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カミ様少女を殺陣祀れ!/18話

【目次】【1話】 / 前回⇒【17話】

少年・臨は血の滾りに身を委ね、隠ヶ平山中を彷徨い続けた。猪に逢うては猪を殺し、鹿に逢うては鹿を殺し、熊に逢うては初め敗れて遁走し、潜伏し再び対峙して相打ち、手負いを追って三度対峙し、遂には熊を調伏す。


満身創痍で歩く黒熊の頭上、木立の茂みから飛び降りた臨の貫手が、背筋を貫いて心臓に達すると、熊は隻眼の顔を仰け反らせて断末魔を響かせた。
隻腕の臨は暴れ馬を御するように、悶え狂う熊の背に跨ると、分厚い背中に埋めた右手を一本釣り漁が如く撓らせ、鮮血と共に心臓を引き抜いた。
カミの血を分けた少年は心臓を食し、隠ヶ平の主に相応しい残虐な眼差しで四方を見据えて咆哮し、森の王者の称号を今日限り、熊から剥奪した。


藪を進み、礫がちの斜面を下れば、隠れ沢。沢辺の茂みに埋もれる苔むして風化した石たちは、山の民・祭祀者タキ一族の、忘れ去られた墓石群。
臨はそれとは知らず、先祖の墓石を踏みしだいて沢に降り、壮絶な血汚れを洗い流しては、清水で喉を潤した。気配を覚えて仰ぎ見れば、翠色の燐光が一面の林間を飛び交っていた。葬沢に眠る、先祖の御魂たちだった。
夜の闇に満ちた森、翡翠の御魂が蛍火めいて躍る。臨は導かれるように光を追って歩き、山中を巡った。木々のあわいで、無数の動物たちが息を潜めてその様を見守っていた。今や、彼の歩みを妨げるものは無かった。


点在する巨木や古木、朽ち果てた祠、屹立する巨岩、荒れ野、静かなる泉、滴の落ちる岩窟。歩き、歩き、歩き……辿り着くは、隠ヶ平山頂。
峻烈たる寒風が吹き荒ぶ、切り開かれた大地。祭祀場を思わせる、荒々しく削られた岩盤に臨は腰を下ろすと、夜明け前の空に舞う雲海を睨んだ。
吹き荒ぶ荒涼たる冷気が全身を貫き、身体の感覚は消失し、ただ世界の中に自分だけがあった。臨は瞑目し、心身を大地に委ねた。苛烈なる自然の中に声なき祖霊の導きを感じ、閉じた瞼の奥に、心の目が開かれた。



星が瞬き――雲が靡き――月が隠れ――
黒より藍に――藍より山吹に――山吹より橙へと――
天上は刻々と移ろい――次第に色味を変え――燦爛たる白光が現れ――


臨は微かな温もりを覚え、目を見開いた。視界に広がる山々、連なりうねる稜線の翳りの奥底より、絢爛たる光芒が立ち昇った。……夜明けだ。

――――――――――

人々の寝静まる夜明けのブドウ畑に、大排気量Ⅴツインエンジンの排気音を轟かせ、瀟洒な黒塗りのクルーザーバイクが、日の出を背負って現れた。


桔梗野稲荷神社。祭神の玄蕃丞子(自称)は、いつものようにワイン片手に銅板屋根へと座り、神使たる鬼火狐たちと、明け方の空を見上げていた。
「ふわあ……こんな朝早くからお客さん? 御精が出ますことね全く」
畑道を走るバイクを遠目に、丞子は狐を撫でながら他人事めいて呟く。
バイクは鳥居の前に停まると、その乗員……筋骨隆々たる巨躯に革ツナギをまとった、鹿島大明神が悠然と降り立ち、木々の向こうに拝殿を睨んだ。
「な、なな何よッ!? 何か鳥肌が……ヤな予感ッ!?」 
鹿島神の影は生い茂る木々に隠れ、丞子と目が合ったわけではなかったが、彼女は何か強大な気配を敏感に察知して、狐のように身を屈ませた。


「おぅ――い! ここの神よぉ――! いるかァ――!」
想像より5倍は大きな野太い声が、近所迷惑も憚らず、大鐘を撞いたように辺り一面の空気を震わせ、振動は本殿から屋根上の丞子たちにも伝わった。
「バッカじゃないの!? 居るって聞かれて誰が答えるかこの気違い!」
丞子は冷や汗を流して銅板屋根に這いつくばり、捲し立てる。鬼火狐たちは恐れをなし、丞子のゴスロリ衣装のスカートの中に頭を突っ込んで隠れた。
「アヒャヒャ、お前らやめろ、くすぐったいんじゃこのアヒッ、アヒヒ」
「いるかァ――! 神よぉ――! かぁ――みぃ――!」
「うるせぇ近所迷惑考えろ、どこのトンチキだ後で絶対呪ってやるからな」
丞子が愚痴をぶち終わるより早く、衝撃音と振動が全身を震わせた。
鹿島神が蹴りを入れたのだ。拝殿の柱を支える、コンクリートの土台に。
モルタルの足回りに亀裂が走り、本殿全体が数ミリほどずれた。


鹿島神は2メートルを超す巨体で腕組みし、唸って無精髭を撫ぜる。
「やっべ、ちっと壊しちまった。まいっか……」
「いいわけないだろーッ! こンの大馬鹿モンがーッ! 弁償しろーッ!」
ワインの空き瓶を投げ捨て、夜明けの空に丞子が叫び、四つ足で跳躍した。スカートがはためき、鬼火狐たちがこぼれ落ちて宙を舞う。
我が意を得たりと笑う鹿島神の前に、丞子がゴスロリ衣装でヒーロー着地を決めると、狐たちも自在に身を捻っては、彼女の背後に次々と着地した。
「へっへへ……いるじゃねえか、神。素直に出てくりゃいいんだよ」
「お前ーッ! 人ん家に土足で蹴り入れるたぁどういう神経してんだ!」
丞子が巨体を見上げて指差すと、鹿島神は少年のように悪戯っぽく笑った。
「悪い悪い。生憎だが俺は、ミナカタほどお優しくはなくってな……」
鹿島神の口調は冗談めいていたが、声にはドスが利いていた。


丞子の額を冷や汗が伝う。彼女は訝しみ、指差したまま一歩後退った。
「ミナカタって、建御名方命のこと? あんた、一体あいつの何なの?」
「何、俺は留守番さ。ミナカタ坊がちっと出雲に里帰りするってもんでな」
「あんたモグリ? 噂じゃあいつ、諏訪から一歩も出られないって話よ」
「あぁそうだ。俺と約束した。だが俺が許した。だからヤツは行った」
鹿島神がニィと笑って一歩踏み出すと、丞子は奥歯を噛んで一歩下がった。
「何をゴチャゴチャと……あんた一体……」
鹿島神は呆れた様子で立ち止まり、両手を開き肩を竦めて見せた。
「おめぇよ。さっきから大人しく聞いてりゃ、あんた、あんたって……」
丞子が油断した次の瞬間、鹿島神の巨体が残像を曳き、丞子に突っ込んだ。
「この鹿島大明神……建御雷様に対して、頭がたけーんじゃねえかァ?」
丞子は余りの速さに驚愕して身動き取れず、気づいた時には後頭部を掴まれ引き倒され、境内に五体投地し、玉砂利に顔面でキスさせられていた。


鬼火狐たちが一斉に吠え猛り、鹿島神めがけて続々と飛びかかった。
酷薄な眼光を湛えて獰猛に笑う鹿島神、その片膝立ちで丞子を押さえつける手足や肩に、首筋に、鬼火狐たちが果敢に食らいついてぶら下がった。
「諏訪神だの鹿島神だの……この桔梗野の玄蕃丞子様には関係ないわよ……」
砂利を食いながら、くぐもった声で丞子が話すと、彼女の頭を押さえる手に力がこもり、砂利と骨がメキメキと音を立てて軋んだ。
「そうはいかねえな。日ノ本の遍く神は、天照大神の管轄下にあるんだ」
狐たちを振り払いながら鹿島神が立ち、今度は片手で丞子を吊り上げた。
「管轄違いよ! だったら稲荷神でも連れて来なさい、この馬鹿!」
「へッ、口の減らねえ女だな……」
鬼火狐の一頭が、鹿島神の邪悪な笑みを浮かべた顔面めがけて飛びかかる。
鹿島神は片手を閃かせ、狐の尻尾を捉えて難なく掴まえ、宙づりにした。


「「「ギャア! ギャア! ギャア!」」」
片手に丞子、片手に狐を掴んだ鹿島神の周囲を、鬼火狐たちが駆け回りつつ威嚇して鳴き喚けば、鹿島神は白けたように顔を顰めた。
「ほぅら掴まえた、この悪戯狐め!」
「ケーン! ケーン! ケーン!」
「ちょこまかと鬱陶しいケダモノめ、こうしてやるぞ……そぅらッ!」
鹿島神は、尻尾を掴んでぶら下げた鬼火狐を、頭上に掲げてハンマー投げのように遠心力をつけて振り回し、凄まじい勢いで投げ飛ばしてしまった。
「ケ―――――ンッ!?」
狐の悲鳴が一瞬で遠ざかり、遥か彼方の山向こうまで飛んで星になった。
仲間の狐たちが驚愕して飛び下がり、丞子が放り出されたのが同時だった。


「参りました」
腕組みして立ち尽くす鹿島神の前に、丞子と鬼火狐たちが土下座した。
「この鹿島大明神の目ん玉が黒いうちはよ、この『国』じゃ悪さはさせねぇからよ、精々大人しくしてるんだな、とっちめられねぇようによ!」
「ハイ全く仰る通りでございます……チッ」
「ハーッハッハッハッハ! 分かれば良し!」
鹿島神は呵々と笑って大きく頷くと、踵を返して一歩二歩と踏み出した。
「このクソ野郎……帰り道に、ダンプカーで跳ね飛ばしてやる」
丞子が面を上げ、鹿島神の背中に小声で呟くと、鹿島神が振り返った。
「ぁハイィ!? 何でもございませんことよオホホ!」
「そうだ! えーと稲荷神の管轄って、宇迦之御魂様だったかな、それとも豊宇気毘売様? まーいいや、ともかく主神への礼を欠かさんようにな!」
鹿島神は大鐘のような声でそう言い残すと、バイクに跨り走り去った。

――――――――――

隠ヶ平の麓、神事邸。床の間に布団を並べ、奈々枝と麗奈の母娘が眠る。
麗奈は眠りながら顔を顰め、母から逃げるように身を捩っていた。奈々枝は凄まじい寝相の悪さで掛布団を乱れさせ、大きな鼾をかいて眠っている。
麗奈はたまりかねて目を開け、腹の上に乗っかった母親の片腕を退けると、寝間着姿にげっそりした表情で起き上がり、床の間を抜け出した。
「もー毎日これだよ、マジ勘弁……お兄ちゃんの部屋で寝ようかな」
障子を開けて居間に歩み出て、寒々しい空気に震えた次の瞬間、轟音と共に右手の廊下を隔てた障子を突き破り、何かが居間へと飛び込んだ。
「……ハ? 何、夢?」
麗奈は目を擦って瞬く。破られた障子戸から、外の冷気と夜明けの陽射しが射し込み、卓袱台の残骸の上で何かの物体を青白く輝かせていた。
「ケーン……」
青白い物体はもこもこの毛皮を蠢かせ、弱々しく鳴いた。丞子の鬼火狐だ。

――――――――――

餃子将軍 SHINGEN 南那井店。昼時の中華料理屋は、トラックドライバーや地元民、観光客などで大いに賑わっていた。
「はぁいお待たせしました~、キムチ炒飯とシソ餃子のぉ……」
「エーッ!? そんなの頼んでないよ! 八宝菜定食って言ったじゃん!」
ツナギ姿の兄ちゃんが大声で言うと、エプロン姿の奈々枝が狼狽えた。
「ハヒイッ!? エーンモーンやだぁ~ッ! 何でよぉ~ッ!」
「何でってそりゃこっちのセリフだよ、もーう店長ーッ!」
八宝菜定食を乗せた盆を抱えた矢彦沢が、そこに笑顔で駆けつけた。
「ハーイごめなさい、ごめんなさいねお兄さん、こちら八宝菜定食です!」
「はい、どうも。この人、向いてないんじゃないのこの仕事?」
「本当にスイマセン、まだ入ったばかりで慣れてなくて、ごめんなさい!」
矢彦沢が奈々枝に、キムチ炒飯の客を身振りと視線で示すと、奈々枝はまだぶつぶつと愚痴を垂れながらも、盆の料理を持って行った。


「あーんもう、またドジっちゃった……ホントあたしったら」
「九法さん、また注文間違えたの。もっと真剣にやってくれなきゃ困るよ」
厨房で中華鍋を振る、禿頭の料理人にして店主・陳さんが呆れて言った。
「ごめんなさーい……私悪い子なんですグスッ、おーいおいおい」
「大丈夫だって、ナナさん! 誰でも最初は間違えるから! ガンバロ!」
矢彦沢が奈々枝の肩を叩いた。39歳独身は何時になくウキウキだった。
「もう、ノゾムくんのお母さんって言うから信用して入れたのに……」
「陳さん、まぁいいじゃない! 直ぐに慣れてくれるって!」
「トシくん、鼻の下伸ばしてる暇あったら働いて、はい海鮮炒飯!」
「はいはい了解、海鮮炒飯いっちょおーぅ♪」
陳さんは浮かれた矢彦沢を見て溜め息をつくと、頭を振って野菜を刻んだ。


時を同じくして、店外の駐車場に走り込む、一台の赤いジムニー。
「ほーらココちゃん行くわよ、腹が減っては戦はできぬ、ってね!」
「行きたくね……」
「もーういつまで言ってんの! ホラ行くよ! ホラホラ!」
茶色がかった長い金髪を振るって、運転席から太眉眼鏡の瑞希が降り立ち、助手席のドアを開いて、アシンメトリー銀髪の心を引きずり出した。
入店する二人に少し遅れて、南那井駅方面から走る自転車。
「何も音沙汰ないけど……まあ一応、寄ってから神社に行こっかな……」
三白眼のパッツン髪で、日本人形めいた少女・切子が自転車から降り立ち、餃子将軍の自動ドアへと吸い込まれるように歩いて行った。
ここは昔ながらの宿場町、塩尽市南那井。宿場町の側を、餃子将軍の足元を流れる南那井川を遡った先には、霊峰・隠ヶ平の山が聳えていた。


【カミ様少女を殺陣祀れ!/18話 おわり】
【次回に続く】

From: slaughtercult
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