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祈祷師アンゲラ/6話

祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【6話/透明の兵站】

――31――

ぽたり、ぽたり。物干し竿にかけた黒装束から、水が地面に滴り落ちる。
アンゲラは溜め息をこぼすと、刺青を隠すように灰褐色の粗服をまとった。
それでも、無防備な顔……その頬や顎を彩る蔓草模様までは、隠せない。

「へッ……へッ……へくしゅッ!」SPARK! くしゃみ共に、盛大に放電!
「ひぇッ!?」ウーズラ驚愕! 咄嗟に顔を両手で庇い、燭台を放り出す!
翠色の燐光! おお見よ! 燭台が……直立したまま、宙に静止している!

CLAP! アンゲラは訝しむ顔で紫電を閃かせ、左手で鼻水を拭った。
「あッ……あーッははは! やっだァもう! 驚いちゃって、つい!」
ウーズラは身体から燐光を放ちながら、バツが悪そうに笑って誤魔化した。

「これがあたしのまじないってワケ。あんたのほどハデじゃないけどサ!」
ウーズラは黒服の懐をじゃらつかせると、薄汚れた銅貨を数枚取り出した。
空中で静止する燭台。その燃え続ける炎の上に、1枚の銅貨を”立てる”。

彼女は片手を翻し、銅貨の上に銅貨を……何枚も、縦に積み重ねていく。
ウーズラが空中の燭台を手に取った。銅貨の塔は静止したままだった。
「ま、あたしができるのは? こんな子供騙しの手品が関の山ってとこ」

CLINK!CLINK!CLINK! 翠色の燐光が消えた瞬間、銅貨の塔が崩落!
「所詮は宴会芸よ。小隊(ここ)は化け物で一杯だから……あんたもネ」
ウーズラは片手で銅貨を受け止め、自嘲気味に肩を竦めてウィンクした。

――32――

日没。黒服の祈祷師たちが、あばらの一軒に集まる。夕食の時間だ。
「見てよあれ……」「気持ち悪い……」「あんなのがベアトラム様を……」
黒服たちは、粗服姿のアンゲラを遠巻きに見て、冷ややかに言葉を交わす。

CLAP!CLAP!CLAP! 壁際の一角で、降り積もった塵芥が放射状に退く。
アンゲラだ。彼女は自分のスペースを開けると、大部屋の隅に腰を据えた。
木の器に配給された食糧は、クズ芋と雑穀の粥。一口食べると、土の味。

(マズい……噂通り、酷い所ね。食えるだけマシ……食べないと……)
アンゲラは疲弊を無表情で押し殺し、家畜の餌めいた食事を口にした。
「何よ新入り、こんな隅っこで一人飯?」横柄な口調で歩み寄る人影。

“水使い”ナタリー……美貌の女が、アンゲラの眼前で傲然と見下ろす。
「平気で食べるのね。こんな酷い飯、農民だってそう食べやしないわ」
ナタリーは冷笑して吐き捨てると、アンゲラの隣に腰を下ろした。

CLAP!CLAP!CLAP! アンゲラの頬の刺青に、威嚇的に紫電が閃いた。
「いかしたお絵描きね。顔の布はそいつを隠してたわけ? 健気なこと」
アンゲラは木のスプーンを握る手を止め、ナタリーの顔を横目に見た。

「泣けるじゃない。大手柄の“英雄様”が、今じゃみんなして腫物扱い」
「構わない……別に。手柄を見せびらかしたいわけじゃない……」
「おまけに声まで酷い」アンゲラは挑発を無視して、灰色の粥を貪った。

――33――

夕食後。団欒する黒服たちを遠目に、アンゲラは壁の隅でもたれていた。
修道院に紛れ込んだ宿無しの物乞いめいて、身じろぎ一つしなかった。
スゥ……ハァ。スゥ……ハァ。目を閉ざし、雑念を払って深く呼吸する。

「よう、新入り……いや、アンゲラ。ようやく解放されたぜ……ン?」
ベアトラムが歩み寄って語り掛けるが、彼女は無言の瞑想を貫いた。
スゥ……ハァ。呼吸を深めるごとに、身体から翠色の燐光が溢れ出す。

アンゲラの脳裏に経文めいた祈りが巡り、座禅めいて精神を練り上げる。
暗闇に星月が巡る。天地神明に思いを馳せ、大地と繋がることを意識する。
それはクウォイラ人の、高位の祈祷師が鍛錬として行う精神統一だった。

あばら家の大部屋の片隅で、超自然の光の粒子が蛍めいて、宙を舞い踊る。
ベアトラムに無数の光の粒子が触れると、熱さや冷たさを異なって感じた。
まるで彼女の周囲の空気が、一つの生物めいて呼吸しているようであった。

アンゲラは沈思の中で深い安息と高揚に包まれ、一種のトランス状態。
「こりゃあ、噂に聞く瞑想ってヤツかい。見るのはあたしも初めてだ」
背後の声にベアトラムが振り返ると、ウーズラが笑って肩を竦めた。

「何でこいつが、そんなことを」「さぁね。只者じゃないのさ、きっと」
ウーズラは焚火にでも当たるように、溢れる翠色の燐光に両手をかざした。
そんな彼女らの光景を、背後から無数の凍てついた眼差しが見つめていた。

――34――

暗黒の虚無を漂う乙女。永遠めいた真空の無音。アンゲラは夢を見ない。
或いは、闇のような無の光景だけが、彼女の見る唯一の夢とも言えた。
目を開く。早朝。雑魚寝で睡眠を貪る、数多もの祈祷師(おんな)たち。

新人の朝は早い。水汲みだ。小隊の生命線たる水汲みは下っ端の仕事だ。
村には共同の水場があったが、クウォイラ人は使うことを許されない。
故に彼女らは水を求め、数キロ離れた森の泉に行くことを余儀なくされた。

朝靄の山道に、白い息。水瓶の天秤が列を成す。背負うは黒服の乙女たち。
フィアナ、ローラ、ツェツィエリャ。歩くは入隊して数年の下っ端ばかり。
粗服のアンゲラが最後尾に続く。泉を目指す一行に、会話は無かった。

出発から40分。集落から延々伸びる砂利道を外れ、鬱蒼とした森の中へ。
両脇に枝葉が迫り、徐々に勾配が下る険しい道を、更に歩くこと15分。
……唐突に森が開けた。泉だ。透明度の高い、巨大な水溜りが姿を現した。

黒服たちが天秤を下ろすと、一人二人と深い溜め息をこぼした。
「本当は明日行くはずだったのに、どっかの馬鹿が水をバラ撒くから」
新人の頭……体格の良いローラが、アンゲラを見て恨めしげに言った。

恰幅の良いフィアナ、背の低いツェツィが、無言でアンゲラを睨む。
アンゲラは天秤棒を担いだまま肩を竦め、泉のほとりに歩み寄った。
湧き水だ。清潔さに疑問の余地はない。恐らくは、村の井戸水よりも。

――35――

「あたしのも頼むよ、新入り」「私のもお願い」「私のも入れてよね」
ローラの言葉を皮切りに、フィアナとツェツィも作業を押しつけた。
ささやかな新人いびり。それは彼女たちなりの、先輩の意地でもあった。

アンゲラは自分の水瓶に水を満たすと、無言の呆れ顔で溜め息をついた。
「何だい、その面は! 先輩の命令が聞けないっていうのかいッ!?」
「そうよ! ちょっと手柄を取ったくらいで、いい気にならないでよね!」

アンゲラは地面に天秤を下ろすと、何も言わずに彼女たちに歩み寄る。
「何だッ、やる気かッ!?」構えるローラを無視し、彼女の天秤を担いだ。
意外に素直に従ったアンゲラに、ローラたちは驚いて顔を見合わせた。

(馬鹿馬鹿しい……下らないマウント……いい気になってなさい……)
アンゲラは天秤の水瓶を持ち上げようとして、その重みに訝しんだ。
持ち上がらない。おかしい……いや、おかしいのは水瓶の『大きさ』だ。

(馬鹿だね。そいつは、あたしの祈祷が無きゃかなりの重労働のはずさ)
ローラはしてやったりの笑みで、フィアナとツェツィに目配せした。
彼女は『重力遮断』の祈祷の遣い手だったが、アンゲラは知る由もない!

アンゲラは腰を据え、奥歯を食いしばると、天秤棒を必死に担ぎ上げる!「ったく、いつまでかけるつもりかねぇ。これじゃ日が暮れちまうよ!」
ローラの言葉に、背の低いツェツィと恰幅の良いフィアナが嘲笑する!

――36――

迂闊! 安請け合いしたアンゲラは、重荷を背負って慎重に歩みを進める!
「ほらほら、早く持って来い!」「どうしたどうした!」「早く早く!」
悪辣! ローラたちは手を叩き、ここぞとばかりにアンゲラを囃し立てる!

異変を真っ先に察知したのは、フィアナ。彼女の人並外れた聴覚だった。
ガサッ。ガサガサッ。レーダーめいた聴覚が、藪をかき分ける音を捉える。
「……何ッ?」フィアナは翠色の燐光を放ち、音源の方角に振り返った。

フィアナの嘲笑が凍りつく。彼女は声を詰まらせ、震える指で指差した。
「あッ、あッ……あれッ!」「何よ、フィアナ」「何だ、どうした?」
G……GROOOOOWL……」体長2メートル近い野犬……否、それはだ!

唖然、呆然、そして沈黙。ガシャリ……重みに耐えかね、下ろされる天秤。
キャーッ!?」「ウワーッ!?」「イヤーッ!?」三人は一目散に逃亡!
アンゲラは彼女らが全力疾走で逃げ出す様を、怪訝そうに視線で追った。

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」荒い息をつき、おもむろに振り返った。
視線の先に、。アンゲラは、自分の置かれた状況を即座に理解した。
CLAP!CLAP!CLAP! 翠色の燐光と共に放電! 狼はなおも歩み寄る!

狼がよろめき、低く唸った。アンゲラは訝しんだ。もしや、手負いか。
仮にそうだとしても、徒手空拳ではこの巨獣に勝る人間などいない!
G……GROOOOOWL……」距離5メートル……立ち止まる狼……どうする。


【祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【6話/透明の兵站 終わり……次回に続く】

From: slaughtercult
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