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祈祷師アンゲラ/10話

【祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【10話/銃後の思惑】

――55――

恰幅の良い老婆・ローザリンデが、白装束を揺らして観音扉を開いた。
並び立つ木の長椅子に臥せる傷病兵たちが、救いを乞う眼差しで見上げる。
礼拝堂の戸口に立つローザリンデの背から、後光めいて陽射しが煌めいた。

「先生……ローザリンデ先生ィ!」「痛ェッ、痛ェよう……お慈悲ィッ!」
祭壇に至る通路を悠然と歩く両脇で、傷病兵たちの苦悶が漏れ聞こえる。
彼らは低練度の治癒祈祷で『仮処置』された、緩やかに死に向かう囚人だ。

ローザリンデは礼拝堂の広間を抜け、祭壇横の扉をくぐって小部屋に入る。
手狭な部屋には治療道具が溢れ、白装束たちが忙しなく行き来していた。
20歳ぐらいの風貌の若い祈祷師が、ローザリンデの元に恭しく歩み寄る。

「先生。逓信役より、急ぎご報告申し上げたいことがある旨、言付けを」
ローザリンデは穏やかな顔に眉根を寄せ、一瞬だけ鋭い表情を見せる。
「報告ありがとう」彼女は若い祈祷師の肩に手を置き、柔和に微笑んだ。

小部屋の隅に備え付けられた、檻めいた鉄籠……手動エレベーターだ。
礼拝堂の上層階に繋がる、限られた祈祷師しか搭乗を許されない設備。
CLANK!CLANK!CLANK! ローザリンデが鉄製の安全柵を引き開ける。

CLANK! ローザリンデはエレベーターに乗り込み、壁際の伝声管を開く。
「私だ。屋根裏まで頼むよ」彼女が告げると、エレベーターが揺動した。
DING-DONG!DING-DONG! 滑車が回り、エレベーターを吊り上げる。

――56――

CLANK! エレベーターが停止し、ローザリンデが屋根裏部屋に降り立つ。
頭上を圧迫する天井の低い空間には、乳香の厳かな香りが立ち込めていた。
部屋の中央に長机。控える祈祷師は、ローザリンデの腹心の部下ばかり。

ローザリンデは、下っ端には見せない顰め面で、部屋を大股で闊歩した。
「「「お疲れ様です、先生」」」白装束らは席を立ち、恭しく頭を垂れる。
ローザリンデは平手で座るよう示し、自分も大儀そうに椅子に腰かけた。

を使いましたね、先生」盲目の少女・クラーラが出し抜けに告げた。
地獄耳は何でもお見通しだね」「見えないのにお見通しとはこれいかに」
ローザリンデの皮肉に、クラーラの隣で田舎美人風の女性が気安く言った。

「それで? イゾルデ、あんたは何を見た。急ぎの要件ってのは余程だね」
イゾルデはあばた顔でへらへら笑うと、ぞんざいに足を組んで肩を竦める。
CLICKETY-CLACK!CLICKETY-CLACK! 横ではタイプライターの打鍵音。

「えぇ、まぁ……ちょっとした光景ですよ。国境に列を揃える軍隊、とか」
イゾルデは波刃状になった親指の爪を噛み、宙を見上げ譫言めいて告げる。
「ラグランジェの軍勢か。正規軍かい」「軍隊の見分けなんかつきません」

CLICKETY-CLACK! 眼鏡の三つ編み女が、タイプライターの手を止める。
「イゾルデ、その音止めて。癇に障るのよ」書記担当のフランツィスカだ。
「ヘッヘヘ……神経の細やかなヤツだねぇ。癖なんだよ、仕方ないだろう」

――57――

その時、ローザリンデが碧色の燐光を放ち、前触れもなく拳を上げた。
WHOOSH!
 剣呑な空気音に、俯いたクラーラがビクリと肩を震わせる。
「気味の悪いヤツだね。無言で背後に立つなと、いつも言ってるだろう!」

「バレちゃった」次の瞬間、ローザリンデの背後に……人型が実体化した。
褐色肌と長い黒髪。白装束を纏うのは、クウォイラ人と見紛う風貌の女。
ナディヤ。稀有な不視化の祈祷で汚れ仕事を行う、ローザリンデの懐刀だ。

「最近、仕事が無いから詰まらないわ」ナディヤは悪びれる素振りも無い。
「お前の話は後だ。イゾルデ、あんたが国境の軍隊を見たのはいつだい」
「つい先程」イゾルデは爪を噛む動きを止め、ローザリンデに顔を向けた。

ローザリンデは鼻を鳴らし、椅子に体重を預けて残忍な笑みを浮かべた。
「ヒヒヒ、また山のように死人が出るね。死人……全くいい響きだよ!」
CLICKETY-CLACK! フランツィスカがタイプを終えて、紙を取り出した。

「先生、『血盟団』から逓信です」フランツィスカが数枚の紙を差し出す。
「全く口うるさいヤツらだねぇ……クソッたれの”毒竜”どものクセして……」
ローザリンデは親指を舐め、念話連絡が打鍵された書面をめくって眺めた。

「ハンッ! フランツィスカ、これを聴いてよく真顔でいられたもんだね」
「別に、私が死ぬわけじゃありませんから」フランツィスカが肩を竦める。
「いよいよこの村も終わりだね……村人や軍人には、全く気の毒な話さ!」

――58――

村の外。雪交じりの植生に覆われた丘陵の大地。なだらかな窪地には、屍。
幾層にも積み重なった死体の底には、黒灰の残渣と骨が見え隠れしている。
窪地を切り取るように雑草が禿げ、土手に灰褐色の地面がむき出していた。

丘陵に風が吹けば、黒の灰燼を巻き上げる。窪地の際に、並び立つ黒装束。
一際背高の黒装束……ベアトラムが、窪地の底で翠色の燐光を放って歩く。
冷たい肌。どす黒い血。腐った内臓の臭い。そして、死体たちは発火した。

脂肪の焦げる臭い。屍が薪めいて爆ぜ、裂けた体内から炎が噴き出す。
燃え盛る炎を背に、ベアトラムが窪地を昇る。彼の野性的な顔は険しい。
超自然の炎は屍を薪に、窪地を覆い尽くさんばかりに超自然の炎を上げる。

「バーベキューって知ってるかい」ウーズラが口角を吊り上げ、嘯いた。
隣でアンゲラが怪訝に眉を顰めると、ウーズラは腕組みして鼻を鳴らす。
「新大陸じゃ、露天掘りに焚火して、その上で肉を焼いて食うんだとさ」

立ち昇る黒煙。澄み切った青空はやがて雲が垂れ込め、粉雪が降り始める。
空気は乾き、吐く息は白い。殺風景な大地に、黒装束が列を成して進む。
感慨も達成感も無い戻り道に、空の荷車が砂利道を転げる音が淡々と響く。

正午を2時間ほど過ぎて帰りついた時、村は俄かに喧騒に包まれていた。
黒装束たちは淡々と荷物を片付けると、拠点のあばら家に戻っていく。
自分たちができることは、任務を待つことだけだと、彼女らは知っていた。

――59――

あばら家を出ようとするアンゲラを、背後からウーズラが呼び止めた。
「待ちなよ、どこ行く気だい」「仕事が無いので、少し村を見て回ろうと」
ウーズラは一瞬糸目を見開いて唖然とすると、溜め息と共に頭を振った。

「クウォイラ人が外を出歩けば、碌な目に遭わないのは目に見えてるよ」
馬鹿にするようなウーズラの言葉に、アンゲラは含み笑いで肩を竦める。
ウーズラがおもむろに視線を移すと、アンゲラもそちらの方向を見遣った。

別のあばら家の前に、普段着姿の女。黒褐色の髪を後ろでまとめている。
確か、名前はブリギッタ。リンドバーグ人と見分けのつかない容姿だ。
玄関の前で仲間が引き留めるも、彼女は素知らぬ顔で歩き去っていく。

「あいつ、長生きできないね。リンドバーグ人の兵士に入れあげてるのさ」
怪訝な面持ちでアンゲラが振り向くと、ウーズラが皮肉笑いで説明した。
「恋は盲目かな……度胸は買うけど、あたしは真似したいとは思わないね」

「忠告……ありがとう。でも大丈夫……私、自分の身は自分で守れるから」
アンゲラはウーズラにそう告げると、何事もなかったかのように歩き出す。
「おいちょっと! そりゃそうだろうけど……どうなっても知らないよ!」

(私は知らなきゃいけない。葬儀屋も居ないこの村で、何が起こってるか)
アンゲラは悪目立ちする黒装束を厭わず、何食わぬ素振りで村に歩み入る。
憎悪の視線。罵倒と威嚇。彼女はそれらに関心を払わず歩き続ける。

――60――

「何だあいつ、気味悪い!」「なんで”毒竜”が村を歩いてやがるんだ?」
兵士や村人が遠巻きに悪態をつく。しかし正面から喧嘩を売る者は居ない。
司令と取り巻きを叩きのめした”毒竜”の噂は、一晩で村中に広まっていた。

「「「バーカ、バーカ、クソ”毒竜”! きったねー! ギャハハー!」」」
どこからともなく飛んでくる小石。子供たちの嘲笑と、走り去る足音。
CLAP!CLAP!CLAP! 石礫は空を切り、アンゲラは無感動に歩き続ける。

井戸の水場を中心として、放射状に広がる集落。人家の密度はそれなりだ。アンゲラは周囲を見渡して路辻を歩き、決して小さくない村だと思った。
道端を歩く野良犬を除けば、クウォイラ人を歓迎していないことは確かだ。

「そこの”毒竜”! 誰に断って村を歩いてやがる! 邪魔だ、失せろ!」
路地裏。銃を携えた数人の郷防隊兵士が、広がって道を歩きながら叫ぶ。
SPARK! アンゲラが無言で紫電を放つと、彼らは歯軋りして道を空けた。

「ちょっと、止めてください……杖を返して!」道の先から懇願めいた声。
「やーいやーい、このめくらー!」「返して欲しけりゃ、取ってみな!」
周囲を手探る白装束の少女と、杖を取り上げて歓声を上げる悪童たち。

「ねーねーお姉ちゃん。俺がこの杖、遠くに捨てちゃったらどうする?」
駆け回る子供の一人が、歩いてきた黒装束に派手にぶつかり、尻餅をつく。
「いってーな! どこ見てんだ……」冷たい銀色の双眸が彼を見下ろした。


【祈祷師アンゲラ~黒翼のワルキューレ~】
【10話/銃後の思惑 終わり……次回に続く】

From: slaughtercult
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