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ああ、「美的SM」の聖水拝受。浜劇はマゾたちの聖地だった(下)

 ライトを浴びた内山沙千佳さんに観客の視線が集まっていた。
 白いTシャツにミニスカートで抜群のスタイルだ。おさげでちょっとすねたような笑顔が愛らしい。
 へなちょこ女王様のコミカルな演技のせいか、口をとがらせてつんとした表情でも親しみやすさを感じさせる。こどものころお転婆だった近所のあの子に似ている。

 -こういう女性の聖水を飲める。

 男たちが緊張して息をのむ様子が、沙千佳嬢のリラックスして笑顔をふりまく姿と好対照だった。
 いつの間にか客席はびっしり埋まって立ち見客もいる。

 ステージ上では選ばれた2人がシートの上に上半身裸で寝ている。
 だが、沙千佳嬢はしゃがもうとしない。

 「口を開けて」
 次の瞬間ぽかんと開けた一人の男の口めがけて立ったままの放尿が始まった。

 さすがに狙いが定まらず少しこぼれる。しぶきが散ったかもしれないのに最前列の観客は身を引くことはない。

 -ああ、この方の分も飲ませたいただきたい。
 さっき春うららさんの聖水をいただいたばかりのりょうじに沙千佳嬢の名前がくっきり刻まれた。

 沙千佳嬢は位置を変えて、もうひとりの上にまたがると、また立ったままちょろちょろと聖水を放たれた。

 ファイナルは20分ほどだった。
 入れ替えなしでほぼ同じステージが繰り返されるからあと三時間待てば、沙千佳嬢の聖水を飲むというりょうじの願いはかなったかもしれない。
 だが、この日の夜、りょうじには都内で知人と会食の約束があり、断念せざるを得なかった。沙千佳嬢の立ち姿が残像として焼き付いた。女性の立ち小便をみるのも初めてだった。

 りょうじが女性の立ち小便について知ったのは「家畜人ヤプー」だった。
 サニ・スタンドと呼ばれ海外では珍しくないということだった。
 1964年の東京五輪でも設置された。
 アメリカの大学の女性トイレの写真もみたことがあった。

 浜劇を出たその夜、会食の席では刺身を口にしても沙千佳嬢の立ち姿を思い出した。わざと醤油をつけず春うららさんの新鮮な体液が混じっているような感覚を楽しんだ。
 だが、匂いを消すように盛んに酒を飲んだりもしていた。
 もちろん知人はそんなことは知るはずはない。社内のコンプライアンスの話をしている。
 「ああこの場を離れて変態に戻りたい」
 りょうじは会食も早々に切り上げ、あすの札幌に戻る飛行機を最終便に変更すると、また「浜劇」に向かったのだった。頭はすっかり変態に切り替わっていた。

 2006年6月3日の日曜日も暑い日だった。
 浜劇での美的SMは2005年4月の第一弾から2008年6月の第五弾最終公演まで3年で終わった。その日は第三弾の3日目だった。

 きのうと同じステージが続きファイナルは3時過ぎからだった。
 何人かの女王様がいるのに内山沙千佳さんしか目に入らない。
 女子十二楽坊の「阿拉木汗(アラムハン)」が頭の中では鳴り響いていた。

 沙千佳嬢の太ももが健康的なオーラを放っている。体の線にたるみがない。
 りょうじは真っ先に手を上げたつもりだった。
 だが、ほかにも3人がほぼ同時にあげている。
 一条さゆりさんがりょうじともう一人を選んでくれたのは、二日続けて最前列の同じ場所に座ったからかもしれない。

 ステージに上がって服を脱いで二人は並んで仰向けになった。
 「どんな味がするのだろう。この口にたっぷり注いでいただきたい」
 二人とも同じ思いだったろう。
 沙千佳嬢が脚を開いて顔の上に立つのをひたすら待った。

 だが、なかなか沙千佳嬢の股間は現れない。
 「水分しっかりとってなかったから出ないみたいなの。代わりでいい?」
 別人の声だった。

 ほぼ一日待ったのに。聖水をいただけない。
 選ばれてここにある幸せをかみしめたのは一瞬で、いきなり変態の夢は破れた。

 「どうする? やめる?」

 一座のナンバーツーだった美麗さんだった。
 大人の女王様には有無をいわせぬ響きがあった。

 「いえいえ。いただきます。ぜひ。お願いします。ぜひ」

 美麗さんは腰をしっかり下ろす。反応するようにりょうじは大きく口を開ける。
 「じょーーー」
 実に上手に、だが勢いよく放尿される。
 ちょっと苦いが温かい。
 加減して、ときどき止めては、飲み干すのを確認してたっぷり注ぎ込んでくださった。
 「シャー。シャー」
 「きのうの夜ビール飲みすぎたから、苦いかも」
 りょうじの口の周りをしっかり拭いながら微笑んだ。

 腹が、がほがほいうほど多量だった。
 しっかりおしっこの匂いもした。
 だからだろうか、拭ったティッシュはちょっと不潔な感じがした。

 -女性のおしっこを悦んで飲むなんて。しかも大勢が見ている前で。

 あらためて、自分の変態ぶりを自覚した。
 浜劇は、変態とそれを受け入れてくれる女性たちがつくる小宇宙だった。
 今のように自分の性癖をSNSで簡単に伝えあって交際が始まるようなことがなかった時代には、夢の世界だった。

 今もときどき思う。
 もしあのとき沙千佳嬢の聖水をいただいていたら夢からさめなかったかもしれない。

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