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パロマは「殻」の中

⚠︎警告:ホラー描写、およびブラック労働描写が含まれます。苦手な人は読まないでください⚠︎



 バルトロメ・ゴンザレス・ヒメネス子爵・著『魔術師の民俗』より
 第三章『民間伝承』、ある労働者階級の老婆の子守歌

 ――ねんねこ坊やお眠りよ、夜が明けるまでお眠りよ
   夜道の足音誰の音、「殻」に籠もった「魔術師」よ
   夜に歩けば「魔術師」に当たる、見つかりゃ命はありはせん
   貴族も乞食も盗人も、さあさ逃げろや「殻」の音
   追い付かれたら攫われる、明日は「魔術師」の腹の中
   命惜しけりゃ家で眠れ、家はお前の父で母
   坊や今夜もお眠りよ、ねんねこ坊やお眠りよ――


 路上に打ち捨てられた転写本が、風に巻き上げられどこかに飛んで行く。

 帝都の夜は静まり返っていた。家々は戸を閉ざし、通りに灯火の明かりは無く、夜更けの街はただ、吸い込まれるような闇と静けさに包まれていた。

 路上で眠る浮浪者も、酒場から千鳥足で帰る酔漢も、家に戻らず盛り場で屯する悪童も、足音を忍ばせて獲物を捜し歩く盗人すらも、誰も居ない。

 まるで何かを恐れるように。

 夜の帝都は大通りから路地に至るまで、見渡す限りひたすら無人だった。

 やがて、通りを暗く塗り潰す闇のいずこかから、石畳を車輪が踏みしだく重低音が響いた。車輪の音が近づくにつれ、綱が張り詰め繊維の軋むような音も聞こえ始める。自動発条ぜんまい香箱こうばこに渦巻状の板バネとして装填されているが、妖素エーテルに浸されて励起し、さながら心臓のように収縮と膨張を繰り返す音だった。人工筋肉の発条が生む回転力は、車軸で繋がれた車輪を回して、青白いの装甲に鎧われた車体を進ませる原動力となる。

 その不気味な音色は、霧の海に帆を撓らせる幽霊船を思わせた。

 妖素に特有の紫色に透き通った光を撒き散らしつつ、三軸六輪の装甲車が都市の幽鬼じみて姿を現す。奇妙なことに、馬車の荷台を装甲化したような車体の天井部には、人より一回り大きな鎧兜の上半身だけが突出していた。

 その兜は、閉ざされた面頬の隙間から紫の妖素を放っていた。本来は腕があるべき場所には、馬上槍じみた「杖」が大小一対、左右に備わっていた。

 それは見るも歪な機械仕掛けだった。

「おうちにいれて……ちゃんということききますから……」

 暗闇の街角。一人の少女が家から閉め出され、軒先に座り込んでいた。

「なに……?」

 少女は泣き疲れた顔で腰を上げると、近づく音と光の主に魅入った。

「きれい……」

 片頬が青黒く腫れた顔で、少女は呟く。彼女は、魔術師の恐ろしい逸話を知っていたことだろう。それでもなお、初めて間近に見た聖銅の装甲車が、夢物語の馬車や、救いの騎士に見えたかもしれない。実際は違うのだが。

 それは、魔術師の籠る「殻」。
 妖素エーテル発条機関によって、都市を縦横無尽に走破する聖銅の戦車。
 高機動都市制圧型兵器、妖力駆動戦術殻・暁光三型。

 仄青い聖銅板の表面には、目映い白光を放つ無数の文字列が、うねうねと多足類を思わせる動きで絶えず這い回っていた。防御術式・論理防壁だ。

 少女の前で、殻が停止した。

 発条の運動が止まると音が消え、夜の街に静けさが戻ってくる。漏れ出す妖素の明かりに照らされ、少女は呆けたような顔で殻をじっと見つめた。

 おもむろに手が伸ばされ、触れようとした瞬間に、車体後部が開かれる。

 足音はしなかった。戦術殻から人型の影がぬるりと降り立ち、少女の前に進み出た。闇に溶け込むような、消し炭を塗りたくったような黒灰色をした長衣を身に着け、頭巾を頭に被り、顔の鼻から下を黒布で覆い隠していた。

「まじゅつ……し?」

 少女は手を止め、黒尽くめに振り向き、おずおずと呟く。

 黒尽くめは何も言わず、少女へ歩み寄った。少女は生唾を飲み、反射的に一歩後退る。黒尽くめの腰帯にぶら下げられた、革の鞘に目が停まる。

 鞘から飛び出した垂直握把に、黒尽くめの右手が伸びた。

「パロマ、さっさと家に戻らんか、こののろまが。ぼさっとするな」

 少女の背後で叩きつけるように叩きつけるように戸が開かれ、酔っ払った怒声が刺すように放たれるのと同時に、少女の二の腕が強く掴まれた。

「……何だ手前は!?」
「生憎だが、娘は今夜限り俺が貰い受ける」

 黒尽くめは革の鞘の蓋を跳ね開け、右手で「杖」を引き抜いた。聖銅製の杖身には螺鈿細工のように呪文が彫り込まれ、右手で握られた木製の握把の上部には、宝石のような多角形に切削された人工鋼玉が嵌め込まれていた。

「手前、誰に物言ってやがる! 娘は俺の所有物だぞ! 誰にも渡さん!」
「今この時からは俺の所有物だ」

 鋼玉が凄まじい微細振動を伴って唸り、深い青紫の光を放つ。

「ハァーッ……」

 少女の目には、黒尽くめの手の内の金属筒が、光に瞬いたように見えた。

 弓矢や鉄砲のような発射音は皆無。眩い術式の光の帯が、杖身の先端から稲妻じみて解き放たれたと思った次の瞬間、少女の頭上で骨肉が破砕される音が響き、生暖かい流動物が髪に滴り落ちるのを感じた。二の腕を掴む手の力がふっと抜けて、背後に誰かが倒れる音がした。黒尽くめが歩んで少女を抱え上げる。少女は抗わなかった。家の中から誰かが叫ぶ声がした。

「あ、あんた! パロマ――」

 片手間に光が瞬いた。肉の弾ける音がして、もう誰も声を上げなかった。

 少女は何が起こったのか分かったが、特段の感慨は湧かなかった。

 少女は黒尽くめの片腕に担ぎ上げられたまま、紫色の輝きに包まれる殻に連れ込まれた。目の前で、跳ね上げ板の昇降口がせり上がって閉ざされる。

 金属に四面を覆われた殻の頭上で、絡繰り仕掛けが回る振動と音が響く。

 車内に紫色の光が、目も眩むほど鮮やかに満ち満ちて、少女は何だか頭がくらくらして気分が悪くなった。外で何度も木や石や弾け飛ぶ音がした。

 悪魔の臓物がうねるような気味の悪い音が鳴り、殻が動き始めた。


――――――――――


 少女・パロマが辿り着いたのは「お城」だった。但し、夢物語の世界とは程遠い代物だった。ある意味では夢であってほしい、悪夢じみた所だった。

 魔術師たちは、そこを「工場」と呼んでいる。

「お父さーん、お母さーん!」
「帰りたい、帰りたいよー!」
「助けて、誰か助けてー!」

 少し舌足らずで、とてもか細い声。声の主は子供だろうか。否、子供では有り得ないくらい体躯が小さい。半透明の紫色に輝く、宝石のような羽根が藻掻くように羽ばたいていた。多くは二対四枚だ。羽根の数は年齢の証明で多いほど長生きだという。しかし、多いものは最近は取れないのだという。

 パロマは教わった。誰に? 自分と同じ、犬のように頸木と鎖を付けられ牛馬のように働かされる「工員」たち、自分より前から働く先達たちにだ。

 教わるとは、何を? 自分たちが屠殺する畜生のように引き回す愛らしい小人たちが、おとぎ話に聞く「妖精」だという、紛れもない事実を。

 湿っぽい地下牢獄。五百年は燃え続けるという、火竜の骸から取り出した骨の松明が壁際に並び、焦げっぽい匂いを垂れ流して石の広間を照らす。

 床には複雑な幾何学模様と呪文の混淆した魔法陣が描かれ、手足を聖銅の針金で縛り数珠繋ぎにした妖精たちを、発条のような螺旋状に配していた。

「怖いよー、嫌だよー!」
「負けちゃダメ、頑張って!」
「もう死にたい! 殺してくれ!」
「諦めないで、私の目を見て!」

 妖精たちは口々に声を掛け合い藻掻くが、概ね羽根を動かすのがやっとの者たちばかりであり、中には呼吸する以外には殆ど動けない者すら居た。

 妖精たちを一まとめに連結する聖銅の針金の一端は、壁際に設えた汽缶を思わせる「妖力炉」に接続され、ガラス張りの炉の中では透明なエーテルが常温で揮発し、触媒である拳ほどのの礫に反応して泡を上げていた。

「エーテル散布!」

 魔術師の「班長」が号令をかけると、覆面で厳重に顔を覆った「工員」が列を成して現れ、妖精たちの螺旋の周囲を円状に練り歩きながら、手にした筒状の噴霧器の把手を往復させた。列の中にはパロマもいた。彼女の顔には覆面は大きく、時たま揮発したエーテルが隙間から侵入して吐き気を催す。

「ゴボーッ! ゴボーッ!」
「オエエエエーッ!」
「もう止めてーッ!」
「いやだーッ!」

 口々に騒ぎ立てる妖精たちを一切意に介さず、工員たちは無言を貫き通しエーテルを散布した。壁際に点々と立つ魔術師たちが、腰に下げた杖の鞘を見せびらかして威圧しながら、無表情で行員の作業を見守っていた。

「ガボッ……オ、オ、マ゜ァーッ!」

 布で口を覆って作業していた一人の工員が、泡を吐くような変な音を出し噴霧器を放ると、痙攣を始めた。慢性的にエーテルを吸い続け、中毒症状が臨界点に達したのだ。彼は覆面が盗まれたのだと言ったが、彼自身が覆面を破り捨てたのをパロマはこっそり見ていた。経緯はともかく、魔術師は彼に替えの覆面を与えなかったし、奴隷労働から休むことも許さなかった。

 魔術師の一人が無造作に杖を抜き、論理射撃が光の帯を曳いた。空気中に充満するエーテル蒸気が、攻勢術式の光の軌道を克明に浮かび上がらせた。

「ゴボッ」

 射殺された工員がゴトリと転がると、妖精たちは震え上がって泣き叫ぶ。

 泣き叫びたいのはパロマも同じだった。死体に駆け寄ると、数人がかりで死体を壁際まで引き摺っていく。ここでの人々は消耗品と同義だ。妖精とは違って、人は妖素を抽出する素材にもならないため、魔術師の機嫌次第では躊躇いなく処分される。働けない歯車は容易く排除され、架け替えられる。

「妖力炉、作動!」

 妖力炉の上部から突き出す煙突、「排気筒」の蓋が開かれた。底部側面の配管が上方に屈曲しながら炉の横に伸び、四つ足の着いた横倒しの円筒缶を思わせる、自動発条を搭載した機械装置「集気筒」に接続されていた。

 工員たちが機械の始動紐を握って一列に並び、数人がかりで息を合わせて紐を引っ張る。三回以内に始動できないと頭を吹き飛ばされる。腕力に劣るパロマは始動紐を引くのが大嫌いだったが、今回は幸いやらずに済んだ。

 魔術を使えば一瞬で自動発条を始動できるのに、魔術師はわざと人の手を煩わせて発条を始動させる。運よく、今回は一度目で自動発条が始動した。

 あの悪魔の臓物じみた気味の悪い蠕動音が響き渡り、円筒缶が振動すると集気筒が唸りを上げ、地下牢中の空気を吸い尽くす勢いで吸気し始める。

 四方の壁に等間隔で並ぶ魔術師たちが、宙に諸手を翳すと人には分からぬ言葉で術式を構築、妖精たちの足元の魔法陣を励起させ、目も眩まんばかり閃光を発した。言語を絶する絶叫が石壁を震わせた。妖精たちから、生命と不可思議の源である「妖素」を引きずり出し、空気中に充満したエーテルに定着させているのだ。それらは集気筒を通して妖力炉に吸収され、触媒たる宙鉄と反応してエーテルが揮発して空気中に戻る。そうして濃縮される。

 口元に刺すような刺激を感じ、パロマは両手で覆面を顔に押し当てた。

 妖精たちから、魂が抜けるように紫色の光が立ち上り、光の帯が集気筒の一点を目掛けて収束していく。それは見方によっては美しい光景であった。

 程無くして悲鳴が止み、エーテル蒸気中の紫光も乏しくなっていく。

「妖力炉、停止!」

 班長の号令を聞くと、むくつけき熟練工員たちが集気筒に接近、制動紐を両手で掴んで肩に預けると一列に並び、呼吸を合わせて一気に走った。

「グオオオーッ!」
「ウオーッ!」
「アガアアアアッ!」

 この自動発条の蠕動を人力で制動する停止工程が、妖素抽出作業では最も危険で死者の出易い工程だ。舐めてかかると、嵐の中の小舟のように発条の力に引きずり回され、人々が数珠繋ぎでのた打ち回り、挽き潰されて死ぬ。

 工員たちが筋肉を撓らせて、覆面の下に玉の汗をかいて制動紐を引っ張り発条を制動する。一人の死者も出さずに停められ、安堵の溜め息が漏れる。

「確認!」

 号令を聞いた瞬間、パロマは雷に打たれたように姿勢を正して駆け出す。抽出に使用した妖精たちの生死を確認するのだ。妖精たちの産地や体つきや年齢や健康状態にもよるが、五回を超えて生き延びられる妖精は稀だ。

「しぼう、じゅう!」
「重度衰弱、五!」
「中度衰弱、六!」
「軽度衰弱、三!」

「素材を撤収! 死体は解体房に回しておけ! 数が一体でも減っていたら容赦はせんからな! あと、その汚らしい土人の死体は川に捨てておけ!」

 頭ごなしの怒声で一方的に命令する魔術師の言葉に、パロマはこの生活がいつまで続くのだろうかとうんざりした。事切れた妖精たちを聖銅の紐から外すと、顎を震わせ涙がこぼれ落ちそうになるのを噛み殺し、荷車に置く。

 解体房は、特別に大嫌いだ。そこで起きることを始めて見た時、パロマは生まれて初めて言葉通り「身の毛がよだち」、暫くの間は悪夢に魘された。

 そこで何が行われているかなど、言葉にしたくもない。ともかく、妖素を絞り尽くされて抜け殻となったそれは、宙鉄と聖銅とを溶融したと呼ぶ合金の添加物とされ、最期の役目を終える。なぜ金属に点火するかというと神経は妖素の通り道であり、金属に混ぜ込むと妖素を帯び易くなるからだ。

 法金とは、自動発条に用いる、螺旋状の板バネの原料である。

「……ケテ……。……スケテ……」

 解体房に素材を搬入した戻り道、パロマは微かな「声」を聞いた。

「……ン? そらみみかな……」
「どうした」

 立ち止まり振り返るパロマに、先輩工員が歩み寄り、声を殺して聞いた。

「いま、こえがきこえたきが……」
「声ぐらい聴こえるさ、ここには殺された妖精たちの怨霊が、イヤってほど染みついてるんだからよ。もういいだろ。魔術師に見つかると殺されるぞ」
「うん……」

 パロマは生返事で周囲を見回す。十字路のいつも通らない方向、壁の奥で何かが光ったような気がした。先輩に服の袖を引かれ、パロマは歩き出す。


【パロマは「殻」の中  終わり】

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