっている私ですが、その再体験(フラッシュバック)はごく日常的に起こるんだな、と感じました。

先日話したAさんBさんと三人で会話をしたときのこと。「Bさんのきつい口調にびっくりした」と簡単に触れましたが、実際には「怯えた」という表現の方があっています。

私はこのとき、フラッシュバックを起こしていたんです。

BさんはAさんが言ったことを理解しきれず、「自分にはできない、わからない」と説明を強く求めました。Aさんはそれに対しBさんがこれ以上パニックにならないように、笑いながらフォローを入れていました。

この構図は、私の両親の会話にかなり近いのです。

自身の「わからない」という感情を抱えておけず、人の説明を聞く前に先走っていろいろと質問してしまう母親。短気で説明が上手くない父親は、次々に言葉が振ってくるとパニックになり、それが怒りとして外に出る。ピリついた空気を誤魔化すように笑う母親。

両親のなかでは成立していた会話のスタイルかもしれない。だけど、私にとてはすごく不快な場面で、なんとかしようと幼い頃から仲介役をやろうと頑張っていたんですね。

お父さんが怒る前にお母さんの疑問を受け止める。お母さんが怒られないように、お父さんが理解できるように噛み砕いて説明する。無意識に行うようになっていったことだけど、そうしなければ私の不快感は解消されなかった。

不快感といえば軽く感じますが、子供にとっては「命の危機」です。家族という場所がなくなってしまえば、子供は生きていけない。両親の機嫌が悪く、いつ捨てられてしまうか、お世話をしてもらえなくなるかわからない。

「命の危機」に対して、私は自身の察する力と説明する力で生き延びてきたのです。



今回会話をしていた相手は両親ではありません。血のつながりもない、AさんBさん友達が相手。それでも感覚としては、「命の危機」。両親のもとで体験したことを、両親ではない相手との出来事のなかで再体験している。

三人での会話を終えたあと、私は愛着不全のことがわかる友達相手についさっき起きた出来事を話しているうちに、「怖かったんだ」と泣いてしまいました。ごくごく日常的な出来事のなかでフラッシュバックを起こし、心も体も衝撃を受けている。それを改めて感じました。

子どもの頃と違うのは、「怖かった」と話せる相手がいること。「怖かったね」と認めてくれる相手がいること。出来事に対し自分に起きた反応を見て、考えることができること。子どの頃に拾ってもらえなかった感情をひとつずつ拾っている作業のような気がします。



そんな出来事があったからか、その夜の夢にはしっかりと両親が登場し、翌朝になっても苦しい感覚は抜けませんでした。夢のなかでもまた再体験。正直疲れます。

でも仕方がない。出来事を通して、自分の「苦しい」「怖い」「悲しい」を受け止めていくしかない。改めて複雑性PTSDは、愛着障害はしんどいなとため息をつき、でもまたひとつ整理できた気がするなと前向きに考える私でした。


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